日本 > 関東地方 > 東京都 > 西東京市 > 西東京市の町名

本項西東京市の町名(にしとうきょうしのちょうめい)では、東京都西東京市における現在の町名及び過去に存在した町名と大字名・小字名を一覧化するとともに、明治時代初期以来の町名・字名の変遷について記述する。

概要

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西東京市は、2001年平成13年)1月21日に当時の保谷市田無市が合併して成立した。

保谷では、1889年明治22年)4月1日町村制の施行に伴い、当時の下保谷村、上保谷村、上保谷新田が合併し保谷村が成立した。この際、それぞれの旧村域はそれぞれ大字「下保谷」「上保谷」「上保谷新田」となり、また、旧三村の字はそのまま字(小字)として存続した[1]。なお、下保谷村では、この際に存続した24字は既に江戸期に成立している[2]。一方、これに先立ち田無では、1879年(明治12年)に田無村が町制を施行し田無町となっているが、この際、江戸期よりあった谷戸・柳沢・宿・向台・芝久保の5字のうち、宿・向台を上下に、芝久保を南北に分け、さらに北原・西原を加えて10字を設置した[1]。なお、田無は明治期から2001年の西東京市成立まで一度も合併を経験すること無く、このため大字は設置されなかった。

その後、保谷市では1965年昭和40年)から1968年(昭和43年)、田無市では1966年(昭和41年)から1968年(昭和43年)にかけて、市内全域に順次住居表示が実施され、旧来の大字・字は廃止された。また、2001年の合併の際、基本的に両市の町名はそのまま引き継いだが、重複する町名など一部は変更があった。

行政上は「○○×丁目」(例:ひばりが丘一丁目)が正式な町名だが、本項では便宜的に○○の部分を町名と記述している。また、丁目の数字は正しくは漢数字だが、便宜的に算用数字で記述し、「丁目」は省略している。

現行行政町名

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西東京市では、全域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。また、各町は2001年の合併時に設置され、その後の変更は無い。(2016年4月現在)

なお、前述の通り、基本的に各町名は旧保谷市と旧田無市の町名を継承している。

保谷地域
町名 町名の読み 設置年月日 住居表示実施年月日 丁目 住居表示実施直前の字名[3] 備考
ひばりが丘 ひばりがおか 2001年1月21日 1967年11月1日 1 大字上保谷字又六、大字下保谷字北原、字中原の各一部
2 大字下保谷字中原、字南原の各一部
3 大字下保谷字南原の一部、および(田無市)字西原、字谷戸の各一部 合併時に田無市「ひばりが丘団地」を編入
4 大字下保谷字大南新田の全部、字南原の一部
ひばりが丘北 ひばりがおかきた 2001年1月21日 1968年11月1日 1 大字上保谷字入道の一部
2 大字下保谷字入後の全部、字東入の各一部、大字上保谷字入道の各一部
3 大字上保谷字又六の一部
4 大字下保谷字北原の全部、大字上保谷字又六の一部
北町 きたまち 2001年1月21日 1968年11月1日 1 大字下保谷字坊ヶ谷戸、字上前の各一部
2 大字下保谷字坊ヶ谷戸、字上前、字上後、字東入の各一部
3 大字下保谷字上後の一部
4 大字下保谷字北荒屋敷、字北宮ノ脇の各一部
5 大字下保谷字北荒屋敷、字北宮ノ脇の各一部
6 大字下保谷字上前の一部
下保谷 しもほうや 2001年1月21日 1968年11月1日 1 大字下保谷字南松ノ木、字西松ノ木の各一部
2 大字下保谷字西松ノ木、字東松ノ木、字南宮ノ脇、字坊ヶ谷戸、字上前の各一部
3 大字下保谷字中荒屋敷の全部、字北宮ノ脇の一部
4 大字下保谷字南荒屋敷の全部
5 大字下保谷字南松ノ木、字東松ノ木、字南宮ノ脇の各一部
住吉町 すみよしちょう 2001年1月21日 1967年1月1日 1 大字上保谷字上宿、字山合、字又六の各一部
2 大字上保谷字又六の一部
3 大字上保谷字又六、字入道の各一部
4 大字上保谷字入道、大字下保谷字中島の各一部
5 大字上保谷字山合、大字下保谷字南入の各一部
6 大字上保谷字山合、字又六の各一部
栄町 さかえちょう 2001年1月21日 1968年11月1日 1 大字下保谷字中島、字南入、大字上保谷字入道の各一部
2 大字下保谷字西入の全部
3 大字下保谷字東入の一部
泉町 いずみちょう 2001年1月21日 1967年1月1日 1 大字上保谷字上宿の一部
2 大字上保谷字大門、字荒井竹の各一部
3 大字上保谷字大門、字荒井竹、字苗木山、字三軒家の各一部
4 大字上保谷字大門の一部
5 大字上保谷字山合、字三軒家,の各一部
6 大字上保谷字山合、大字下保谷字南松ノ木の各一部
東町 ひがしちょう 2001年1月21日 1967年1月1日 1 大字下保谷字北新田、字西新田の各一部
2 大字下保谷字南松ノ木、字西松ノ木の各一部
3 大字下保谷字南松ノ木、字南荒屋敷、字北新田の各一部
4 大字下保谷字北新田、字東新田の各一部
5 大字下保谷字中西台の一部
6 大字下保谷字西新田、字中西台の各一部
中町 なかまち 2001年1月21日 1967年1月1日 1 大字上保谷字苗木山、字荒井竹、字三軒家の各一部
2 大字上保谷字三軒家の一部
3 大字上保谷字天神山の全部
4 大字上保谷字鳥久保の一部
5 大字上保谷字鳥久保の一部
6 大座上保谷字苗木山の一部
富士町 ふじまち 2001年1月21日 1965年5月1日 1 大字上保谷字関道、字桶久保の各一部
2 大字上保谷字一里塚の全部
3 大字上保谷字高塚の一部
4 大字上保谷字高塚、字下柳沢の各一部
5 大字上保谷字下柳沢、字関道の各一部
6 大字上保谷字千駄山、字桶久保の各一部
保谷町 ほうやちょう 2001年1月21日 1965年5月1日 1 大字上保谷字桶久保、字平松、字荒井竹の各一部 合併時に「本町」から名称変更
2 大字上保谷字千駄山、字桶久保の各一部
3 大字上保谷字柳沢、字立野の各一部
4 大字上保谷字柳沢、字西浦の各一部
5 大字上保谷字西浦の一部
6 大字上保谷字桶久保、字立野、字平松の各一部
東伏見 ひがしふしみ 2001年1月21日 1966年5月1日 1 大字上保谷字千駄山の一部
2 大字上保谷字千駄山、字下柳沢、字下野谷の各一部
3 大字上保谷字下柳沢、字下野谷の各一部
4 大字上保谷字坂上の一部
5 大字上保谷字坂上、字上柳沢、大字上保谷新田字坂上の各一部
6 大字上保谷字下野谷の一部
柳沢 やぎさわ 2001年1月21 1966年5月1日 1 大字上保谷字柳沢の一部
2 大字上保谷字上柳沢、大字上保谷新田字坂上の各一部
3 大字上保谷新田字坂上、字葭窪北台の各一部
4 大字上保谷新田字葭窪北台の一部
5 大字上保谷字上柳沢、大字上保谷新田字葭窪北台の各一部
6 大字上保谷字柳沢の一部
新町 しんまち 2001年1月21日 1967年1月1日 1 大字上保谷新田字シラシクボ通の全部、字大日堂、字鎮守前の各一部
2 大字上保谷新田字大日堂、字鎮守前、字鎮守台の各一部
3 大字上保谷新田字大日堂、字鎮守台、字堀分北、字新橋道東の各一部
4 大字上保谷新田字鎮守台、字堀分北の各一部
5 大字上保谷新田字堀分北、字新橋道東の各一部
6 大字上保谷新田字新橋道西の全部
田無地域
町名 町名の読み 設置年月日 住居表示実施年月日 丁目 住居表示実施直前の字名[3] 備考
谷戸町 やとちょう 2001年1月21日 1967年10月1日 1 字谷戸の一部
2 字谷戸の一部
3 字谷戸の一部
緑町 みどりちょう 2001年1月21日 1967年10月1日 1 字西原、字北原、字谷戸の一部
2 字西原の一部
3 字谷戸の一部
北原町 きたはらちょう 2001年1月21日 1967年10月1日 1 字柳沢、字北原の各一部
2 字北原の一部
3 字北原の一部
西原町 にしはらちょう 2001年1月21日 1967年10月1日 1 字下宿、字上宿の各一部
2 字上宿の一部
3 字北芝久保、字西原の各一部
4 字北芝久保、字西原の各一部
5 字西原の一部
田無町 たなしちょう 2001年1月21日 1966年9月1日 1 字柳沢、字北原の各一部 合併時に「本町」から名称変更
2 字柳沢、字下宿の各一部
3 字柳沢、字下宿の各一部
4 字下宿、字南芝久保、字上宿の各一部
5 字下宿、字上宿の各一部
6 字上宿の一部
7 字上宿の一部
南町 みなみちょう 2001年1月21日 1966年9月1日 1 字柳沢の一部
2 字柳沢の一部
3 字下宿、字下向台の各一部
4 字下宿、字下向台の各一部
5 字下宿の各一部
6 字南芝久保、字上宿の各一部
向台町 むこうだいちょう 2001年1月21日 1968年9月1日 1 字柳沢、字下向台の各一部
2 字下向台の一部
3 字下向台、上向台の各一部
4 字上向台の一部
5 字上向台の一部
6 字上向台の一部
芝久保町 しばくぼちょう 2001年1月21日 1968年9月1日 1 字南芝久保の一部
2 字南芝久保の一部
3 字北芝久保の一部
4 字北芝久保の一部
5 字北芝久保の一部

合併時の町名変更

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前述の通り、2001年の合併時、基本的に旧保谷市、旧田無市の町名をそのまま継承した。ただし、両市に同じ町名が存在した「本町」はいずれも町名を変更し、また、田無市ひばりが丘団地は「ひばりが丘」に編入されている。

  • 保谷市本町一〜六丁目 ⇒ 西東京市保谷町一〜六丁目
  • 田無市本町一〜七丁目 ⇒ 西東京市田無町一〜七丁目
  • 田無市ひばりが丘団地 ⇒ 西東京市ひばりが丘三丁目2番

旧字名

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旧保谷市では住居表示の際に殆どの地名が失われており、町名として残っているのは、大字では「下保谷」、小字では「柳沢」のみである。失われた字名の一部はバス停や交差点などの名称として残っている。対照的に、旧田無市の字名の多くは住居表示後の町名に引き継がれている。

保谷地域
大字 小字 成立年[2][4] 廃止年 現町名 字名の由来など 備考
下保谷 中西台 江戸期 1967 東町5, 6 中西様(保谷出雲守)屋敷跡との伝承[5]
東新田 江戸期 1967 東町4 下保谷村の新田[5](17世紀中期までに開発された比較的古い新田[6]
西新田 江戸期 1967 東町1, 6
北新田 江戸期 1967 東町1, 3, 4
南荒屋敷 江戸期 1968 下保谷4, 東町3 荒屋敷は新屋敷との説あり[5]
中荒屋敷 江戸期 1968 下保谷3 遺跡名に残る
北荒屋敷 江戸期 1968 北町4, 5 バス停名(はなバス)に残る
南松ノ木 江戸期 1968 下保谷1, 5, 泉町6, 東町2, 3 大きな松の木がある家があった[7]
東松ノ木 江戸期 1968 下保谷2, 5 バス停名(はなバス)に残る
西松ノ木 江戸期 1968 下保谷1, 2, 東町2
南入 江戸期 1968 住吉町5, 栄町1 入は湧水の出るところの意[7] 遺跡名(南入経塚)に残る
東入 江戸期 1968 ひばりが丘北2, 北町2, 栄町3
西入 江戸期 1968 栄町2
入後 江戸期 1968 ひばりが丘北2
中島 江戸期 1968 住吉町4, 栄町1
坊ヶ谷戸 江戸期 1968 北町1, 2, 下保谷2 公園名に残る
南宮ノ脇 江戸期 1968 下保谷2, 5 宮は天神社の意[5] バス停名(はなバス)に残る
北宮ノ脇 江戸期 1968 北町4, 5, 下保谷3 バス停名(はなバス)、遺跡名、公園名に残る
上前 江戸期 1968 北町1, 2, 6, 下保谷2 上は天神社の神の意[5] バス停名(はなバス)、遺跡名に残る
上後 江戸期 1968 北町2, 3 バス停名(はなバス)に残る
北原 江戸期 1968 ひばりが丘1, ひばりが丘北4 下保谷新田の地域。原は広々とした雑木林と原の地域であったため[5]
中原 江戸期 1967 ひばりが丘1, 2 小学校名に残る
南原 江戸期 1967 ひばりが丘2-4
大南新田 江戸期 1967 ひばりが丘4
上保谷 上柳沢 1966 東伏見5, 柳沢2, 5 石神井川流域の柳の多く繁茂していた地域[5]
柳沢 江戸期 1966 保谷町3, 4, 柳沢1, 6
下柳沢 江戸期 1966 富士町4, 5, 東伏見2, 3 遺跡名に残る
坂上 江戸期 1966 東伏見4, 5 バス停名、交差点名に残る(東伏見坂上)
下野谷 1966 東伏見3, 4, 6 遺跡名、公園名に残る
高塚 江戸期 1965 富士町3, 4 庚申塚のことか[5] バス停名、交差点名に残る
一里塚 江戸期 1965 富士町2 富士街道一里塚地点[5]
千駄山 1966 富士町6, 保谷町2, 東伏見1, 2 葦が千駄も取れると言われる藪があった[5] バス停名に残る(千駄山住宅前)
桶久保 江戸期 1965 富士町1, 6, 保谷町1, 2, 6 バス停名に残る
立野 江戸期 1965 保谷町3, 6
西浦 江戸期 1965 保谷町4, 5 バス停名に残る
関道 1965 富士町1, 5 上保谷村と関村をつなぐ道[5]
平松 江戸期 1965 保谷町1, 6 バス停名に残る
大門 江戸期 1867 泉町2, 3, 4 如意輪寺の大門[5][6]
荒井竹 江戸期 1967 泉町2, 3, 中町1, 保谷町1 バス停名に残る
苗木山 江戸期 1967 泉町3, 中町1, 6
鳥久保 江戸期 1967 中町4, 5 バス停名に残る
上宿 江戸期 1967 住吉町1, 泉町1 上は神の意を含む[5] 遺跡名(上保谷上宿)に残る
入道 1968 ひばりが丘北1, 2, 住吉町3, 4, 栄町1
又六 江戸期 1968 ひばりが丘1, ひばりが丘北3, 住吉町1-3, 6 道が六又に交わっていた[6]
天神山 1967 中町3 天神をまつる祠あり[5] バス停名、交差点名に残る
三軒家 江戸期 1967 泉町3, 5, 中町1, 2 この辺りには三軒しか家が無かった[7] バス停名に残る
山合 江戸期 1967 住吉町1, 5, 6, 泉町5, 6
上保谷新田 シラシクボ通 1967 新町1
大日堂 1967 新町1-3 大日如来をまつる御堂[5]
鎮守前 1967 新町1, 2 鎮守は阿波洲神社の意[5]
鎮守台 1967 新町2-4
堀分北 1967 新町3-5 堀分は玉川上水と仙川上水の分岐点[5]
新橋道東 1967 新町3, 5 新橋は玉川上水にかかる橋[5]
新橋道西 1967 新町6
坂上 1966 東伏見5, 柳沢2, 3
葭窪北台 1966 柳沢3-5 葭は葦・蘆の意[6]
田無地域
成立年[1][2] 廃止年 現町名 字名の由来など 備考
柳沢 江戸期 1967 北原町1, 田無町1-3, 南町1, 2
上宿 1879 1967 西原町1, 2, 田無町4-7, 南町6 バス停名に残る
下宿 1879 1967 西原町1, 田無町2-5, 南町3, 4, 5 遺跡名、自治会名に残る
下向台 1879 1968 南町3, 4, 向台町1-3
上向台 1879 1968 向台町3-6 小学校名、バス停名に残る
南芝久保 1879 1968 田無町4, 南町6, 芝久保町1, 2
北芝久保 1879 1968 西原町3, 4, 芝久保町3, 4, 5
西原 1879 1967 緑町1, 2, 西原町3-5, ひばりが丘3
北原 1879 1967 緑町1, 北原町1-3, 田無町1
谷戸 江戸期 1967 谷戸町1-3, 緑町1, 3, ひばりが丘3

脚注

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  1. ^ a b c 角川日本地名大辞典
  2. ^ a b c 田無・保谷の歴史P27-28
  3. ^ a b 新旧対照町名 - 東京市町名沿革史 -
  4. ^ 保谷の昔と村人たちP41
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 保谷ところどころ p36-38
  6. ^ a b c d 保谷の地名関連資料
  7. ^ a b c ホウホウほうやこどもちいきしりょう

参考文献

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  • 『角川日本地名大辞典 13.東京都』角川書店、1978年
  • 下田五郎『田無・保谷の歴史』2013年
  • 『新旧対照町名 - 東京市町名沿革史 -』明治文献、1974年
  • 片桐譲『保谷の昔と村人たち』1999年
  • 保谷市『保谷ところどころ』1990年
  • 保谷市図書館『保谷の地名関連資料』
  • 保谷市『ホウホウほうやこどもちいきしりょう』2000年