衣縫王(きぬぬいのおおきみ、生年不詳 - 慶雲4年11月24日707年12月22日))は、飛鳥時代皇族殖栗皇子の後裔。官位従四位下弾正尹

経歴編集

持統天皇4年(690年)に着工した藤原京造京司を務め、持統天皇7年(693年)には工事で掘り出された死体を別の場所に埋葬するようを受けた[1]文武天皇3年(699年当麻国見らとともに越智山陵(斉明天皇陵か)に派遣され山陵の修造を行った。

元明朝慶雲4年(707年)11月24日卒去。最終官位弾正尹従四位下

官歴編集

六国史』による。

系譜編集

  • 父:不詳(殖栗皇子?)[2]
  • 母:不詳
  • 生母不詳の子女
    • 男子:蜷淵伊賀万呂[3]
    • 男子:蜷淵刀名[3]

脚注編集

  1. ^ 『日本書紀』持統7年2月10日条
  2. ^ 鈴木真年『百家系図』巻59,蜷淵真人では殖栗皇子の子に繋げるが、やや年代が合わない。
  3. ^ a b 鈴木真年『百家系図』巻59,蜷淵真人

参考文献編集