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藤田 学(ふじた まなぶ、1955年5月9日 - )は愛媛県南宇和郡一本松町(現・愛南町)出身の元プロ野球選手投手)・コーチ解説者

藤田 学
中信兄弟 二軍ヘッド兼投手コーチ #77
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛媛県南宇和郡一本松町(現:愛南町
生年月日 (1955-05-09) 1955年5月9日(64歳)
身長
体重
182 cm
102 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1973年 ドラフト1位
初出場 1976年4月13日
最終出場 1986年4月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

経歴編集

南宇和高校では本格派右腕として活躍し、2年次の1972年に秋季四国大会県予選1回戦で壬生川工を相手にノーヒットノーランを達成。3年次の1973年には夏の甲子園県予選で準々決勝に進出し、松山商西本聖と投げ合い完封勝利を飾るが、準決勝では今治西の矢野隆司(亜大熊谷組)に完封を喫して甲子園出場を逸する。同年のドラフト1位で南海ホークスに入団。野村克也選手兼任監督の方針で二軍でじっくり鍛えられ、2年間は一軍に昇格されなかった。2年目の1975年にはウエスタンリーグで16勝3敗、防御率1.68という成績を残す。16勝は現在でも二軍のシーズン最多勝記録である。同僚だった江本孟紀は「(藤田は)サインが複雑で覚えられず、クイックができないからずっと二軍に置いといたら16勝して新記録、ノムさんはそれぐらい徹底していた。」と語っている[1]。入団3年目の1976年には先発ローテーション入りし、11勝3敗、防御率1.98(2位)の好成績で新人王に選出された。その後は2年連続(1977年 - 1978年)で16勝を記録し、オールスターゲームにも出場。馬力のあるストレート[2]とブレーキの鋭い大小のカーブが持ち味だったが[2]1979年に右足内転筋を痛めてからは低迷。1981年には先発に復帰して13勝を挙げ、3年ぶりにオールスターへ出場。その後は故障による影響で球威が衰え、登板機会が徐々に減少。1986年引退。

1987年から1989年}まで南海・ダイエー2軍投手コーチ、1990年からダイエー1軍ブルペンコーチに就任し、5月からベンチを担当したがチーム防御率5.56に低迷した。1991年は再び1軍ブルペンコーチを務め、1992年は二軍投手コーチを務めた同年限りで退団した。1993年から1995年サンテレビ解説者1996年にダイエーに復帰し二軍育成コーチ、1997年一軍ブルペン投手コーチ、1998年 - 1999年一軍投手コーチ、2000年から二軍投手コーチに就任し、2001年からヘッドコーチ兼任となり、6月に解任された。2002年からオリックス・ブルーウェーブの一軍投手コーチに就任。2003年は年間最多被安打1534、最多失点927、最多自責点819など次々とプロ野球ワースト新記録を記録し、チーム2年連続最下位に低迷し、同年限りで退団した。2004年から2006年まで沖データコンピュータ教育学院総監督、2007年から2008年までソフトバンク二軍投手コーチ、2009年からはソフトバンクのスカウトを務め、編成育成部国内担当、プロスカウトアドバイザーを務め、2018年10月3日、同球団を退団することが発表された[3]2019年からは中信兄弟二軍ヘッド兼投手コーチ。

息子の藤田卓史沖学園高校から九州共立大学を経て東芝に入社、2010年の第81回都市対抗野球で優勝に貢献、最優秀選手賞に当たる橋戸賞を受賞している。

詳細情報編集

年度別投手成績編集





















































W
H
I
P
1976 南海 27 14 7 2 1 11 3 0 -- .786 589 149.2 133 8 25 0 7 52 2 0 40 33 1.98 1.06
1977 35 31 18 3 2 16 13 0 -- .552 1004 244.1 237 16 49 1 8 99 1 1 100 89 3.28 1.17
1978 33 29 20 6 2 16 11 0 -- .593 918 231.2 206 21 42 2 6 100 0 0 82 74 2.87 1.07
1979 8 5 0 0 0 2 5 0 -- .286 126 27.0 39 10 10 0 0 9 0 0 27 26 8.67 1.81
1980 18 8 2 0 0 3 4 1 -- .429 307 68.0 87 13 22 0 0 25 1 0 43 42 5.56 1.60
1981 29 27 12 2 2 13 11 0 -- .542 876 213.1 209 25 59 1 0 78 0 0 90 87 3.68 1.26
1982 25 16 1 0 0 6 8 0 -- .429 523 115.1 157 18 31 0 2 26 0 0 74 67 5.24 1.63
1983 12 12 0 0 0 2 6 0 -- .250 238 54.2 71 14 6 0 1 14 0 1 42 38 6.26 1.41
1984 7 7 0 0 0 2 0 0 -- 1.000 161 38.1 41 11 8 0 0 11 0 0 26 25 5.87 1.28
1985 18 6 1 0 0 1 4 0 -- .200 200 43.0 57 4 16 0 2 8 0 0 34 30 6.28 1.70
1986 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 4 1.0 2 0 0 0 0 0 0 0 1 1 9.00 2.00
通算:11年 213 155 61 13 7 72 65 1 -- .526 4946 1186.1 1239 140 268 4 26 422 4 2 559 512 3.88 1.27

表彰編集

記録編集

初記録
その他の記録

背番号編集

  • 26(1974年 - 1986年)
  • 83(1987年 - 1988年、1997年 - 1999年)
  • 76(1989年)
  • 87(1990年)
  • 71(1991年 - 1992年)
  • 73(1996年)
  • 70(2000年 - 2001年)
  • 81(2002年 - 2003年)
  • 77(2007年 - 2008年)

関連情報編集

出演編集

脚注編集

  1. ^ 南海ホークス栄光の歴史―1938ー1988、ベースボール・マガジン社、2012年、P36
  2. ^ a b 南海ホークス栄光の歴史―1938ー1988、ベースボール・マガジン社、2012年、P74
  3. ^ 2018/10/03(水) プレスリリース 退団者について”. 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト (2018年10月3日). 2018年10月7日閲覧。

関連項目編集