補陀洛山寺
補陀洛山寺(ふだらくさんじ)は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある、天台宗の寺院。補陀落とはサンスクリット語の観音浄土を意味する「ポータラカ」の音訳である。
補陀洛山寺 | |
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本堂 | |
所在地 |
和歌山県東牟婁郡 那智勝浦町大字浜の宮348 |
位置 | 北緯33度38分41.01秒 東経135度56分3.97秒 / 北緯33.6447250度 東経135.9344361度座標: 北緯33度38分41.01秒 東経135度56分3.97秒 / 北緯33.6447250度 東経135.9344361度 |
山号 | 白華山 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 三貌十一面千手千眼観音 |
創建年 | 伝・仁徳天皇治世(4世紀) |
開基 | 伝・裸形上人 |
文化財 |
木造千手観音立像(重要文化財) 熊野三山(国の史跡) 世界遺産 |
法人番号 | 8170005005532 |
境内は国の史跡「熊野三山」の一部[1][2]。ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年〈平成16年〉7月登録)の構成資産の一部[3]。
沿革
編集仁徳天皇の治世にインドから熊野の海岸に漂着した裸形上人によって開山されたと伝える古刹で、平安時代から江戸時代にかけて人々が観音浄土である補陀洛山へと小船で那智の浜から旅立った宗教儀礼「補陀洛渡海(補陀落渡海とも)」で知られる寺である。
江戸時代まで那智七本願の一角として大伽藍を有していたが、文化5年(1808年)の台風により主要な堂塔は全て滅失した。その後長らく仮本堂であったが、1990年に現在ある室町様式の高床式四方流宝形型の本堂が再建された。
補陀洛渡海
編集補陀洛は『華厳経』ではインドの南端に位置するとされる。またチベットのダライ・ラマの宮殿がポタラ宮と呼ばれたのもこれに因む。中世日本では、遥か南洋上に「補陀洛」が存在すると信じられ、これを目指して船出することを「補陀洛渡海」と称した。記録に明らかなだけでも日本の各地(那珂湊、足摺岬、室戸岬など)から40件を超える補陀洛渡海が行われており、そのうち25件がこの補陀洛山寺から出発している。
渡海船
編集船上に造られた屋形には扉が無い。屋形に人が入ると、出入り口に板が嵌め込まれ外から釘が打たれ固定されるためである。その屋形の四方に4つの鳥居が建っている。これは「発心門」「修行門」「菩薩門」「涅槃門」の死出の四門を表しているとされる。
渡海は北風が吹き出す旧暦の11月に行われた。渡海船は伴船に沖に曳航され、綱切島近くで綱を切られた後、朽ちたり大波によって沈むまで漂流する。もちろん、船の沈没前に渡海者が餓死・衰弱死した事例も多かったであろう。しかし、船が沈むさまを見た人も、渡海者たちの行く末を記した記録も存在しない。
渡海者と金光坊
編集渡海者たちについて詳しく記した資料は残っていないが、初期は信仰心から来る儀礼として補陀洛渡海を行っていたと考えられている。平安・鎌倉時代を通じて6名が渡海したと、補陀洛山寺に建つ石碑に記されている。これが戦国時代になると60年間で9名もの渡海者が現れたという。この頃になると、熊野三山への参詣者が減少したことから、補陀洛渡海という捨身行によって人々の願いを聞き届けるという形で宣伝され、勧進のための手段としての側面が現れたとされる。
16世紀後半、金光坊という僧が渡海に出たものの、途中で屋形から脱出して付近の島に上陸してしまい、たちまち捕らえられて海に投げ込まれるという事件が起こった。後にその島は「金光坊島(こんこぶじま)」とよばれるようになり、またこの事件は井上靖の小説『補陀落渡海記』の題材にもなっている。江戸時代には住職などの遺体を渡海船に載せて水葬するという形に変化したようである。
文化財
編集重要文化財
編集史跡
編集和歌山県または那智勝浦町指定文化財
編集- 銅花瓶 1口 - 享禄2年(1529年)3月18日の陰刻銘あり。県指定有形文化財(美術工芸品、1971年〈昭和46年〉3月22日指定)[2]。
- 銅仏餉鉢 1口 - 天正5年(1577年)祐善が寄付。県指定有形文化財(美術工芸品、1971年〈昭和46年〉3月22日指定)[2]。
- 那智曼荼羅 1幅 - 町指定有形文化財(美術工芸品、1971年〈昭和46年〉3月26日指定)[2]。
- 梵天立像1躯 - 町指定有形文化財(美術工芸品、1985年〈昭和60年〉8月1日)[2]。
- 帝釈天立像 1躯 - 町指定有形文化財(美術工芸品、1985年〈昭和60年〉8月1日)[2]。
- 補陀洛山寺の渡海舟の板絵 2枚 - 町指定有形文化財(絵画、1991年〈平成3年〉2月13日指定)[2]。
その他
編集祭礼・行事
編集- 1月27日 立春大護摩供星祭祈祷会
- 5月17日 春祭り・渡海上人供養
- 7月10日 土用護摩供・先祖供養