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蚕影神社(こかげじんじゃ)は、茨城県つくば市神郡にある神社。正式表記(旧字体)は蠶影神社。通称は蚕影山(こかげさん)神社[1]。全国にある蚕影神社の総本社。古名は蚕影山桑林寺蚕影明神など。近代社格制度に基づく旧社格は村社。

蚕影神社
Kokage shrine Haiden.jpg
所在地 茨城県つくば市神郡1998番地
位置 北緯36度11分27.1秒
東経140度6分27.7秒
座標: 北緯36度11分27.1秒 東経140度6分27.7秒
主祭神 和久産巣日神
埴山姫命
木花開耶媛命
社格村社
創建 成務天皇御代
本殿の様式 三間社流造
別名 蚕影山神社
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目次

概要編集

 
蚕影神社の石段

筑波山地不動峠から多気山(城山)にかけての山腹北側に鎮座する。山稜を挟んで南側には平沢官衙遺跡や中台遺跡といった遺構が分布している。入口は筑波山神社の表参道であったつくば道から神郡館地区に分岐する道の突き当たりにあり、社殿までは長い石段が続く。日本全国で養蚕が盛んだった明治大正時代には多くの参拝客で賑わっていたが、2017年(平成29年)現在は参拝者の姿はまれで、石段はところどころ崩れかけ、草木が侵入している[2]

神社がある山を俗に子飼山(大日本地名辞典)、蚕飼山(筑波山名跡誌)、神郡山などという。蚕影山は寺院時代の山号である。

筑波国造が創祀に関わることから、古来筑波山神社とも縁が深い。筑波山神社の御座替祭を構成する祭祀に神衣祭と神幸祭とがあり、いずれも神衣を祭器としているが、蚕影神社は神衣を織るための養蚕製糸機織の技術伝来の地として、養蚕の神を祀っている[3]

名物は蚕影羊羹。入口に茶屋「春喜屋」があり、当社の護符を受けられる[4]

祭神編集

主祭神
和久産巣日神
埴山姫命
木花開耶媛命
配祀神
筑波男神、筑波女神、素盞鳴命月読命蛭子命天照大神、生馬命
  • 配祀神七柱は1909年(明治42年)6月に合併した六所神社の祭神である。旧六所神社は逆川を挟んだ山麓の臼井字六所にあり、六所皇大神宮、六所神宮、御座替宮とも呼ばれた。元々筑波山神社の里宮として御座替祭を行なっていた古社とされ、江戸時代には朱印地20石を安堵された。現在は旧址が新宗教団体により整備維持されている。

沿革編集

由緒編集

創建編集

創建は諸説ある。筑波国造の創祀とする説が多い。

  • 境内案内板:成務天皇御代(131-190年)、筑波国造阿閉色命の創祀。
  • 金色姫伝説:欽明天皇御代(539-571年)。
  • 筑波郡案内記:延長4年(926年)、筑波国造権太夫良平の創祀。
  • 常山総水:崇神天皇御代(不詳)、蚕影山大権現として創祀、別当桑山寺。

蚕影山信仰編集

往時、茨城県一帯は養蚕業が盛んで、境内案内板にもある通り、養蚕にまつわる地名や神社が多数残っている。河川には鬼怒川(絹川、衣川)、小貝川(蚕飼川)、糸繰川などがある。日立市川尻町の蚕養神社、神栖市日川の蚕霊神社には、蚕影神社と同様、養蚕伝来に関する伝承が伝わっている。また、結城市小森(旧下総国。小森は蚕守の変化とも)の大桑神社は、東国に養蚕を伝来した阿波斎部(忌部)氏による創祀と伝えられる。

蚕影山桑林寺は、その金色姫伝説に基づき、当地を日本養蚕技術伝来の地とし、金色姫の垂迹たる蚕影山を本尊とする「蚕影山信仰」の総本山だった。世界大百科事典に「全国各地にある蚕影山信仰は、茨城県の蚕影山神社の信仰が流布したもので、この神社の縁起として、養蚕および蚕神の起源を説く金色姫の物語が中世末から近世にかけて語られていた。御伽草子《戒言(かひこ)》もその一つである」[6]とある。

蚕影山信仰は、中世末期から養蚕業が日本の基幹産業であった昭和中期まで、長く現役性を保った。筑波郡案内記に「養蚕家の崇敬頗る厚く、遠近より参拝するもの極めて多し」とある。しかし、往古の信仰は、養蚕業の急速な衰退とともにした。境内には壮麗な社殿に対して、急速な衰退の痕跡といえる茶店・休憩所の廃墟が今も残る。

金色姫伝説編集

天竺に舞台が及ぶ壮大な伝説で、「日本一社蚕影神社御神徳記」のほか、上垣守国が享和2年(1802年)に著した「養蚕秘録」、伊藤智夫の「絹1 ものと人間の文化史」等の養蚕書に紹介がある。

概略[7]

  • 欽明天皇御代(539-571年)、北天竺の旧仲国の霖夷大王と光契夫人の間に金色皇后(金色姫)という娘がいた。夫人は病で亡くなり、王は後妻となる后を迎えたが、后は金色姫を疎み、王の目を盗んで、姫暗殺の奸計を巡らせた。
  • 第一に、獅子王という獣が巣食う師子吼山に捨てさせたが、獅子王は金色姫を襲うことなく丁重に宮殿に送り届けた。第二に、鷲、鷹、熊などが巣食う辺境の鷹群山に捨てさせたが、鷹狩のために派遣された宮殿関係者が発見した。第三に、海眼山という不毛の孤島に流させたが、漂着した漁師に保護された。第四に、清涼殿の小庭に埋めさせたが、約100日も経った頃、地中から光が差したので、王が掘らせたところ、金色姫がやつれた姿で救い出された。事情を知り、姫の行く末を案じた王は桑で作った靭(うつぼ)船に姫を乗せ、海に流した。この船は常陸国の豊浦湊に漂着した。
  • 豊浦湊に住む漁師、権太夫夫婦が金色姫を救い面倒を見たが、姫は空しく病に倒れた。ある夜、夫婦の夢枕に姫が立ったので、唐櫃を開いたところ、亡骸はなく無数の虫が動いていた。金色姫が靭船で流れてきたことから、桑の葉を与えたところ、虫は喜んで食べ、次第に成長した。ある時、虫は桑を食べず、頭を上げてわなわなと震え出した[8]。夫婦が心配していると姫が再び夢枕に立ち、この休みは継母から受けた受難の表れだと告げた。「獅子の休、鷹の休、船の休、庭の休を経て、靭船の中で繭を作ることを覚えた」という。姫が告げた通り、虫はしばらくして繭を作った。
  • 夫婦は筑波山の「影道(ほんどう)仙人」(蚕影道仙人とも)に繭から綿糸を紡ぐ技術を教わった。さらに筑波に飛来された欽明天皇の皇女各谷姫に神衣を織る技術を教わった。これが日本における養蚕と機織の始まりという。
  • 養蚕と機織を営んだ夫婦は、靭船が辿り着いた豊浦に御殿を建立、金色姫を中心に、左右に富士と筑波の神を祀った。
  • この金色姫が、同県大洗町に伝わる「虚船」伝説の中で船に乗っていた異国の女性のモデルになったのではないか、という説もある。

ロケ地編集

2009年(平成21年)6月6日公開の映画ガマの油』(役所広司監督)のつくば市におけるロケーション撮影は主に蚕影神社で行われた[9]

脚注編集

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  1. ^ 現地案内板。
  2. ^ 前田啓介 (2017年10月26日). “常陸の機織り 高い技術”. 校倉の風土記:下. 読売新聞. 2017年11月23日閲覧。
  3. ^ 近隣のつくば市漆所に初酉神社があり、機織部に起源を持つ服部連の祖神、天御鉾命を祀っている。伝承にはないが服部神社の変化という(現地案内板。つくば市教育委員会)。
  4. ^ つくばエクスプレスつくばの土産・名物。2013年11月1日閲覧。
  5. ^ 合併については茨城県神社写真帳。
  6. ^ kotobank蚕影山信仰より引用。2013年11月1日閲覧。
  7. ^ 詳しくは境内案内板、屋根のない博物館ホームページ、Silk New Wave、かすみがうら*ネット等を参照。
  8. ^ 脱皮直前の「眠」と呼ばれる活動停止期。蚕は脱皮を4回程度行った後に繭を作る。
  9. ^ kanrisya (2009年5月19日). “つくばフィルムコミッション» » 映画「ガマの油」公開!” (日本語). つくばフィルムコミッション. 2013年11月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月7日閲覧。

参考文献編集

吉田東伍「大日本地名辞書 下巻 二版」。冨山房。明治40年10月17日(1907年)。
柳沢鶴吉編「常山総水:名勝古蹟」。柳旦堂東京出張所。明治41年10月(1908年)。
筑波教育会編「筑波郡案内記」。筑波郡教育会。大正8年(1919年)。
いはらき新聞「茨城県神社写真帳」。いはらき新聞社。昭和16年(1942年)。

関連項目編集

  • 蚕養国神社(福島県会津若松市にある養蚕に関係のある神社)

外部リンク編集