藤原義子

日本の平安時代の女官

藤原 義子(ふじわら の ぎし/よしこ、天延2年(974年) - 天喜元年(1053年7月)は、平安時代中期から後期にかけての女性。太政大臣藤原公季の長女で、母は有明親王女。一条天皇女御正二位弘徽殿女御と呼ばれた[1]

長徳2年(996年)7月20日夕に入内[2]し、8月9日に女御となる。8月20日に従三位寛弘2年(1005年)1月10日に従二位、13日に正二位に昇った。万寿3年12月18日(1027年1月28日)に出家[3]天喜元年(1053年)閏7月に薨去享年80。

脚注 編集

  1. ^ 栄華物語』や『伏見宮御記録』などに見える。
  2. ^ 日本紀略長徳2年7月20日条
  3. ^ 『日本紀略』万寿3年12月18日条