藤野 善蔵(ふじの ぜんぞう、1846年弘化3年) - 1885年明治18年)3月2日[1])は、日本武士越後長岡藩士)、教育者慶應義塾長を歴任した。

藤野善蔵

略歴 編集

越後長岡藩上級藩士(100石)出身で小林虎三郎河井継之助の弟子である。明治維新前に江戸に出て、箕作塾及び開成所に学び、のち福沢諭吉を慕って1869年(明治2年)5月19日に、慶應義塾に入学。1873年(明治6年)から1876年(明治9年)まで塾長を務めた[2]東京師範学校に迎えられたころまで在任していたとみられる)。東京師範学校中学師範科(後の東京高等師範学校東京教育大学、現在の筑波大学)にて教鞭をとり、三菱商業学校の校長になったこともある。

郷里である長岡藩の教育新興に勤め、三島億二郎の提案で「ランプの会[3]」の集まりに参加し、1878年(明治11年)に長岡洋学校を主催する[4]が、健康を損ねて辞職[1]。1885年(明治18年)3月2日に死去。

脚注 編集

  1. ^ a b 鳥居泰彦『回想慶應義塾』(慶應義塾大学出版会、2013年)p.75
  2. ^ 鳥居泰彦『回想慶應義塾』(慶應義塾大学出版会、2013年)p.73
  3. ^ 長岡の「ランプ会」
  4. ^ 学校沿革 - 長岡高校同窓会 本部事務局

関連項目 編集