親任官

旧憲法下の官吏の階級の最高位

親任官(しんにんかん)は、1886年(明治19年)に設けられた官吏の分類の一つで[1]明治憲法の下で用いられ1948年(昭和23年)に廃止した[2]官僚制度における最高の位置付けにあり高等官の中の勅任官に含まれた。天皇親任式を経て任命され、官記には天皇が親署する。親任官と勅任官に対しては、敬称閣下を用いた。

親任官の位置づけ

なお、日本国憲法下においても、内閣総理大臣最高裁判所長官は親任式で天皇から任命されるが、同憲法施行に伴って親任官が廃止されたため[3]、現在「親任官」と呼ばれる官等は存在しない。

親任官編集

沿革編集

1886年(明治19年)3月高等官官等俸給令編集

1885年(明治18年)12月22日に内閣職権を定めて太政官制から内閣制に転換した後、1886年(明治19年)3月12日に高等官官等俸給令(明治19年勅令第6号)を定めて高等官を勅任官と奏任官に分け、勅任官の中に親任式を以って叙任する官を設けた[4]。 親任式を以って叙任する官の辞令書は親署の後、御璽を押し内閣総理大臣又は首座の大臣がこれを副署することにした[4]。 親任式を以って叙任する官は内大臣、内閣総理大臣、宮内大臣、各省大臣、元老院議長、陸軍大将、海軍大将、参謀本部長、近衛都督とした[5]。 1887年(明治20年)に位階について叙位条例を定めたときの[6]叙位進階内規では親任官の初叙位若しくは進級はこの内規の限りにあらずとされた[7]。 1888年(明治21年)に勲章について叙勲条例並びに附則を廃止して文武官叙勲内則を定めたときの規定では、親任官の初叙は勲二等とし勲一等まで進むことできた[8]

1891年(明治24年)7月高等官任命及俸給令編集

1889年(明治22年)2月11日に大日本帝国憲法を発布すると、同年12月24日に内閣官制(明治22年勅令第135号)を定め、勅任官の任命及び採用・離職は閣議を経ることになる[9]

1890年(明治23年)11月29日に施行した大日本帝国憲法の下で、1891年(明治24年)7月24日に高等官任命及俸給令(明治24年勅令第82号)を定めて従前の高等官官等俸給令(明治19年勅令第6号)を廃止する[10]。文武官の官等を廃止しているが、引き続き勅任官の中で親任式を以って任ずる官が規定され、辞令書の手続きも変更はない[11] [12]

1891年(明治24年)11月文武高等官官職等級表編集

同年11月14日に文武高等官官職等級表(明治24年勅令第215号)を定めて高等官の官職を10等の等級に分け、勅任は一等から三等までとし、このうち一等は勅任官の中で親任式を以って任ずる官である内閣総理大臣・各大臣[5]枢密院議長・副議長・枢密顧問官[13]、陸海軍大将[5]、並びに親補職の参謀総長[14]監軍[15]、親任官及び親補職を除く他の勅任官である大審院[注釈 1]とした[18]。 この高等官の官職の等級は叙位進階内則では叙位の規準として用いられ、内閣総理大臣・各大臣・枢密院議長・陸海軍大将・参謀総長の初叙は正三位相当とし、枢密院副議長・枢密顧問官・監軍の初叙は従三位相当とし、相当位以上2階を極位とした[19]。 また、叙勲内則でも叙勲の規準として用いられ、諸大臣・枢密院議長・陸海軍大将及びその他高等官一等の官職の初叙は勲二等とし勲一等まで進むとした[20]。 しかし、高等官任命及俸給令(明治24年勅令第82号)で官等を廃止したため、等級を定めるにあたっては俸給だけを基準にせざるを得ず本来の精神は却って失われることになる[21]

1892年(明治25年)11月高等官官等俸給令編集

1892年(明治25年)11月12日に高等官官等俸給令(明治25年勅令第96号)で再び官等を定めて、従前の高等官任命及俸給令(明治24年勅令第82号)及び文武高等官官職等級表(明治24年勅令第215号)を廃止した[22]。 親任式を以って任ずる官を除き他の高等官を9等に分け、親任式を以って任ずる官及び一等官・二等官を勅任官とし、辞令書の手続きに変更はない[23]。 官等と俸給とはその基準は必ずしも同じではないことから、高等官官等俸給令(明治25年勅令第96号)では官等・俸給は各自その当然の基準によって発達させることを目的として、俸給に於いては明治24年の制度を受け継ぎ官等に於いては明治24年の改革以前の官制を基準にした[21]。 これに伴い、文武官叙位進階内則を改定して官等を叙位の規準とし、参謀総長の初叙は正三位から従三位に移したこれは監軍と同じく一等官より親補させる官であるためで、また大審院長の初叙は正四位から従三位に移したこれは準親補であり監軍等に近く会計検査院長より重いと判断したためである[24]。 叙勲内則を改定して官等を叙勲の規準とし、諸大臣・枢密院議長・陸海軍大将及びその他の親任官の初叙は勲二等とし勲一等まで進むとした[25]

1900年(明治33年)に文武官叙位進階内則を改定し、高等官は新任昇等後満1箇月を経過してからその初叙位の位記を賜うところ、親任官は1箇月の経過を要せずにその初叙位の位記を賜うことになる[26]。また、内閣総理大臣・各省大臣・枢密院議長・陸海軍大将の初叙は正四位、極位は正二位とし、その他の親任官及び親任待遇の初叙は従四位、極位は従二位とした[27] [注釈 2]

1946年(昭和21年)4月官吏任用叙級令編集

1945年(昭和20年)の敗戦の後、1946年(昭和21年)4月1日に官吏任用叙級令(昭和21年勅令第190号[29])を公布・施行したときに、高等官官等俸給令の廃止等が行われ高等官・勅任官・奏任官を廃止したが[30]、親任式を以って任ずる官については残置した[29] [31]

1948年(昭和23年)5月3日に日本国憲法を施行したときに、親任式を以って任ずる官を廃止した[3]

文官編集

内閣総理大臣対満事務局総裁枢密院議長、枢密院副議長、枢密顧問官、内大臣宮内大臣国務大臣[注釈 3]特命全権大使大審院長[注釈 4]検事総長[注釈 4]会計検査院長[注釈 5]行政裁判所長官[注釈 6]朝鮮総督[注釈 7]朝鮮総督府政務総監台湾総督[注釈 8]神宮祭主企画院総裁東京都長官地方総監など

武官編集

陸軍大将海軍大将

親補職編集

武官文官と趣を異にして任官[注釈 12]と職務の命課[注釈 13]を区別しており[注釈 14]、この考え方を前提に1890年(明治23年)12月2日以後は親任官となる武官はあくまでも陸海軍大将とした[注釈 15] [注釈 4]

1890年(明治23年)11月29日に施行した大日本帝国憲法の下で、同年12月2日に参謀本部条例(明治22年勅令第25号[53])並びに監軍部条例(明治20年勅令第18号[54])を改正し、陸軍大将若しくは陸軍中将1人を帝国全軍の参謀総長に親補するとし[14]、また監軍部に監軍1人を置き大将若しくは中将を以ってこれに親補するとした[15]ことで親補職が置かれた[注釈 16]。 これにより、天皇の親補式によって補職する「親補職(しんぽしょく)」を設けた。

1896年(明治29年)5月1日に「親補ノ職ニ在ル者及会計検査院長待遇ノ件」(明治29年勅令第160号)により、親補の職に在る者は親任官の待遇を賜うことになる[36]

親補職となる職は陸海軍の諸官制で定められ、当該職に在任中は親任官の待遇を受けた[56]。階級についての規定はないが、陸海軍の諸官制で「親補職には大将もしくは中将を補する」旨が定められていたため、少将以下が親任官待遇となることはあり得なかった[注釈 17]。唯一の例外は常時中将の指定職となっている師団長[58]であるが、これは平時における最大の編制単位として天皇に直隷するためにこの職位となっていた[59]。また、陸軍大臣および海軍大臣は武官として親補職であると同時に文官として親任官であるため、就任者が中将であっても大将に対し行政命令を発することができた[60]

主な親補職編集

軍事参議官[56][61]

陸軍編集

陸軍大臣[56][61][注釈 18]参謀総長[56][61]教育総監[56]陸軍航空総監[56][63]総軍総司令官方面軍司令官軍司令官[56][61]支那駐屯軍司令官は、1936年(昭和11年)5月1日[64] - 1937年(昭和12年)8月26日[65])、師団長[56][61]軍管区司令官[66][67]1945年(昭和20年)2月に新設[67])、東京警備司令官関東戒厳司令官東京防禦総督東京衛戍総督侍従武官長[56][注釈 19]

海軍編集

海軍大臣[56][61][注釈 18]軍令部総長[56][61]海軍総司令長官[69]艦隊司令長官[56][61]連合艦隊司令長官も、艦隊司令長官)、鎮守府司令長官[56][61]海上護衛司令長官[70]警備府司令長官[注釈 20]舞鶴要港部司令官[73][74]1936年(昭和11年)7月1日[74] - 1941年(昭和16年)11月20日[71][72])、舞鶴以外の要港部司令官[75][76]1938年(昭和13年)11月14日[75][76] - 1941年(昭和16年)11月20日[71][72])、独立艦隊司令官[注釈 21][77](1938年(昭和13年)11月14日 - [77])

親任官待遇編集

親任官の待遇を賜る官職編集

1896年(明治29年)5月1日に「親補ノ職ニ在ル者及会計検査院長待遇ノ件」(明治29年勅令第160号)により、親補の職に在る者及び会計検査院長は親任官の待遇を賜うことになる[36] [注釈 5]

1898年(明治31年)7月18日に行政裁判所長官は親任官の待遇を賜うことになる[39] [注釈 6]

1910年(明治43年)8月29日に朝鮮総督府を設置した際に、旧韓国政府に属する官庁で朝鮮総督府の所属官署と見做したものに在勤中の官吏について、旧韓国法規で親任官であったものは親任官の待遇とした[79]。 同年9月29日に朝鮮総督府中枢院を設けて副議長を置き親任待遇とした[80]

1911年(明治44年)7月28日に日本大博覧会会長は親任官の待遇を賜うとした[81]

1916年(大正5年)4月14日に連合国経済会議に参列させる臨時職員のうち連合国経済会議特派委員長は親任官の待遇を受けるとした[82]

1921年(大正10年)3月26日に朝鮮総督府中枢院の顧問を親任待遇とした[83]

1927年(昭和2年)6月14日に行政制度審議会を設け、委員の待遇は官職に在るときはその官職に付き受ける待遇により、その他は親任官の待遇とした[84]。 同年12月7日に東京控訴院長である判事には親任官の待遇を賜うことになる[85]

1931年(昭和6年)6月20日に臨時行政財政審議会を設け、委員のうち学識経験者は親任官の待遇とした[86]

1938年(昭和13年)9月9日に臨時に外務省に外交顧問を置き親任官の待遇とした[87]

1944年(昭和19年)10月27日に臨時に内閣に内閣顧問を置き親任官の待遇とした[88]

特に親任官の待遇を賜る者編集

特定の職にある者について、一定の年数以上在職した者や特に功績があった者は、その職自体が親任官の職とはされないものの、「親任官待遇付与奏請内規」に基づいて、親任官の待遇を与えられることがあった。同内規によれば、各帝国大学総長、北海道庁長官、警視総監、各府県知事、各省次官、内閣書記官長、法制局長官、陸軍司政長官、海軍司政長官、陸軍事務嘱託、海軍事務嘱託に一定年数在任した者が挙げられている。この他、賞勲局総裁、特命全権公使、東京工業大学長、製鉄所長官、神宮大宮司などの職にある者にも、親任官待遇が付与されることがあった。「親任官待遇付与奏請内規」(昭和17年4月28日決定)の主な内容は以下の通り。

親任官待遇付与奏請内規(昭和17年4月28日決定)[89]
親任官待遇付与奏請内規左の通りこれを定む。
勅任文官にして左の各号の一に該当し功績特に顕著なる者に対しては、特に親任官の待遇を賜うの奏請をなすことを得。
  1. 帝国大学総長並びに京城及び台北帝国大学総長にして、一等官在職8年以上に達したる者。
  2. 北海道庁長官、警視総監又は各府県の知事たる職に在り、一等官在職6年以上に達したる者。
  3. 各省次官等にして、一等官在職6年以上に達したる者。
  4. 全各号以外の勅任文官にして、一等官在職15年以上に達したる者。
  5. 第1号又は第2号により親任官の待遇を賜う者の員数は、各3人以内とす。
内閣書記官長又は法制局長官にしてその官歴又はその他の閲歴特に優秀なる者に付きては、特に親任官の待遇を賜うの奏請をなすことを得。
陸軍司政長官、海軍司政長官、陸軍事務嘱託又は海軍事務嘱託にして軍占領地における枢要の職に在り識見経歴特に優秀なる者に付きては、特に親任官の待遇を賜うの奏請をなすことを得。
かつて親任官たりし者又は親任官の待遇を賜りたる者に対しては、特に親任官の待遇を賜うの奏請をなすことを得。
「特に親任官の待遇を賜ふ」という辞令が出た具体例
片岡七郎海軍艦政本部長海軍中将)、1906年(明治39年)11月20日[90]
後藤新平拓殖局副総裁)、1910年(明治43年)6月20日[91]
一木喜徳郎(法制局長官)、1912年(大正元年)12月21日 [92]
清野長太郎復興局長官)、1925年(大正14年)9月16日[93]
真崎甚三郎(参謀次長陸軍中将)、1932年(昭和7年)1月7日[94]
井上成美(海軍次官・海軍中将)、1944年(昭和19年)8月4日[95]

帝国陸軍における軍事参議官制度の「悪用」編集

帝国陸軍では、親補職にあった中将が、親補職でない職に就く際に、「格下げ」としないため、親補職たる軍事参議官を本職、親補職でない職を兼勤させる例があった。最後の陸軍省人事局長であった額田坦中将は「これは軍事参議官制度の悪用というべきであろう」と評している。[96]

具体例。

鈴木孝雄
陸士2期1924年(大正13年)2月に第14師団長に親補される。同年8月に陸軍技術本部長(非親補職)に転じる。1926年(大正15年)7月に軍事参議官に親補され、引き続き、陸軍技術本部長を兼勤。1927年(昭和2年)7月に大将に親任される。1928年(昭和3年)3月8日、陸軍技術本部長の兼勤を免じられ、軍事参議官の専任となる。1933年(昭和8年)3月に予備役。(軍事参議官が本官であった期間:6年8か月)
土肥原賢二
陸士16期1937年(昭和12年)3月に第14師団長に親補される。1938年(昭和13年)6月に参謀本部付。1939年(昭和14年)5月に第5軍司令官に親補される。1940年(昭和15年)6月に参謀本部付、同年9月に軍事参議官に親補され、同年10月に陸軍士官学校長(非親補職)を兼勤。1941年(昭和16年)4月に大将に親任される。同年6月、軍事参議官 兼 陸軍士官学校長から、航空総監に親補される。(軍事参議官が本官であった期間:9か月)
篠塚義男
陸士17期1938年(昭和13年)6月に第10師団長に親補される。1939年(昭和14年)9月に第1軍司令官に親補される。1941年(昭和16年)7月に軍事参議官に親補され、陸軍士官学校長(非親補職)を兼勤。1942年(昭和17年)7月に依願[97]予備役。(軍事参議官が本官であった期間:1年)

前官礼遇編集

親任官のうち、内閣総理大臣・国務大臣・枢密院議長・宮内大臣・内大臣の職にあった者は、一定の年数以上在職した場合、退官の後に特に勅旨を以て、前官の礼遇を付与されることがあった。前官の礼遇を受けると、宮中席次などで優遇を受けた。

内閣総理大臣、枢密院議長又は国務大臣たる前官礼遇付与奏請内規(昭和14年9月6日裁可)
内閣総理大臣、枢密院議長又は国務大臣たる前官礼遇付与奏請内規を左の通り定む
  1. 内閣総理大臣たる前官の礼遇は左に掲げる者にこれを賜う
    1. 内閣総理大臣を退官したる際、左の各号の一に該当する者
      1. 内閣総理大臣在職4年以上の者
      2. 内閣総理大臣たること2回以上の者
      3. かつて枢密院議長、国務大臣、宮内大臣又は内大臣たる前官の礼遇を賜りたる者
    2. 内閣総理大臣以外の親任官(親任官たる宮内省を含む)を退官したる際、かつて内閣総理大臣たる前官の礼遇を賜り、もしくは内閣総理大臣たりし者にして内閣総理大臣たる前官の礼遇を賜るべき資格ありたる者
  2. 国務大臣たる前官の礼遇は左に掲げる者にこれを賜う
    1. 国務大臣を退官したる際、左の各号の一に該当する者
      1. 国務大臣在職4年以上の者
      2. かつて国務大臣、宮内大臣又は内大臣たる前官の礼遇を賜りたる者
    2. 国務大臣(内閣総理大臣を除く)以外の親任官(宮内大臣、内大臣以外の親任官たる宮内官を含む)を退官したる際、かつて国務大臣たりし者にして国務大臣、宮内大臣又は内大臣たる前官の礼遇を賜り、もしくは賜るべき資格ありたる者
  3. 枢密院議長たる前官の礼遇は左に掲げる者にこれを賜う
    1. 枢密院議長を退官したる際、左の各号の一に該当する者
      1. 枢密院議長在職4年以上の者
      2. 枢密院議長たること2回以上の者
      3. かつて国務大臣、宮内大臣又は内大臣たる前官の礼遇を賜りたる者
    2. 内閣総理大臣、枢密院議長以外の親任官(親任官たる宮内官を含む)を退官したる際、かつて枢密院議長たる前官の礼遇を賜り、もしくは枢密院議長たりし者にして枢密院議長たる前官の礼遇を賜るべき資格ありたる者
  4. 全各号の在職年数には内閣総理大臣、枢密院議長及び他の国務大臣並びに宮内大臣及び内大臣の在職年数を、回数には内閣総理大臣及び枢密院議長たりし回数を各通算す。ただし、内閣総理大臣以外の官の在職年数を内閣総理大臣の在職年数に通算する場合においては3年以上の在職年数はこれを3年とみなし、枢密院議長以外の官の在職年数を枢密院議長の在職年数に通算する場合においては3年以上の在職年数はこれを3年とみなし各通算す。
  5. 内閣総理大臣1年以上在職したる者他の国務大臣となり退官の際国務大臣たる前官の礼遇を賜うの資格ある場合においては特に内閣総理大臣たる前官の礼遇を賜い、枢密院議長1年以上在職したる者国務大臣となり退官の際国務大臣たる前官の礼遇を賜うの資格ある場合においては特に枢密院議長たる前官の礼遇を賜う。
  6. 宮中席次の異なる官の前官の礼遇2以上の資格ある場合においては宮中席次の高き官の前官の礼遇を賜う。
  7. 内閣総理大臣、枢密院議長又は国務大臣と宮内大臣又は内大臣とを歴任し宮内大臣又は内大臣を退官したる際第4号本文の規定により各官の在職年数を通算して4年以上にわたる者に付きては時宜により内閣総理大臣、枢密院議長又は国務大臣たる前官の礼遇を賜う。


脚注編集

[脚注の使い方]

注釈編集

  1. ^ 明治24年の大審院長は勅任判事の中より天皇がこれを補すとし[16]、準親補と見なされた[17]
  2. ^ この改正はその頃の任用上の結果として高位濫授の誹りを免れぬものがありこれらの弊はこの上なくこれを矯正しないわけにはいかないため、親任官以下初叙の位階を更正するとした[28]
  3. ^ 文官としての立場での陸軍大臣および海軍大臣も含む。
  4. ^ a b c 司法官である判事・検事も、陸海軍将校と同様に終身官であるため官と職を分離しており、明治23年に裁判所構成法を制定した当初は大審院長は勅任判事の中より天皇がこれを補すとし、検事総長の職は司法大臣の上奏により勅任検事の中よりこれを補すとしていた[32]。大正3年4月15日法律第39号による改正で大審院長は親任判事を以ってこれを親補するとし、また検事総長は勅任判事を以ってこれを親補することになる[33]。そして、大正10年5月18日法律第101号による改正で検事総長についても親任検事を親補することになった[34]
  5. ^ a b 明治22年に会計検査院法を制定した当初は院長は勅任としており[35]、明治29年勅令第160号により会計検査院長は親任官の待遇を賜うことになり[36]、大正5年法律第36号による改正で院長は親任とすることになる[37]
  6. ^ a b 明治23年に行政裁判法を制定した当初は長官は勅任としており[38]、明治31年勅令第162号により行政裁判所長官は親任官の待遇を賜うことになり[39]、大正5年法律第37号による改正で長官は親任とすることになる[40]
  7. ^ 官制で陸海軍大将を任用することになっていた[41]、後には文官からの任用も可となったが実際には最後まで陸海軍大将が任用された
  8. ^ 官制で陸海軍大将若しくは中将を任用することになっていたが[42]、後には文官からの任用も可となり[43]、実際に文官の総督が任用された。
  9. ^ 待命は海軍だけにあり陸軍にはない[44] [45]
  10. ^ a b 現役を分けて在職・待命[注釈 9]・休職・停職とした[44] [45]
  11. ^ a b 陸海軍将校分限令(明治21年勅令第91号)で現役[注釈 10]・予備・後備・退役を定める以前は、陸軍将校免黜条例や海軍将校准将校免黜条例により在職・待命・非職・退職・罷役とした[46] [47]
  12. ^ 特に将校については終身官であって理由なくその官階を失うことはなく、その代わりに現役[注釈 10]・予備・後備・退役とした[44] [45] [注釈 11]
  13. ^ 将校及び下士並びに相当官は、その隊に属しあるいはその事務を司ること職務といい、これを命ずることを課するといい、これを拝することを就職といい、これを免ずることを免職といい、この職より彼の職に転じることを転職といい、この職に在って彼の職を兼ねることを兼職という[48]
  14. ^ 明治16年に武官官記及び職記式を定めたときの参事院稟議によると、その一で理由を挙げ文官の場合は位階はその身に属し官級は職に属すのに対して、武官については将校は終身官であり官はあっても職がない非職・停職・解職のような者、官はあるが暇が多い後備軍・国民軍の将校、既に軍事に服さない退職・罷役の将校があり[注釈 11]、武官の官階はほとんど位階・勲等に類するものとした[49]。その二ではフランスの制度を例に官階 (grade) について文官はその職に属し武官はその身に属するとした[50]。その三ではその一とその二の理由により武官の官名はすべて官階と定め文官の官名と分け、武官に官職を命ずるには官記式に従前と同様に任に字を用い、職記式には総て補の字を用いることに改めたいとし、職を命ずるには補の字を用いる古例があるとした[51]職原抄の中から職を命ずるのに補の字を用いる例として検非違使奨学院別当蔵人を挙げた[52]
  15. ^ 明治19年に初めて親任官を定めたときは、参謀本部長と近衛都督を親任官とした[5]
  16. ^ 海軍でも1893年(明治26年)5月19日に定めた海軍軍令部条例(明治26年勅令第37号)により、海軍大将若しくは海軍中将を以って海軍軍令部長に親補するとした[55]
  17. ^ 終戦直前に、本土決戦用の急造師団の師団長に片倉衷久米精一らの陸軍少将を充当したが、師団長心得の扱いとし、親補式は執り行われなかった[57]
  18. ^ a b 雨倉孝之は「勅任官の高等官1等である陸海軍中将が大臣になると親任官に昇格した。中将のまま大臣を退任すると『親任官から勅任官に逆戻りする』という妙な形になった」旨を述べている[62]
  19. ^ 「侍従武官長には陸海軍大中将を親補する」旨が侍従武官官制(明治29年勅令113号)で定められていたが、実際には陸軍大中将が補職された[68]
  20. ^ 昭和13年11月14日以降は、全ての要港部司令官が親補職であった。昭和16年11月11日に要港部令を改正し、「要港部令」「要港部」「要港部司令官」をそれぞれ「警備府令」「警備府」「警備府司令長官」に、同年11月20付で改めたもの[71][72]
  21. ^ 「艦隊令(大正3年11月30日公布、昭和13年11月14日改正)」4条4項には「独立艦隊司令官」とある[77]。「独立艦隊司令官」には、練習艦隊司令官が該当した[78]

出典編集

  1. ^ 「御署名原本・明治十九年・勅令第六号・高等官官等俸給令」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020001000、御署名原本・明治十九年・勅令第六号・高等官官等俸給令(国立公文書館)
  2. ^ 「官吏任用叙級令の一部を改正する等の政令・御署名原本・昭和二十二年・政令第一〇号」国立公文書館、請求番号:御30662100(第2画像目から第4画像目まで)
  3. ^ a b 「官吏任用叙級令の一部を改正する等の政令・御署名原本・昭和二十二年・政令第一〇号」国立公文書館、請求番号:御30662100(第2画像目から第5画像目まで)
  4. ^ a b JACAR:A15111088500(第3画像目)
  5. ^ a b c d 「高等官ヲ分テ勅任官奏任官トシ勅任官中親任ノ官ヲ定ム」JACAR(アジア歴史資料センター)JACAR:A15111105400、公文類聚・第十編・明治十九年・第六巻・官職五・選叙任罷(国立公文書館)
  6. ^ 「叙位条例ヲ定ム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15111286000、公文類聚・第十一編・明治二十年・第六巻・儀制門・朝儀・礼式・服制・徽章、族爵門・種族・爵位・勲等(国立公文書館)
  7. ^ 「叙位進階内規ヲ定ムニ依リ内閣総理大臣ヲ経テ上奏セシム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15111286100、公文類聚・第十一編・明治二十年・第六巻・儀制門・朝儀・礼式・服制・徽章、族爵門・種族・爵位・勲等(国立公文書館)(第4画像目)
  8. ^ 「叙勲条例並ニ附則ヲ廃シ文武官叙勲内則ヲ定ム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15111493500、公文類聚・第十二編・明治二十一年・第六巻・儀制・朝儀・礼式・服制・徽章、族爵・種族・爵位・勲等(国立公文書館)(第7画像目から第8画像目まで、第20画像目、第36画像目、第48画像目)
  9. ^ 「内閣官制ヲ定ム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15111667400、公文類聚・第十三編・明治二十二年・第二巻・官職一・職制章程(国立公文書館)(第8画像目)
  10. ^ JACAR:A15112241100
  11. ^ JACAR:A15112241100(第1画像目)
  12. ^ JACAR:A15112241300(第3画像目)
  13. ^ 「御署名原本・明治二十一年・勅令第二十二号・枢密院官制及事務規程」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020021200、御署名原本・明治二十一年・勅令第二十二号・枢密院官制及事務規程(国立公文書館)
  14. ^ a b 「御署名原本・明治二十三年・勅令第二百七十九号・参謀本部条例第二条中改正」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020088000、御署名原本・明治二十三年・勅令第二百七十九号・参謀本部条例第二条中改正(国立公文書館)
  15. ^ a b 「御署名原本・明治二十三年・勅令第二百八十号・監軍部条例第二条改正」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020088100、御署名原本・明治二十三年・勅令第二百八十号・監軍部条例第二条改正(国立公文書館)
  16. ^ JACAR:A03020049700(第33画像目から第34画像目まで)
  17. ^ JACAR:A15112272000(第3画像目)
  18. ^ 「御署名原本・明治二十四年・勅令第二百十五号・文武高等官官職等級表」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020114700、御署名原本・明治二十四年・勅令第二百十五号・文武高等官官職等級表(国立公文書館)
  19. ^ 「叙位進階内則ヲ定メラル」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15112272000、公文類聚・第十五編・明治二十四年・第十三巻・族爵・爵位・勲等・雑載(国立公文書館)(第3画像目から第6画像目まで)
  20. ^ 「叙勲内則ヲ定メラル附叙勲内則取扱手続ヲ更定ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15112451900、公文類聚・第十六編・明治二十五年・第十四巻・族爵・族制・爵位・勲等(国立公文書館)(第4画像目から第5画像目まで、第17画像目、第20画像目、第29画像目)
  21. ^ a b JACAR:A15112439800(第1画像目から第3画像目まで)
  22. ^ JACAR:A15112439800
  23. ^ JACAR:A15112439800(第5画像目から第6画像目まで)
  24. ^ JACAR:A15112272000(第3画像目から第7画像目まで)
  25. ^ 「叙勲内則ヲ改定セラル」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15112452200、公文類聚・第十六編・明治二十五年・第十四巻・族爵・族制・爵位・勲等(国立公文書館)(第4画像目から第5画像目まで、第20画像目、第35画像目、第44画像目)
  26. ^ 「文武官叙位進階内則ヲ改定セラル」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15113342600、公文類聚・第二十四編・明治三十三年・第十二巻・族爵・爵位・勲等、儀典・儀礼・服制徽章(国立公文書館)(第5画像目)
  27. ^ JACAR:A15113342600(第5画像目、第10画像目)
  28. ^ JACAR:A15113342600(第4画像目)
  29. ^ a b 「御署名原本・昭和二十一年・勅令第一九〇号・官吏任用叙級令」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A04017814300、御署名原本・昭和二十一年・勅令第一九〇号・官吏任用叙級令(国立公文書館)(第2画像目)
  30. ^ JACAR:A04017814600(第2画像目から第3画像目まで)
  31. ^ 「御署名原本・昭和二十一年・勅令第一九一号・親任官及諸官級別令」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A04017814400、御署名原本・昭和二十一年・勅令第一九一号・親任官及諸官級別令(国立公文書館)
  32. ^ JACAR:A03020049700(第33画像目から第34画像目まで、第36画像目から第37画像目まで)
  33. ^ 「裁判所構成法中ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A13100134300、公文類聚・第三十八編・大正三年・第十九巻・賞恤・褒賞・恩給・賑恤、衛生・人類・獣畜、司法一・裁判所(国立公文書館)(第6画像目から第7画像目まで)
  34. ^ 「裁判所構成法中ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A13100530300、公文類聚・第四十五編・大正十年・第三十三巻・司法一・裁判所(裁判・執達吏・弁護士・登記)(国立公文書館)(第6画像目)
  35. ^ 「御署名原本・明治二十二年・法律第十五号・会計検査院法」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020031400、御署名原本・明治二十二年・法律第十五号・会計検査院法(国立公文書館)(第3画像目)
  36. ^ a b c 「御署名原本・明治二十九年・勅令第百六十号・親補ノ職ニ在ル者及会計検査院長待遇ノ件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020240000、御署名原本・明治二十九年・勅令第百六十号・親補ノ職ニ在ル者及会計検査院長待遇ノ件(国立公文書館)
  37. ^ 「御署名原本・大正五年・法律第三十六号・会計検査院法中改正」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03021058700、御署名原本・大正五年・法律第三十六号・会計検査院法中改正(国立公文書館)
  38. ^ 「御署名原本・明治二十三年・法律第四十八号・行政裁判法」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020053900、御署名原本・明治二十三年・法律第四十八号・行政裁判法(国立公文書館)(第3画像目)
  39. ^ a b 「御署名原本・明治三十一年・勅令第百六十二号・行政裁判所長官待遇ノ件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020346100、御署名原本・明治三十一年・勅令第百六十二号・行政裁判所長官待遇ノ件(国立公文書館)
  40. ^ 「御署名原本・大正五年・法律第三十七号・行政裁判法中改正」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03021058800、御署名原本・大正五年・法律第三十七号・行政裁判法中改正(国立公文書館)
  41. ^ 明治43年9月29日 勅令第354号 朝鮮総督府官制 第二条「総督ハ親任トス陸海軍大将ヲ以テ之ニ充ツ」
  42. ^ 明治30年10月13日 勅令第362号 台湾総督府官制 第二条「総督ハ親任トス陸海軍大将若ハ中将ヲ以テ之ニ充ツ」
  43. ^ 大正8年8月19日 勅令393号 台湾総督府官制中改正ノ件 第二条「総督ハ親任トス」
  44. ^ a b c 「御署名原本・明治二十一年・勅令第九十一号・陸海軍将校分限令」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020028100、御署名原本・明治二十一年・勅令第九十一号・陸海軍将校分限令(国立公文書館)
  45. ^ a b c 「御署名原本・明治二十四年・勅令第七十九号・海軍将校分限令制定陸海軍将校分限令中海軍将校分限ニ関スル件廃止」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020101100、御署名原本・明治二十四年・勅令第七十九号・海軍将校分限令制定陸海軍将校分限令中海軍将校分限ニ関スル件廃止(国立公文書館)
  46. ^ 「陸軍将校免黜条例」国立公文書館、請求番号:太00429100、件名番号:074、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百七巻・兵制六・武官職制六(第3画像目から第4画像目まで)
  47. ^ 「海軍将校准将校免黜条例改定」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15110082700、公文類聚・第六編・明治十五年・第十五巻・兵制二・陸海軍官制(国立公文書館)(第3画像目から第4画像目まで)
  48. ^ 「陸軍武官命課規則」国立公文書館、請求番号:太00429100、件名番号:044、太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第二百七巻・兵制六・武官職制六(第3画像目)
  49. ^ JACAR:A15110463300(第6画像目から第8画像目まで)
  50. ^ JACAR:A15110463300(第8画像目から第9画像目まで)
  51. ^ JACAR:A15110463300(第9画像目から第10画像目まで)
  52. ^ JACAR:A15110463300(13画像目)
  53. ^ 「御署名原本・明治二十二年・勅令第二十五号・参謀本部条例制定参軍官制、陸軍参謀本部条例、海軍参謀本部条例廃止」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020035900、御署名原本・明治二十二年・勅令第二十五号・参謀本部条例制定参軍官制、陸軍参謀本部条例、海軍参謀本部条例廃止(国立公文書館)
  54. ^ 「御署名原本・明治二十年・勅令第十八号・監軍部条例」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020011600、御署名原本・明治二十年・勅令第十八号・監軍部条例(国立公文書館)
  55. ^ 「御署名原本・明治二十六年・勅令第三十七号・海軍軍令部条例」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020140800、御署名原本・明治二十六年・勅令第三十七号・海軍軍令部条例(国立公文書館)
  56. ^ a b c d e f g h i j k l m 秦 2005, p. 744, 第5部 陸海軍用語の解説-し-親補職
  57. ^ 『陸軍省人事局長の回想』172頁。
  58. ^ 師団司令部条例」、明治21年5月12日勅令第27号。
  59. ^ 実際には在任中や戦死後大将に昇任したり、少将で補せられた後中将に昇任するといった例がある。
  60. ^ 奥宮正武『大艦巨砲主義の盛衰』、〈新戦史シリーズ47〉、朝日ソノラマ、1992年、318頁。
  61. ^ a b c d e f g h i 防衛庁防衛研修所戦史部 1980, p. 357, 兵語・用語の解説 - シ - 親補職
  62. ^ 雨倉 1997, pp. 205–206, 大臣は文官にして武官
  63. ^ 額田坦『陸軍省人事局長の回想』芙蓉書房、1977年(昭和52年)、80頁。
  64. ^ 支那駐屯軍司令官の親補に関する件 昭和11年4月25日 「支那駐屯軍司令官は之を親補す/附則 本令は昭和11年5月1日より之を施行す」- 官報. 1936年04月28日” (日本語). 国立国会図書館. 2019年12月11日閲覧。
  65. ^ 秦 2005, p. 368, 第2部 陸海軍主要職務の歴任者一覧-III 陸軍-8. 部隊/軍-支那駐屯軍司令官
  66. ^ 防衛庁防衛研修所戦史部 1980, pp. 337–338, 兵語・用語の解説 - ク - 軍管区制・軍管区司令部
  67. ^ a b 秦 2005, p. 721, 第5部 陸海軍用語の解説-く-軍管区(陸軍)
  68. ^ 秦 2005, p. 739, 第5部 陸海軍用語の解説-し-侍従武官府
  69. ^ 昭和20年4月23日 軍令海第二号 海軍総隊司令部令 第三条「海軍総隊司令部ニ海軍総司令長官ヲ置ク 総司令長官ハ親補トス」
  70. ^ 昭和18年11月15日 軍令海第十六号 海上護衛総司令部令 第四条「海上護衛総司令部ニ海上護衛司令長官ヲ置ク 司令長官ハ親補トス」
  71. ^ a b c 昭和16年11月11日/要港部令を改正/「要港部令」を「警備府令」に、「要港部」を「警部府」に、「司令官」を「司令長官」に改む 本令は昭和16年11月20日より之を施行す - 官報. 1941年11月12日” (日本語). 国立国会図書館. 2019年12月11日閲覧。
  72. ^ a b c 昭和16年11月11日/旅順要港部令を改正/「旅順要港部令」を「旅順警備府令」に、「旅順要港部」を「旅順警部府」に、「司令官」を「司令長官」に改む 本令は昭和16年11月20日より之を施行す - 官報. 1941年11月12日” (日本語). 国立国会図書館. 2019年12月11日閲覧。
  73. ^ 雨倉 1997, p. 95-96, 要港部司令官の行く末
  74. ^ a b 昭和11年6月26日 要港部令中左の通改正す 第8条 要港部に司令官を置く/舞鶴要港部司令官は親補とす 附則 本令は昭和11年7月1日より之を施行す - 官報(昭和11年6月27日付)”. 国立国会図書館. 2019年12月13日閲覧。
  75. ^ a b 「要港部令 改正」官報. 1938年11月15日 - 国立国会図書館デジタルコレクション” (日本語). 国立国会図書館. 2019年12月11日閲覧。
  76. ^ a b 「旅順要港部令 改正」官報. 1938年11月15日 - 国立国会図書館デジタルコレクション” (日本語). 国立国会図書館. 2019年12月11日閲覧。
  77. ^ a b c 「艦隊令 改正」官報. 1938年11月15日 - 国立国会図書館デジタルコレクション” (日本語). 国立国会図書館. 2019年12月11日閲覧。
  78. ^ 「長期戦の陣容強化/呉、佐鎮、第二艦隊各長官更迭/駐満海軍部は廃止」『大阪朝日新聞』 1938年(昭和13年)11月16日付”. 神戸大学 電子図書館システム. 神戸大学. 2019年12月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月11日閲覧。
  79. ^ 「御署名原本・明治四十三年・勅令第三百十九号・朝鮮総督府設置ニ関スル件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020863200、御署名原本・明治四十三年・勅令第三百十九号・朝鮮総督府設置ニ関スル件(国立公文書館)
  80. ^ 「御署名原本・明治四十三年・勅令第三百五十五号・朝鮮総督府中枢院官制」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020866800、御署名原本・明治四十三年・勅令第三百五十五号・朝鮮総督府中枢院官制(国立公文書館)
  81. ^ 「御署名原本・明治四十四年・勅令第二百十二号・日本大博覧会会長ノ待遇ニ関スル件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020909500、御署名原本・明治四十四年・勅令第二百十二号・日本大博覧会会長ノ待遇ニ関スル件(国立公文書館)
  82. ^ 「御署名原本・大正五年・勅令第百八号・連合国経済会議ニ参列セシムルタメ臨時職員設置」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03021070500、御署名原本・大正五年・勅令第百八号・連合国経済会議ニ参列セシムルタメ臨時職員設置(国立公文書館)
  83. ^ 「御署名原本・大正十年・勅令第百六十八号・朝鮮総督府中枢院官制中改正」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03021323100、御署名原本・大正十年・勅令第百六十八号・朝鮮総督府中枢院官制中改正(国立公文書館)
  84. ^ 「御署名原本・昭和二年・勅令第一六八号・行政制度審議会官制」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03021654000、御署名原本・昭和二年・勅令第一六八号・行政制度審議会官制(国立公文書館)
  85. ^ 「御署名原本・昭和二年・勅令第三四八号・東京控訴院長ノ待遇ニ関スル件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03021672000、御署名原本・昭和二年・勅令第三四八号・東京控訴院長ノ待遇ニ関スル件(国立公文書館)
  86. ^ 「御署名原本・昭和六年・勅令第一四〇号・臨時行政財政審議会官制(第二百五十七号ヲ以テ本号中改正第二百九十二号ヲ以テ廃止)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03021811900、御署名原本・昭和六年・勅令第一四〇号・臨時行政財政審議会官制(第二百五十七号ヲ以テ本号中改正第二百九十二号ヲ以テ廃止)(国立公文書館)
  87. ^ 「御署名原本・昭和十三年・勅令第六三二号・臨時外務省ニ外交顧問ヲ置クノ件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03022231000、御署名原本・昭和十三年・勅令第六三二号・臨時外務省ニ外交顧問ヲ置クノ件(国立公文書館)
  88. ^ 「御署名原本・昭和十九年・勅令第六〇四号・内閣顧問臨時設置制」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03022315100、御署名原本・昭和十九年・勅令第六〇四号・内閣顧問臨時設置制(国立公文書館)
  89. ^ 「特ニ親任官ノ待遇ヲ賜フ 福岡県知事 吉田茂」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03023540000、公文別録・親任官任免・明治二十二年~昭和二十二年・第九巻・昭和十六年~昭和十八年(国立公文書館)(第5画像目から第6画像目まで)
  90. ^ 「特ニ親任官ノ待遇ヲ賜フ 海軍艦政本部長海軍中将 片岡七郎」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03023374600、公文別録・親任官任免・明治二十二年~昭和二十二年・第二巻・明治三十二年~明治四十二年(国立公文書館)
  91. ^ 「特ニ親任官ノ待遇ヲ賜フ 拓殖局副総裁 男爵後藤新平」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03023380500、公文別録・親任官任免・明治二十二年~昭和二十二年・第三巻・明治四十三年~大正六年(国立公文書館)
  92. ^ 「特ニ親任官ノ待遇ヲ賜フ 法制局長官法学博士 一木喜徳郎」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03023388200、公文別録・親任官任免・明治二十二年~昭和二十二年・第三巻・明治四十三年~大正六年(国立公文書館)
  93. ^ 「特ニ親任官ノ待遇ヲ賜フ 復興局長官 清野長太郎」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03023441100、公文別録・親任官任免・明治二十二年~昭和二十二年・第五巻・大正十三年~昭和四年(国立公文書館)
  94. ^ 「特ニ親任官ノ待遇ヲ賜フ 参謀次長陸軍中将 真崎甚三郎」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03023464200、公文別録・親任官任免・明治二十二年~昭和二十二年・第六巻・昭和五年~昭和八年(国立公文書館)(JACAR:A03023464200
  95. ^ 「特ニ親任官ノ待遇ヲ賜フ 海軍次官 井上成美」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03023548800、公文別録・親任官任免・明治二十二年~昭和二十二年・第十巻・昭和十九年(国立公文書館)(JACAR:A03023548800
  96. ^ 『陸軍省人事局長の回想』 227頁。
  97. ^ 『陸軍省人事局長の回想』 411頁。

参考文献編集

  • 「御署名原本・明治二十三年・法律第六号・裁判所構成法」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020049700、御署名原本・明治二十三年・法律第六号・裁判所構成法(国立公文書館)
  • 「御署名原本・昭和二十一年・勅令第一九三号・官吏任用叙級令施行等ニ伴フ高等官官等俸給令ノ廃止等ニ関スル件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A04017814600、御署名原本・昭和二十一年・勅令第一九三号・官吏任用叙級令施行等ニ伴フ高等官官等俸給令ノ廃止等ニ関スル件(国立公文書館)
  • 「武官官記及職記式改定・二条」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15110463300、公文類聚・第七編・明治十六年・第十五巻・兵制一・兵制総・陸海軍官制一(国立公文書館)
  • 「高等官官等俸給ヲ定ム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15111088500、公文類聚・第十編・明治十九年・第四巻・官職三・官等俸給(国立公文書館)
  • 「高等官任命及俸給令ヲ定ム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15112241100、公文類聚・第十五編・明治二十四年・第七巻・官職三・官制三(官等俸給及給与一~大蔵省)(国立公文書館)
  • 「文武高等官々職等級表ヲ定ム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15112241300、公文類聚・第十五編・明治二十四年・第七巻・官職三・官制三(官等俸給及給与一~大蔵省)(国立公文書館)
  • 「叙位進階内則ヲ定メラル」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15112272000、公文類聚・第十五編・明治二十四年・第十三巻・族爵・爵位・勲等・雑載(国立公文書館)
  • 「高等官々等俸給令」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15112439800、公文類聚・第十六編・明治二十五年・第九巻・官職三・官制三(官等俸給及給与一~陸軍省)(国立公文書館)
  • 「文武官叙位進階内則ヲ改定セラル」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15113342600、公文類聚・第二十四編・明治三十三年・第十二巻・族爵・爵位・勲等、儀典・儀礼・服制徽章(国立公文書館)
  • 「官吏任用叙級令の一部を改正する等の政令」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A13110872900、公文類聚・第七十二編・昭和二十二年五月三日以降・第二十九巻・官規十四・任免一・総理庁~文部省(国立公文書館)

関連項目編集

外部リンク編集

  • 「御署名原本・明治十九年・勅令第六号・高等官官等俸給令」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020001000、御署名原本・明治十九年・勅令第六号・高等官官等俸給令(国立公文書館)(JACAR:A03020001000
  • 「御署名原本・明治二十四年・勅令第八十二号・高等官任命及俸給令制定高等官官等俸給令廃止」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020101400、御署名原本・明治二十四年・勅令第八十二号・高等官任命及俸給令制定高等官官等俸給令廃止(国立公文書館)(JACAR:A03020101400
  • 「御署名原本・明治二十五年・勅令第九十六号・高等官官等俸給令制定高等官任命及俸給令、文武高等官官職等級表廃止」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020130600、御署名原本・明治二十五年・勅令第九十六号・高等官官等俸給令制定高等官任命及俸給令、文武高等官官職等級表廃止(国立公文書館)(JACAR:A03020130600
  • 「御署名原本・昭和二十一年・勅令第一九〇号・官吏任用叙級令」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A04017814300、御署名原本・昭和二十一年・勅令第一九〇号・官吏任用叙級令(国立公文書館)(JACAR:A04017814300
  • 「御署名原本・昭和二十一年・勅令第一九一号・親任官及諸官級別令」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A04017814400、御署名原本・昭和二十一年・勅令第一九一号・親任官及諸官級別令(国立公文書館)(JACAR:A04017814400