袁斉嬀

南朝宋の文帝劉義隆の皇后

袁 斉嬀(えん せいき)は、南朝宋文帝劉義隆の皇后本貫陳郡陽夏県

袁皇后
南朝宋の皇后
在位 元嘉元年9月18日 - 元嘉17年7月26日
424年10月26日 - 440年9月8日

全名 袁斉嬀
別称 文元皇后
出生 義熙元年(405年
死去 元嘉17年7月26日[1]
440年9月8日
建康、顕陽殿
埋葬 長寧陵
配偶者 文帝
子女 劉劭
劉英娥(東陽献公主)
氏族 陳郡袁氏
父親 袁湛
母親 王氏
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経歴 編集

袁湛の娘として生まれた。母の王氏は正妻ではなく、関係は不明であるが、卑賤の出であったという。

宜都王劉義隆にとつぎ、宜都王妃に立てられた。劉劭と東陽献公主劉英娥を産んだ。元嘉元年(424年)9月、皇后に立てられた。

皇后は頻繁に袁氏一族への賞賜を求めた。文帝は節倹を重視し、每回の賞賜は数万銭だけであった。潘淑妃が文帝の寵愛を受けるようになると、皇后は淑妃に頼んで袁氏一族に30万銭の大金を求め、翌日にはそれを得ることができた。そのことから皇后は潘淑妃を嫉妬し恨むようになり、病と称して文帝に会うのを避けるようになった。始興王劉濬ら諸庶子が見舞いに訪れても面会に応じなかった。元嘉17年(440年)7月、病が重くなり、顕陽殿で崩御した。享年は36。は元皇后といった。9月、長寧陵に葬られた。

脚注 編集

  1. ^ 『宋書』巻5, 文帝紀 元嘉十七年七月壬子条による。

伝記資料 編集