蜂須賀 正元(はちすか まさもと、天文14年(1545年) - 元亀2年(1571年))は、戦国時代武将蜂須賀正利の四男。兄に正勝がいる。通称は七内。

 
蜂須賀正元
時代 戦国時代
生誕 天文14年(1545年
死没 元亀2年5月6日[1]1571年5月29日
戒名 高鑒宗富
氏族 蜂須賀氏
父母 父:蜂須賀正利
母:安井御前安井弥兵衛尉重幸の娘)
兄弟 正勝又十郎、正信[2]、墨[3](織田喜七郎室)、正元、女(梶浦雅範室)
益田才蔵(彦四郎)
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略歴 編集

兄と同じく羽柴秀吉に仕え、元亀2年(1571年)、伊勢長島の戦いに参加して討ち死にした。享年27[4][5]

側室の子に彦四郎がおり、後に益田姓に改称し、益田才蔵を称した。その子孫は徳島藩では関姓を称した[1]

脚注 編集

  1. ^ a b c 岡田 1876, p.210
  2. ^ 甚右衛門。入道常林。『尾張群書系図部集』では正勝の異母兄とする。三男は『蜂須賀家記』による。
  3. ^ 岡田 1876, p.207
  4. ^ 渡辺世祐『蜂須賀小六正勝』雄山閣、1929年、90頁。 
  5. ^ 『蜂須賀家記』には享年17とある[1]が、それだと父正利の死から2年後に生まれたことになるので矛盾する。また元亀3年も2年の間違いであろう。

参考文献 編集