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藤原継蔭
時代 平安時代前期
生誕 9世紀
死没 不詳
官位 従五位上伊勢守
主君 陽成天皇光孝天皇宇多天皇
氏族 藤原北家真夏流
父母 父:藤原家宗、母:藤原山蔭の娘
兄弟 弘蔭継蔭
不詳
伊勢
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藤原 継蔭(ふじわら の つぐかげ)は、平安時代前期の貴族藤原北家真夏流、参議藤原家宗の子。官位従五位上伊勢守

経歴編集

文章生から式部大丞を経て、元慶5年(881年従五位下叙爵

仁和2年(886年)従五位上・伊勢守に叙任されるが、しばらく任地に出発しなかったため、同じように平安京に留まっていた諸国司とともに召問を受けている[1]。また同年9月には、伊勢神宮へ群行していた斎王繁子内親王が滞在していた頓宮の近くで火災が発生したことから、継蔭は監督の近衛を派遣して消火に当たらせるが、強い西風を受けて頓宮は焼失した[2]

官歴編集

注記のないものは『日本三代実録』による。

系譜編集

脚注編集

  1. ^ 『日本三代実録』仁和2年2月3日条
  2. ^ 『日本三代実録』仁和2年9月30日条
  3. ^ 藤原北家魚名流出身

参考文献編集