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覚樹院

江戸時代の日本の女性、江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の側室

覚樹院(かくじゅいん、元禄10年(1697年) - 安永6年11月28日1777年12月27日))は、江戸幕府8代将軍・徳川吉宗側室。俗名は久免(くめ)。

生涯編集

紀州藩稲葉定清の娘として生まれる。吉宗の紀州藩主時代からの側室であるお梅の方お古牟の方が立て続けに亡くなると、和歌山城で吉宗の生母である浄円院の世話をしていた久免が側室として迎えられた。

吉宗が将軍となって後、享保6年(1721年)に芳姫(正雲院)を出産するが、翌享保7年(1722年)に夭折した。寛延4年(1751年)、吉宗の没後に出家し、覚樹院と号する。

安永6年(1777年11月28日、81歳で死去する(82歳であったという説もある)。戒名は覚樹院曜譽光記智仙大禅定尼、後に教樹院曜譽光託智仙大禅定尼と改めた。墓所は小石川伝通院

登場する作品編集

脚注編集

参考文献編集