西尾 大介(にしお だいすけ、1959年4月1日[1] - )は、日本男性アニメ監督プロデューサーである。広島県三次市出身。東映アニメーション所属[2]。血液型はO型[1]

来歴・人物編集

修道中学校・高等学校卒業。同級生にフリーアナウンサー山中秀樹、先輩に脚本家遊川和彦コラムニスト神足裕司(一学年上)ら、後輩には歌手吉川晃司らがいる。

立命館大学4回生の時に友人から東映の採用試験の情報を聞いて応募、合格し1981年東映アニメーション(当時・東映動画)に第1期研修生として入社。同期に佐藤順一貝澤幸男芝田浩樹梅澤淳稔、有迫俊彦といった演出家がいる。『Dr.スランプ アラレちゃん』の第128話「正義と愛の板ばさみ」で演出デビューする。

ドラゴンボールやエアマスターの監督であり、ダイナミックな戦闘演出を得意とする一方、金田一少年の事件簿といった静的作品においても高い演出力を見せる。 東映オリジナル作品であるふたりはプリキュア、ふたりはプリキュアMaxHeartではそれまでの女児向けアニメに無かった異色の徒手空拳による対人格闘を中心に、巧みな感情の流れと人間ドラマを活写。その他、性別によって観る人を限定するようなマーケティングに対する強い警戒心も見せており[3]、総体としてこれまでの戦闘物や女児向け作品に対する強い批判性を含みながら今作に挑んだことが窺える。 キャラクターが日常の延長線上で懸命になりながら全力で戦うこと、拳に感情を込める展開を好む。そのためか担当作では現代的な都市部の風景を多分に描いている。

『ドラゴンボール』のオープニングの絵コンテでは、歌詞そのままの映像を付けたことに先輩から突っ込みが入ったが反応はよかったという。『ふたりはプリキュア』では不快な要素を入れないこと、主人公たちが自分たちの精一杯の力を出して懸命に戦うことでキャラクターの信念が伝わるようにということなどをモットーにして作品を手掛けた。漫符表現の禁止、都合の良い女性像や芝居の撤廃、人物を内股で立たせない、流背禁止、といったストイックな造りに拘った。[4]また演出面、特に絵コンテに拘るあまり、絵コンテ執筆が非常に遅いことでも知られている[5]

要所で凝ったレイアウトやカット繋ぎを行いつつ、受け手が胃もたれしないような観やすさや受け入れやすさのポイントを押さえている。どんな作品だろうと演出、監督した作品すべて、伝えたい事は変わらず一貫していると語っている。

作品リスト編集

テレビアニメ編集

1981年
1986年
1989年
1990年
1993年
1995年
1996年
1997年
1999年
2003年
2004年
2005年
  • ふたりはプリキュア Max Heart( - 2006年、シリーズディレクター
2006年
2007年
2008年
2012年
2014年
2016年
  • DAYS(OP絵コンテ)

劇場アニメ編集

1982年
1983年
1986年
1987年
1989年
1990年
1991年
1992年
1994年
1996年
1999年
2001年
2003年
2006年

OVA編集

1988年
1990年
  • TOKUMAアニメビデオえほん―はないちもんめ 第2話 のぼるとやまねこ(監督
  • TOKUMAアニメビデオえほん―はないちもんめ 第5話 草之丞の話(監督
1991年
2010年

その他編集

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 「DRAGON CALL スタッフ8人に聞きました」 『ドラゴンボールZ アニメ・スペシャル』集英社〈ジャンプ・ゴールドセレクション4〉、1989年10月18日、124頁。雑誌 29939-10/18。 
  2. ^ 第33回 「ドラゴンボール」「金田一少年の事件簿」「ふたりはプリキュア」の監督、西尾大介インタビュー 何が目標で、何をやれば答えが見つかるかわからなかった|お前の目玉は節穴か season 2|Webマガジン幻冬舎
  3. ^ プリキュアぴあ p.88
  4. ^ プリキュア コスチュームクロニクルp.168
  5. ^ 辻田邦夫ホームページ内作品リスト - 「作品リスト1985年-1993年」の『劇場版ドラゴンボールZ 激突!!100億パワーの戦士たち』の項によると、コンテ執筆終了が編集作業の1週間前であった(通常、編集作業はアフレコの直前、すなわちアニメ製作工程の終盤に行う)。また、同リストによると『劇場版 金田一少年の事件簿』でもほぼ同様のことが起こったとのこと。
  6. ^ ただし、降板後の202話の演出は担当しており、DVDパッケージでも最後まで西尾がシリーズディレクターとしてクレジットされている。
  7. ^ エアマスター : 作品情報”. アニメハック. 2020年12月1日閲覧。

関連項目編集