西有家町

日本の長崎県南高来郡にあった町

西有家町(にしありえちょう)は、長崎県島原半島にあった南高来郡に属した。

にしありえちょう
西有家町
西有家町旗
西有家町旗
西有家町章
西有家町章
西有家町旗 西有家町章
廃止日 2006年3月31日
廃止理由 新設合併
加津佐町口之津町南有馬町北有馬町西有家町有家町布津町深江町南島原市
現在の自治体 南島原市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
南高来郡
市町村コード 42373-4
面積 28.80 km2
総人口 8,197
国勢調査、2005年10月1日)
隣接自治体 雲仙市南高来郡北有馬町有家町
町の木 ヒノキ
町の花 ヤマツツジ
西有家町役場
所在地 859-2211
長崎県南高来郡西有家町里坊96番地2
外部リンク 西有家町(アーカイブ版)
座標 北緯32度39分35秒 東経130度17分52秒 / 北緯32.6597度 東経130.2978度 / 32.6597; 130.2978座標: 北緯32度39分35秒 東経130度17分52秒 / 北緯32.6597度 東経130.2978度 / 32.6597; 130.2978
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2006年3月31日、周辺7町と新設合併し、南島原市となり消滅した。

地理 編集

島原半島の南側に位置し、島原湾に面する。

  • 山:高岩山
  • 川:有家川、清水川、竜石川、須川、引牟田川、西ノ浦川

隣接市町村 編集

歴史 編集

江戸時代の初め頃までは、現在の有家町域とあわせて有家村を成していた[1]。『有馬原城兵乱記』などによれば、1637年寛永14年)に起こった島原の乱では村民全員が参加したが、全て討死し無人の村となったとされる。現在の町民はその後の高力忠房の復興政策により、幕府領の四国小豆島や九州各藩から移住してきた人々の子孫であると云われる[1]

有家村は1652年承応元年)に有田村[2]・隈田村[3]・町村[4]の3村に分かれたが、1872年(明治5年)に再び有家村として1村に統合された[1]。その後村内を東部と西部に分け、1879年(明治12年)に東有家村・西有家村として正式に分村された。

近現代 編集

地域 編集

地名 編集

を行政区域とする。西有家町は1889年の町村制施行時に単独で自治体として発足したため、大字は無し。(発足当初は西有家村)
なお、西有家町では名の名称を十干に置き換えて表記していたが、1970年より十干表記を廃止して本来の名の名称を表記し、さらに末尾の「名」の文字が削除された。

以下()内は1969年末まで採用されていた十干と名の表記を表す。

  • 竜石(甲 / 竜石名)[6]
  • 須川(乙 / 須川名)
  • 里坊(丙 / 里坊名)
  • 長野(丁 / 長野名)
  • 慈恩寺(戊 / 慈恩寺名)
  • 見岳(己 / 見岳名)[7]

教育 編集

高等学校 編集

中学校 編集

小学校 編集

交通 編集

町内に空港はない。最寄り空港は長崎空港

鉄道 編集

中心駅は西有家駅。

バス路線 編集

一般路線バス 編集

  • 島原鉄道バス

道路 編集

一般国道 編集

県道(主要地方道) 編集

産業 編集

  • 特産品: 島原手延べ素麺

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事 編集

  • 戸ノ隅公園
  • 戸ノ隅の滝

参考文献 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c 角川日本地名大辞典 42 長崎県「有家村(近世)」
  2. ^ 有家村のうち東筋または東方と称した区域。現在の有家町尾上・山川・蒲河の各名にあたる。
    (角川日本地名大辞典 42 長崎県「有田村」)
  3. ^ 「くまた」と読む。有家村のうち西筋または西方と称した区域。現在の西有家町龍石・須川・長野・里坊、および有家町久保の各名にあたる。
    (角川日本地名大辞典 42 長崎県「隈田村」)
  4. ^ 有家町村ともいう。有家村のうち中通または中と称した区域。現在の西有家町慈恩寺・見岳、および有家町小川・中須川の各名にあたる。
    (角川日本地名大辞典 42 長崎県「有家町村」)
  5. ^ 長崎縣告示第百三十一號 南高来郡西有家村を西有家町と変更の件 長崎県公報 昭和2年3月30日付号外
  6. ^ 「龍石」とも表記。
  7. ^ 江戸期は「見竹」とも表記された。

関連項目 編集

外部リンク 編集