衛尉寺(えいいじ)は、王朝時代の中国の官署である。九寺のひとつ。
漢代の衛尉を起源とする。北斉のときに衛尉寺が置かれ、禁衛の武装兵を管掌した。宮城の城門を管理し、校尉2人が置かれた[1]。隋のとき、公車・武庫・守宮などの署を統括し、おのおのに令や丞が置かれた[2]。唐代には、衛尉寺の長官は衛尉寺卿といい、その官位は従三品とされた。次官は衛尉寺少卿といい、その官位は従四品上とされた。その下に衛尉寺丞(従六品上)2人・衛尉寺主簿(従七品上)2人・衛尉寺録事(従九品上)1人が置かれた[3]。