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株式会社藤木工務店(ふじきこうむてん)は、大阪府大阪市中央区に本店を置く、日本の建設会社である。

株式会社 藤木工務店
Fujiki Komuten Co., Ltd.
種類 株式会社
市場情報
大証2部(廃止) 1797
1994年6月 - 2002年9月5日
本社所在地 日本の旗 日本
541-0051
大阪市中央区備後町1-7-10 ニッセイ備後町ビル1階
設立 1936年昭和11年)12月14日
業種 建設
法人番号 8120001077539
事業内容 建築土木
代表者 藤木玄三(代表取締役社長)
資本金 46億9,461万円(2010年3月現在)
売上高 単独: 246億円(2011年3月期)
従業員数 348名(2011年4月1日現在)
関係する人物 山本鑑之進大原孫三郎
外部リンク www.fujiki.co.jp
特記事項:主要取引銀行は三菱UFJ銀行中国銀行など
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目次

概要編集

1920年大正9年)11月23日の創業以来、民間建築工事主体 (ほぼ建築専業) で営業している。

藤木工務店は、大阪の山本鑑之進工務店に勤務していた藤木正一 (1891年-1967年) が、山本鑑之進の事業を継承して創業した。辰野金吾門下だった山本の人脈にも支えられ、創業の翌月には日本銀行岡山支店 (現・ルネスホール) の新築工事を受注している。1921年大正10年)10月の第一合同銀行倉敷支店工事 (現・中国銀行倉敷本町出張所) の受注をきっかけに当時の頭取 大原孫三郎と懇意になり、倉敷市周辺の民間建築物を多く手がけることになった。代表例として、大原美術館1930年竣工)が挙げられる。

日本銀行岡山支店、第一合同銀行倉敷支店の施工によって銀行建築の実績と評価を得た藤木工務店は、その後も中国銀行、住友銀行三和銀行などの本支店を手がけ、戦前〜戦中の藤木工務店を支えた。

戦後の藤木工務店が得意としている分野に文化財の修復、改築がある。旧金毘羅大芝居旧山邑家住宅ヨドコウ迎賓館)、備中国分寺五重塔、孫文記念館(移情閣)、赤穂城本丸門、備中松山城などを手がけた。また、創業期に施工した日本銀行岡山支店、第一合同銀行倉敷支店は登録有形文化財となっている。

同様に、医療機関も実績がある分野だ。倉敷市の倉紡中央病院[1]1923年、現・倉敷中央病院)や医療法人創和会しげい病院本館、神戸市のパルモア病院などである。その他に特別養護老人ホームケアハウスなど、福祉施設の実績も豊富だ。

1930年昭和5年)3月合名会社化を経て1936年昭和11年)12月には株式会社化し、1994年平成6年)10月には大阪証券取引所(現物株は東京証券取引所に統合)第二部に上場を果たした。しかしバブル経済崩壊後の建築工事の採算悪化などにより、2002年平成14年)6月民事再生法の適用を申請した。2006年平成18年)2月、減資することなしに民事再生手続は終結している。

沿革編集

 
藤木工務店 倉敷支店
  • 1920年大正9年)11月23日 - 藤木正一により藤木工務店創業 (個人企業、大阪市西区靱上通2丁目48番地)。
  • 1920年(大正9年)12月 - 日本銀行岡山支店工事を受注 (1922年3月竣工)。
  • 1921年大正10年)10月 - 第一合同銀行倉敷支店工事を受注。
  • 1922年(大正11年)10月 - 倉敷出張所を設置。
  • 1929年昭和4年)5月 - 東京出張所を設置。
  • 1930年(昭和5年)3月28日 - 合名会社 藤木工務店に改組 (代表社員 藤木正一)。
  • 1932年(昭和7年)5月 - 倉敷出張所を倉敷支店に昇格。
  • 1936年(昭和11年)12月14日 - 株式会社 藤木工務店に改組。
    • 初代社長 藤木正一、資本金 25万円、当時の本店: 大阪市東区瓦町1丁目9番地。支店: 東京、倉敷。
  • 1967年(昭和42年)10月23日 - 初代社長 藤木正一死去。
  • 1994年平成6年)10月 - 大阪証券取引所第二部に株式上場 (当時の証券コード 1797)。
  • 2002年(平成14年)6月4日 - 民事再生法適用を申請 (2002年9月、上場廃止)。
  • 2006年(平成18年)2月 - 民事再生手続、終結。

施工物件編集

脚注編集

書籍編集

  • 藤木工務店 『藤木工務店70年史』 1992年3月。

外部リンク編集