藤堂 監物(とうどう けんもつ、天保13年(1842年) - 明治3年11月26日1871年1月16日))は、江戸時代末期(幕末)から明治時代にかけての津藩の藩士である。長谷部一の別称で有名である。別名は慎吾、広拓とも。

生涯編集

監物は伊勢津藩の藩士の息子であり、藩主・藤堂高猷に仕えた。慶応4年(1868年)1月の鳥羽・伏見の戦いに参加し、旧幕府軍を裏切って新政府軍に与した。その後、新政府の東征軍に参加し、左隊長に任じられた。監物は彰義隊との戦い、会津戦争などで功績を立てたため、明治2年(1869年)に300石を恩賞として与えられた。また同時に長谷部一と改名し、津藩軍の大隊長に任じられた。

しかし明治3年(1870年)、高猷が行なった平民による藩軍編成に反対し、同志を集めてクーデターを起こそうとしたが、事前に発覚したために失敗し、自殺した(監物騒動)。享年29。