藤原諸藤
平安時代初期から前期の貴族。藤原南家巨勢麻呂流。従四位下・備前権守。子に藤原元善(従四位下、陸奥守)
藤原 諸藤(ふじわら の もろふじ)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。藤原南家巨勢麻呂流、侍従・藤原有統の子。官位は従四位下・備前権守。
時代 | 平安時代初期 - 前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従四位下・備前権守 |
主君 | 仁明天皇→文徳天皇→清和天皇→陽成天皇→光孝天皇 |
氏族 | 藤原南家巨勢麻呂流 |
父母 | 父:藤原有統、母:橘永継娘・数子 |
兄弟 | 諸葛、諸藤 |
妻 | 県犬養氏河娘 |
子 | 善行、元善、清和天皇更衣 |
経歴 編集
嘉祥3年(850年)文徳天皇の即位に伴って従六位上から三階昇進して従五位下に叙爵し、侍従に任ぜられる。文徳朝末の斉衡4年(857年)丹波介に遷って地方官に転じ、天安2年(859年)丹波守に昇格する。
貞観8年(866年)斎宮頭に任ぜられて京官に復し、貞観10年(868年)には従五位上に昇叙されている。
陽成朝では大蔵大輔を務めたのち、元慶2年(878年)伊勢権守に任ぜられて再び地方官に転じ, 元慶3年(880年)正五位下に叙せられる。
人物 編集
琴をたしなみ、元慶8年(884年)紫宸殿で宴が開かれた際、光孝天皇の勅を受けて、兄弟の藤原諸葛と共に琴歌の演奏を行っている[1]。
官歴 編集
注記のないものは『六国史』による。
系譜 編集
『尊卑分脈』による。