静岡県立藤枝東高等学校

静岡県藤枝市にある高等学校
藤枝東高等学校から転送)

静岡県立藤枝東高等学校(しずおかけんりつふじえだひがしこうとうがっこう)は、静岡県藤枝市天王町一丁目に所在する県立高等学校

静岡県立藤枝東高等学校
地図北緯34度52分36.7秒 東経138度15分42.3秒 / 北緯34.876861度 東経138.261750度 / 34.876861; 138.261750座標: 北緯34度52分36.7秒 東経138度15分42.3秒 / 北緯34.876861度 東経138.261750度 / 34.876861; 138.261750
過去の名称 静岡県立志太中学校
静岡県立志太高等学校
静岡県立藤枝高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 静岡県の旗 静岡県
学区 第7学区(志榛)
校訓 至誠一貫
設立年月日 1923年11月20日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
定時制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科(7学級)
学期 3学期制
学校コード D122210000439 ウィキデータを編集
高校コード 22141E
所在地 426-8577
静岡県藤枝市天王町一丁目7番1号
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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静岡県立藤枝東高等学校の位置(静岡県内)
静岡県立藤枝東高等学校

概要 編集

1924年に静岡県立志太中学校として開校した公立高校。略称は「東高」(ひがしこう)、「藤高」(ふじこう)「藤枝東」(ふじえだひがし)。 2年次より、難関大学受験に向けた文理混合・希望制の特別クラス(通称:Sクラス)が設けられている。

文武両道を学校方針として掲げており、志太榛原地区の進学校であるとともに、サッカー部・山岳部をはじめとする部活動も盛んである。初代校長に就任した錦織兵三郎の強い意向で開校時にサッカーを校技に採用した[注 1]ことで、藤枝が「サッカーのまち」と呼ばれる礎を築く[1]。そういった伝統もあり、サッカーの有名校が多い静岡県中部地区の中でも特に有名であり、全国大会の出場も多数(全国優勝10回)。特に長池実監督に率いられた1960年代後半から1970年代前半は同校サッカー部の黄金期であり、国体インターハイ選手権の全国三冠を含む8度の全国優勝を成し遂げた。また、1952年からは天皇杯全日本サッカー選手権大会を3度開催し(下記参照)、1957年第12回国民体育大会(静岡国体)の際にサッカー会場となり、昭和天皇による天覧試合となった。校内にその当時の写真が全国優勝トロフィーとともに飾ってある。

開校時の流れから「サッカーのまち藤枝」の端緒としての色合いが強い校風で、「男子生徒は入学時に全員サッカーシューズ(と柔道着)を必ず購入しなければならない」「年2回行われる校内大会(球技大会)はサッカーを中心として行われる」「冬に開催されるマラソン大会ではサッカー部がスタートの合図を出す」などの伝統が現在も残っている。2009年には人工芝グラウンドが整備され、老朽化・劣化に伴い2018年に改修されている。校庭には1957年の国体の際に昭和天皇観戦のためにスタンドが設置され、現在でも同校OBや地域住民がサッカー部の練習や試合の観覧に訪れている。

他に、サッカー部OBによるスクール活動を母体として2002年に発足したNPO藤枝東FCジュニアユースがある。

1963年榛原郡川根本町(当時の中川根町)に川根分校が設置されたが、1966年静岡県立川根高等学校として独立した。

沿革 編集

  • 1923年(大正12年)11月 - 文部省告示第449号を以って設立認可。
  • 1924年(大正13年)4月 - 静岡県立志太中学校として開校。
  • 1926年(大正15年)5月 - 校歌制定。
  • 1948年(昭和23年)4月 - 学制改革により静岡県立志太高等学校となる。
  • 1948年(昭和23年)9月 - 定時制課程が併設される。
  • 1949年(昭和24年)4月 - 県下高等学校再編に伴い、静岡県立藤枝高等学校と合併して静岡県立藤枝高等学校となる。旧志太高等学校が東教場、旧藤枝高等学校が西教場となる。
  • 1952年(昭和27年)4月 - 静岡県立藤枝高等学校の東西教場を分割し、静岡県立藤枝東高等学校及び静岡県立藤枝西高等学校となる。
  • 1963年(昭和38年)4月 - 川根本町徳山(旧中川根町)に川根分校を設置。
  • 1966年(昭和41年)3月 - 川根分校が静岡県立川根高等学校として独立。
  • 2004年(平成16年)11月 - 創立80周年記念式典挙行。
  • 2014年(平成26年)10月 - 創立90周年記念式典挙行。

部活動の実績 編集

サッカー部(全国大会に於いて)
山岳部
  • 2004年(平成16年)8月 - 全国高等学校総合体育大会登山競技大会優勝
  • 2005年(平成17年) - 静岡県高等学校体育大会登山競技 優勝(県大会三連覇達成)→全国高等学校総合体育大会登山競技大会出場
  • 2017年(平成29年)- 静岡県高等学校体育大会登山競技男子 優勝 → 全国高等学校総合体育大会登山競技大会出場
  • 2018年(平成30年)- 静岡県高等学校体育大会登山競技女子 優勝 → 全国高等学校総合体育大会登山競技大会出場
その他の部
  • 2002年(平成14年)8月 - 全国高等学校総合文化祭郷土研究の部(歴史部)最優秀賞
  • 2004年(平成16年)8月 - 全国高等学校総合体育大会(水泳男子1500m自由形)優勝
  • 2016年(平成28年)8月 - 全国高等学校総合文化祭写真・新聞部門出場(写真部・新聞部)
  • 2016年(平成28年)8月 - 全国高等学校総合文化祭囲碁部門出場(棋道部)
  • 2017年(平成29年)8月 - 全国高等学校総合文化祭写真・新聞部門出場(写真部・新聞部)
  • 2017年(平成29年) - 全国高等学校新聞年間紙面審査賞 優秀賞(新聞部)
  • 2017年(平成29年)8月 - 全国高等学校総合文化祭囲碁部門出場(棋道部)
  • 2018年(平成30年)8月 - 全国高等学校総合文化祭新聞部門出場(新聞部)
  • 2018年(平成30年) - 全国高等学校新聞年間紙面審査賞 優秀賞(新聞部)
  • 2019年(平成31年) - 静岡県高等学校体育大会弓道個人 優勝 → 全国高等学校総合体育大会弓道競技大会出場
  • 2019年(令和元年)8月 - 全国高等学校総合文化祭新聞部門出場(新聞部)
  • 2019年(令和元年)8月 - 全国高等学校総合文化祭囲碁部門出場(棋道部)
  • 2019年(令和元年) - 全国高校囲碁選抜大会出場(棋道部)
  • 2021年(令和3年)8月 - 全国高等学校総合文化祭新聞部門出場(報道部)

不祥事 編集

越境入学の規定に違反 編集

2022年2月10日静岡県教育委員会は藤枝東を含む6校の計38人で規定違反が確認されたと会見した。静岡県では原則として公立高への越境入学を認めていないが、保護者と一緒に県内に転居することを条件に認める「学校裁量枠」が存在していた。県教委は「公平公正であるべき県立高校入試制度でご懸念を生じさせた」と謝罪した。[2] サッカー強豪校の県立藤枝東高校(藤枝市)が、「保護者の県内在住」を入学条件とする県教委の規定に反し、少なくとも14年以上、県外生徒をサッカー部員として受け入れていた。出願時に転居の意思を示す書類を受理しながら、実際は転居しないことを黙認していた。元はビジネスホテルだった学校近くの寮について、山田校長は「学校では全く管理していない。民間の経営者が運営している認識だ」と説明した。2022年1月現在、サッカー部員約100人のうち、県外出身の25人と県内の遠方の4人の計29人が生活している。学校側も25年前から黙認状態だった。[3][4][5]

その他 編集

缶詰製造業の笹野雄太郎は、1924年5月に静岡県立志太中学校の建築費金1万円を寄付している[6]

著名な卒業生 編集

政治 編集

経済 編集

官僚 編集

学術 編集

文化 編集

芸能 編集

サッカー 編集

アナウンサー 編集

その他 編集

アクセス 編集

周辺施設 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 当時、多くの旧制中学校野球が校技であった。

出典 編集

参考文献 編集

  • 総理府賞勲局編『紺綬褒章名鑑 賞勲局百年資料集 大正8年〜昭和16年』大蔵省印刷局、1986年。
  • 藤枝市『サッカーのまち藤枝の歩み : 歴史、誇り、そして夢』、サッカーのまち藤枝の歩み編纂委員会、2012年3月。

関連項目 編集

外部リンク 編集

先代
宮城野サッカー場
仙台市
天皇杯全日本サッカー選手権大会
決勝戦会場
32
次代
西京極グラウンド
京都市
先代
国泰寺高校球場
広島市
天皇杯全日本サッカー選手権大会
決勝戦会場
38
次代
小石川運動場
東京都
先代
靱サッカー場
大阪市
天皇杯全日本サッカー選手権大会
決勝戦会場
41
次代
西京極競技場
(京都市)