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西園寺公高(さいおんじ きんたか、天文7年(1538年) - 弘治2年(1556年))は、戦国時代武将伊予国戦国大名西園寺実充の嗣子。

西園寺氏は、宇都宮豊綱と領土をめぐって争っていた。弘治2年(1556年)9月、城代上甲光康より報を受けた公高は、急遽狩猟の場から駆けつけ、飛鳥城に来襲した豊綱の軍と得意の槍を持って奮戦するも、敵の矢を受け19歳で討死した。このため、伊予西園寺家の家督は実充の甥、すなわち公高の従兄弟にあたる公広が還俗して継ぐことになった。