法善寺

大阪府大阪市中央区にある寺院
西向不動明王から転送)

法善寺(ほうぜんじ)は、大阪府大阪市中央区難波にある浄土宗の寺院。山号は天龍山。本尊は阿弥陀如来。全身が苔むした姿の「水掛不動」が有名である。千日念仏を行ったことから俗に千日寺と呼ばれ、千日前の地名は当寺の門前に由来する。

法善寺
水掛不動
所在地 大阪府大阪市中央区難波1-2-16
位置 北緯34度40分4.3秒 東経135度30分9.5秒 / 北緯34.667861度 東経135.502639度 / 34.667861; 135.502639座標: 北緯34度40分4.3秒 東経135度30分9.5秒 / 北緯34.667861度 東経135.502639度 / 34.667861; 135.502639
山号 天龍山
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 寛永14年(1637年
開山 琴雲
正式名 天龍山法善寺
別称 水掛不動、千日寺
札所等 大阪新四十八願所第48番
公式サイト 大阪千日前 水掛不動尊 法善寺
法人番号 9120005001618 ウィキデータを編集
法善寺の位置(大阪市内)
法善寺
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概要 編集

 
水掛不動を訪れる人が絶えない
 
法善寺横丁
 
法善寺横丁

山城国宇治郡北山村に琴雲上人が開山として法善寺を建立する。寛永14年(1637年)、金比羅天王懇伝の故事により中誉専念上人が現在地に移転する。他説では、同年に現在の大阪市天王寺区上本町8丁目より現在地に移り、寛永21年(1644年)から千日念仏回向が始まったという。

文政2年(1828年)に焼失するが、澄誉が再建する。嘉永5年(1852年)、再び焼失する。しかし、安政2年(1855年)に見誉が再建した。

1945年昭和20年)3月13日・14日の第1回大阪大空襲で水掛不動明王を残し、すべて焼失する。

1955年(昭和30年)頃、同じ浄土宗の寺院であり、大阪新四十八願所阿弥陀巡礼第37番札所である長圓寺と縁を結ぶ。1960年(昭和35年)頃、金毘羅堂や庫裡などは再建できたが、本堂は再建できていなかった。そこで、法善寺は長圓寺を法善寺別院とし、そこに本尊の阿弥陀如来を移して法善寺本堂を建立する。

法善寺横丁 編集

当寺院の北側にある細い通り。元は境内だったことから法善寺裏、法善寺露地などと呼ばれていた。昭和初期に小説『夫婦善哉』や『法善寺横丁』に登場して有名になり、横丁の名が定着した。

2002年9月9日、隣接する旧中座の解体工事中のガス爆発事故により19店舗が焼失。法規制により原状への再建が危ぶまれたが、2004年3月にかけて順次営業再開することができた[1]

交通 編集

最寄バス停
最寄駅

脚注 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集