藤原 高堪(ふじわら の たかかつ、生年不詳 - 承平2年(932年)10月)は、平安時代前期から中期にかけての貴族藤原式家中納言藤原吉野曾孫、無官位・藤原後世の子。官位従四位下右京大夫

経歴 編集

醍醐朝の中盤に肥前守を、後半に右衛門権佐を務める。朱雀朝初頭の延長9年(931年従四位下右少弁にあり、翌承平2年(932年)正月に近江守に任ぜられるが、同年10月に在職中のまま卒去。11月に後任の近江守として伴保平が任ぜられている[1]

官歴 編集

その他、時期は不明ながら左近衛少将右京大夫を務めた[6]

系譜 編集

尊卑分脈』による。

  • 父:藤原後世
  • 母:橘最雄の娘
  • 生母不詳の子女
    • 男子:藤原公方
    • 男子:藤原公康
    • 男子:藤原公将

脚注 編集

  1. ^ 『公卿補任』
  2. ^ 『政事要略』巻59,477頁
  3. ^ 『二中歴』
  4. ^ a b 『貞信公記』
  5. ^ a b 『小右記』長和元年7月22日条
  6. ^ 『尊卑分脈』

参考文献 編集