メインメニューを開く

藪 恵壹(やぶ けいいち、本名:藪 恵一〈読み同じ〉、1968年9月28日 - )は、三重県南牟婁郡御浜町出身の元プロ野球選手投手、右投右打)・コーチ1994年登録名藪 恵市(読み同じ)。愛称は「恵ちゃん」。

藪 恵壹 (藪 恵一)
Keiichi Yabu IMG 2863-1 20170924.jpg
阪神競馬場トークイベントにて
(2017年9月24日)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 三重県南牟婁郡御浜町
生年月日 (1968-09-28) 1968年9月28日(50歳)
身長
体重
185 cm
98 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1993年 ドラフト1位(逆指名)
初出場 NPB / 1994年4月13日
MLB / 2005年4月9日
最終出場 MLB / 2008年9月27日
NPB / 2010年9月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 阪神タイガース (2011 - 2013)

目次

経歴編集

プロ入り前編集

小学校時代、野球の試合中に右腕を故障したが、病院にも行かずプレーした。治癒したが、その影響で雨が降ると痛みが出るのか、雨の日の登板では実力を出せないことが目立った。

高校時代は、同じ県内に杉浦正則がいたこともあり、注目されなかった。一年間の浪人生活を経て、一般入試で東京経済大学に進学し首都大学リーグに加盟している同校の硬式野球部でプレーした。

大学卒業後は、社会人野球朝日生命でプレーを続けるかたわら、営業部員としても勤務。営業成績は、全社の中でトップクラスだったという。

1993年のNPBドラフト会議で、当時存在していた逆指名制度を経て阪神タイガースに1位指名扱いで入団。背番号にエースナンバーの18を与えられた一方で、入団を機に、姓名判断で登録名を「恵市」に決めた。ちなみに、東京経済大学出身のプロ野球選手は、藪が初めてである。

阪神時代編集

1994年、新人ながら公式戦を通じて一軍の先発ローテーションに定着すると、9勝9敗という成績でセントラル・リーグ新人王を獲得。オールスターゲームにも、同リーグ投手部門のファン投票1位で出場した。

1995年、登録名を「藪恵壹」に変更すると、セ・リーグ6位の防御率2.98で自己最高をマーク。しかし、チームが極度の貧打の為7勝13敗という成績で、リーグ最多敗戦を喫した。

1996年、プロ入り後初めての開幕投手を務めたことを皮切りに、セ・リーグ最多の30試合の先発登板を記録。自身初の2桁勝利を挙げる一方で、被安打数はリーグ最多で、同僚の湯舟敏郎と共に2年連続で最多敗戦投手になった。

1997年、チームトップの11勝を挙げたことによって、2年連続の2桁勝利を達成。

1998年、2年ぶりに開幕投手へ返り咲くと、シーズン11勝で3年連続の2桁勝利をマーク。10敗を喫しながらも、プロ入り初めてのシーズン勝ち越しに至った。

1999年、6勝16敗で、自身3度目のリーグ最多敗戦投手になった。

2000年、入団1年目から7年連続でセ・リーグの最終規定投球回に到達したが、6勝10敗という成績で、6年連続2桁敗戦を喫した。

2001年、右肩を故障した影響で、一軍公式戦17試合に登板しながら、プロ入り後初めての未勝利でシーズンを終えた。

2002年、背番号をNPBの投手としては珍しい1桁(4)に変更。春季キャンプの前に電話で出演した『週刊トラトラタイガース』(読売テレビ)で、阪神の外野手時代に同じ背番号を着用していた川藤幸三(野球解説者)から、背番号の変更を勧められたことによる。シーズンでは、セ・リーグの最終規定投球回に達しなかったものの、4年振りに10勝を記録し阪神入団後初めてシーズンの貯金を2つ以上にした。

2003年、8勝3敗という成績(貯金は自己最多を更新)で、チームの18年振りセ・リーグ優勝に貢献。しかし、福岡ダイエーホークスとの日本シリーズでは登板の機会がなかった。

2004年、6勝9敗ながら、シーズン中に海外FA権を取得。シーズン終了後には、MLBへの挑戦を視野に、FA権の行使を宣言した。

アスレチックス時代編集

2005年1月、オークランド・アスレチックスへの入団が決定。野球を始めた時に与えられた背番号13を、再び着用した。ドラフト会議の逆指名制度でNPB球団へ入った選手が、FA権を行使したうえで他球団へ移籍した事例は、NPB他球団への移籍を含めても藪が初めてである。この年にMLB公式戦デビューを果たすと、シーズン通算で4勝をマーク。しかし、契約の条件であった2年目の保有権をチームが行使しなかったため、シーズン終了後に自由契約選手として扱われた。

ポトロス時代編集

2006年コロラド・ロッキーズと契約したが、同年3月31日付で退団しフリーエージェントとなった。同年6月29日にマイナーリーグAAA級に相当するメキシカンリーグのティファナ・ポトロスと契約した。

無所属時代編集

2007年は、どこの球団にも所属せず、トレーニングに費やした。この年は練習相手もいないのでネットや壁にボールを投げて投球練習をすることもあったという。アマチュア時代はあまり設備など野球環境が恵まれていなかったが、さすがに練習相手がいないのは堪えたという。そのため2008年は、もしメジャーに上がれなくても喜んでマイナーでプレーすることを決めていた。

ジャイアンツ時代編集

 
ジャイアンツ時代(2008年)

2008年、メジャー昇格を目指し、サンフランシスコ・ジャイアンツスプリングトレーニングから、トレーニングに励みオープン戦に登板していた。キャンプ・オープン戦での背番号は72。同年3月30日に開幕メジャー枠に入ったことが球団から発表された。背番号は22[1]

4月14日の対アリゾナ・ダイヤモンドバックス戦で3年ぶりの勝利を記録した(ジャイアンツで日本人が勝ち投手となるのは1965年9月30日の村上雅則以来)。39歳と199日での白星は、当時の日本人メジャーリーガーの最年長記録となった(後に塗り替えられた。2017年現在の記録は、斎藤隆の41歳183日)。また同年の5月30日の対サンディエゴ・パドレス戦の8回、3対3の同点で無死一・二塁の場面でリリーフ登板し、打者ケビン・クーズマノフを1球でトリプルプレーに仕留める、という珍しい記録も作った[2]。トリプルプレーを記録した日本人投手は1996年の野茂英雄以来2人目のことだった。

2009年はメジャー契約でキャンプに臨むもオープン戦は不調で、3月5日にマイナー降格。そしてメジャー40人枠を空けるための措置として3月20日(日本時間21日)にジャイアンツから戦力外通告を受けるも、翌21日に傘下のAAA級フレズノと再契約を結んだ。しかし、7月11日に解雇された[3]

2010年、7月26日に千葉ロッテマリーンズの入団テストへ参加したが、獲得を見送られた。

楽天時代編集

2010年7月29日から2日間にわたって東北楽天ゴールデンイーグルスの入団テストを受けたところ、同月31日に同球団が藪の獲得を発表した。背番号は64[4]で、8月10日の対埼玉西武ライオンズ戦(クリネックススタジアム宮城)には、7回表にNPB復帰後初の一軍戦登板を果たした。しかし、1アウトを取っただけで、4点を失って降板。その後も中継ぎ投手として11試合に登板したが、防御率4.91と振るわず、シーズン終了後に戦力外通告を受けた[5]。なお、通告後には、古巣である阪神から投手コーチへの就任を打診された。現役続行を希望していた藪は、しばらく回答を保留したものの、やがて現役引退を決意した。

現役引退後編集

 
阪神コーチ時代(2012年8月17日、明治神宮野球場)

2010年12月17日に、阪神との間で、二軍投手コーチとしての契約を正式に締結。この契約を機に、岡田彰布の一軍監督退任(2008年)以降空いていた背番号80を着用するようになった。

2012年に一軍投手コーチを務めたが、一軍はシーズン5位に低迷。2013年には二軍投手コーチへ復帰したが、球団からの契約解除通告(10月5日)を機に退団した[6]

退団直後からは、神戸市東灘区スポーツクラブ「Japan Athlete Club STAY COOL」の講師に就任。会員の小・中学生に対して、褒めて伸ばすことをテーマに野球を指導している[7]

2014年からは毎日放送MBSラジオ)・GAORA野球解説者に転身。2015年からは、読売テレビの阪神戦中継にゲスト解説者として出演するほか、J SPORTSのメジャーリーグ中継の解説も務めている。また、『週刊ベースボール』の名物企画「連続写真で見るプロのテクニック」で投手を取り上げる場合には、投球フォームの解説を担当している。

2018年の12月には、野球解説者としての活動と並行しながら、学生野球資格の回復に向けて講習会を受講[8]2019年2月5日付で日本学生野球協会から資格回復の適性を認定されたため、同協会に加盟する大学・高校の硬式野球部での指導も可能になった[9]。藪自身は、「(同協会加盟の高校の硬式野球部に所属する現役野手の)息子に(日本のプロ野球でのプレーを経験した選手では学生野球資格回復者にしか認められていない)アドバイスを送れるようにしたかった」とのこと[8]で、同年シーズン中も野球解説者としての活動を継続する。

2019年3月22日には、アスレチックスのOBを代表して、岩村明憲と共にMLB開幕カード第2戦(東京ドームのアスレチックス対シアトル・マリナーズ戦)の始球式へ登場。岩村とバッテリーを組んだうえで、マリナーズOBのケン・グリフィー・ジュニアを相手にピッチングを披露した[10]。ちなみに、マリナーズの「9番・右翼手」としてスタメンで出場したイチローは、この試合の終了後に現役引退を発表している。

詳細情報編集

年度別投手成績編集





















































W
H
I
P
1994 阪神 26 25 8 1 0 9 9 0 -- .500 743 181.1 174 12 42 3 2 110 2 1 67 64 3.18 1.19
1995 27 27 7 2 2 7 13 0 -- .350 813 196.0 185 19 50 1 10 118 4 1 73 65 2.98 1.20
1996 30 30 6 1 0 11 14 0 -- .440 834 195.1 204 14 51 1 11 145 1 1 97 87 4.01 1.31
1997 29 26 4 1 0 10 12 0 -- .455 768 183.0 172 23 62 6 10 111 9 0 79 73 3.59 1.28
1998 24 24 3 2 1 11 10 0 -- .524 692 164.0 159 11 51 0 8 90 4 2 74 64 3.51 1.28
1999 28 27 4 2 1 6 16 0 -- .273 737 173.1 175 16 57 8 11 95 4 0 80 76 3.95 1.34
2000 25 24 1 1 0 6 10 0 -- .375 638 151.0 162 19 30 4 4 95 7 0 76 70 4.17 1.27
2001 17 8 0 0 0 0 4 0 -- .000 250 55.0 55 2 33 4 5 26 5 0 32 25 4.09 1.60
2002 20 20 5 2 2 10 6 0 -- .625 532 131.2 118 14 30 1 6 97 3 0 48 46 3.14 1.12
2003 23 15 0 0 0 8 3 0 -- .727 405 97.2 97 13 27 0 2 67 4 0 50 43 3.96 1.27
2004 19 19 1 1 0 6 9 0 -- .400 480 116.1 108 8 36 0 6 75 5 0 44 39 3.02 1.24
2005 OAK 40 0 0 0 0 4 0 1 1 1.000 262 58.0 64 6 26 3 8 44 2 0 34 29 4.50 1.55
2008 SF 60 0 0 0 0 3 6 0 9 .333 302 68.0 63 3 32 4 8 48 5 1 33 27 3.57 1.40
2010 楽天 11 0 0 0 0 0 0 0 2 ---- 48 11.0 9 2 6 0 2 6 0 0 6 6 4.91 1.36
NPB:12年 279 245 39 13 6 84 106 0 2 .442 6940 1655.2 1618 153 475 28 77 1035 48 5 726 658 3.58 1.26
MLB:2年 100 0 0 0 0 7 6 1 10 .538 564 126.0 127 9 58 7 16 92 7 1 67 56 4.00 1.47
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰編集

NPB

記録編集

NPB初記録
NPB節目の記録
NPBその他の記録

背番号編集

  • 18 (1994年 - 2001年)
  • 4 (2002年 - 2004年)
  • 13 (2005年)
  • 22 (2008年)
  • 64 (2010年)
  • 80 (2011年 - 2013年)

登場曲編集

関連情報編集

出演編集

野球解説者としてのレギュラー番組のみ記載。

上記の番組以外にも、読売テレビの阪神戦中継や、同局が制作する『朝生ワイド す・またん!』などへ不定期で登場している。

脚注編集

[ヘルプ]
  1. ^ “藪39歳最終カット突破、開幕メジャー”. 日刊スポーツ. (2008年8月31日). http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20080331-342494.html 2011年2月15日閲覧。 
  2. ^ “藪初球で三重殺にガッツポーズ”. 日刊スポーツ. (2008年6月1日). http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20080601-366815.html 2017年10月8日閲覧。 
  3. ^ “藪 ジャイアンツ傘下3Aを解雇に”. デイリースポーツ. (2009年7月14日). http://www.daily.co.jp/mlb/2009/07/14/0002126047.shtml 2011年2月15日閲覧。 
  4. ^ 藪恵壹選手との契約合意について
  5. ^ 来季の選手契約について
  6. ^ 来季のコーチ契約について阪神球団公式サイト2013年10月5日配信
  7. ^ “阪神前2軍投手コーチの藪氏が小中学生を指導”. デイリースポーツ. (2013年12月30日). http://www.daily.co.jp/tigers/2013/12/30/0006605461.shtml 2014年1月1日閲覧。 
  8. ^ a b “藪氏、息子と「言葉交わすため」資格回復研修を受講”. 日刊スポーツ. (2018年12月15日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201812150000076.html 2019年2月16日閲覧。 
  9. ^ 学生野球資格回復に関する規則 第4条による認定者日本学生野球協会
  10. ^ アスレチックスOB藪氏&岩村氏が始球式に登場 打席にはグリフィー氏 “藪氏、息子と「言葉交わすため」資格回復研修を受講”. スポーツニッポン. (2019-03-33). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/03/22/kiji/20190322s00001007037000c.html アスレチックスOB藪氏&岩村氏が始球式に登場 打席にはグリフィー氏 2019年3月23日閲覧。 
  11. ^ “【ファン交歓会一問一答】原口、関西弁の女性「いいと思います」(画像6)歴代サンスポMVP大賞、新人賞の受賞者”. SANSPO.COM (産業経済新聞社). (2016年11月23日). http://www.sanspo.com/baseball/photos/20161123/tig16112305040011-p6.html 2017年9月8日閲覧。 
  12. ^ 月刊タイガース2000年5月号45p

関連項目編集

外部リンク編集