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藤原茂樹 (ゲームクリエイター)

日本のゲームクリエイター

来歴編集

大阪芸術大学出身。元々は漫画家志望であり、藤子不二雄のアシスタントを務めていたことがある[1]

ブロック崩しゲームを見て、ブラウン管に絵を描くことに興味を覚え、ドットデザイナーとして1979年 - 1980年頃に日本物産に入社[1]。『ムーンクレスタ』や『クレイジー・クライマー』などの制作に関わる。1985年にはゲームデザイナーとして『マグマックス』を企画、以降も『テラクレスタ』などヒット作品を企画した。

1989年ハドソンへ移籍。自身が好んでいたボンバーマンを「ハドソンのマリオ[2]」にすることを目標にPCエンジンの『ボンバーマン』を手がけ、5人同時対戦という新分野を開拓し、長くボンバーマンシリーズのシリーズプロデューサーとして携わる[3]。そこからの派生として、ビーダマンベイブレードの企画協力、さらにアニメ化に伴う企画原案に携わる。

その後はハ・ン・ドに移り、ハ・ン・ド執行役員を歴任後、0から1を生み出すコンテンツ企画会社として、株式会社ゼロイチを2017年3月7日に設立、代表取締役兼企画家を務める。

主な作品編集

ゲーム編集

日本物産編集

ハドソン編集

ハ・ン・ド以降編集

玩具編集

アニメ編集

人物編集

  • 自らを「企画家」としているのは、漫画家を目指していたことが由来[5]
  • 特撮アニメ好きで、日本物産時代の作品にはそれらの影響が見て取れるものが多い。[独自研究?]
  • 藤子不二雄のアシスタント時代、コロコロコミック編集部に出入りしていた縁で、当時ハドソンとの関係が深かった同誌において、ファミコン版『テラクレスタ』のフォーメーションコンテスト開催やコミカライズ作品の掲載を実現した[6]
  • 好きな漫画家に藤子不二雄[7]鳥山明[4]の名を挙げている。
  • ハドソンの『ボンバーマン』(ファミコン)が好きで、ボンバーマンに影響を受け自分もボンバーマンのような面クリア型アクションを作りたいと思い『キッドのホレホレ大作戦』を開発した[4]。後に藤原はハドソンに移籍しボンバーマンシリーズのシリーズプロデューサーとなっている[3] 。藤原はボンバーマンを好きになった理由に「自分がゲームが下手で、ボンバーマンが『難易度曲線が逆向きなゲーム性[8]』を有していること」を挙げている[4]

脚注編集

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  1. ^ a b c d 藤原茂樹プロフィール”. 株式会社ゼロイチ. 2017年8月1日閲覧。
  2. ^ 看板タイトル、看板キャラクターという意味。
  3. ^ a b ACCS主催の子供向け著作権セミナーにボンバーマンがゲストで登場! - ウェイバックマシン(2001年4月23日アーカイブ分)
  4. ^ a b c d e シューティングゲームサイドvol.11 - マイクロマガジン社 2015年2月7日発行
  5. ^ ブログ始めました”. 株式会社ゼロイチ. 2017年8月1日閲覧。
  6. ^ シューティングゲームサイドvol.10 収録インタビュー - マイクロマガジン社 2014年9月26日発行
  7. ^ Beep 1985年10月号巻頭特集「ゲームデザイナーの頭脳を解剖する」,日本ソフトバンク,1985年10月1日発行
  8. ^ ゲーム開始直後はアイテムもあまりなく辛い戦いを強いられるが、後半はアイテムも揃い楽なゲーム展開となることを指すと思われる。

外部リンク編集