藤原 貞雄(ふじわら の さだお)は、平安時代初期の貴族。名は貞碩とも記される[1]藤原南家中納言藤原乙叡の子。官位正五位下左兵衛佐

 
藤原 貞雄
時代 平安時代初期
生誕 不詳
死没 不詳
別名 貞碩
官位 正五位下左兵衛佐
主君 淳和天皇仁明天皇
氏族 藤原南家豊成流
父母 父:藤原乙叡、母:元子(久須褒の娘)
兄弟 貞雄、道麿、雄俊、宗我麿、坂田麿、平子、叡子
安倍弟当の娘
保則
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経歴 編集

淳和朝の天長4年12月(828年1月)に正六位上から従五位下叙爵し、天長8年(831年)正月に従五位上に叙される。

天長10年(833年仁明天皇の即位後まもなく甲斐守に任ぜられ、承和4年(837年)に左兵衛佐に転じた。承和6年(839年正五位下に至る。

官歴 編集

六国史』による。

系譜 編集

尊卑分脈』による[2]

脚注 編集

  1. ^ 『尊卑分脈』
  2. ^ 『尊卑分脈』では貞雄の子に藤原清貫を記すが年代が合わない。

出典 編集