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観念崩壊セミナー

観念崩壊セミナー(かんねんほうかいセミナー)は、オウム真理教で行われていたセミナーの一つ。麻原彰晃逮捕後の信者の引き締めを目的として、麻原彰晃の三女である松本麗華が中心となり、1996年8月24日から10月下旬まで断続的に行われた[1][2]

目次

概要編集

1995年平成7年)5月16日、麻原彰晃が逮捕されると教団を取り巻く環境は悪化の一途をたどり、1996年1月には破防法適用のための弁明手続きが行われていた。1995年10月7日には上祐史浩が逮捕され、教団内にいた成人した4人の正大師が全員不在となる。これを受けて、三女アーチャリー(麗華。以下「三女」)が唯一の正大師となり、教団は三女を前面に出し宣伝するようになる。このため「三女がいれば大丈夫」とする雰囲気が教団内に形成されつつあった。

1996年5月28日、破防法第4回弁明の際に麻原は教団に破防法が適用されるのを回避する目的で、教団代表と教祖の地位を退く。同時に麻原は教祖交代に伴い「教祖」、教団運営に関わる「長老部」、教義見解を出す「勝議部」の3つの機関を設け、教団を託した。教祖には当時3歳の長男と2歳の次男が指名され、村岡達子が代表代行を務めた。このうち長老部というのは、長姉から三女までの3人の姉妹と正悟師(村岡達子杉浦茂野田成人二ノ宮耕一)で形成された。麻原は長老部を設ける際に派閥争いを避けるため、長老部の誰かを辞めさせるには本人の意思ないしは全員一致を条件としていた。座長には三女が指名された。このような状況下で、麻原彰晃逮捕後の信者の引き締めを目的として、三女を中心としてセミナーは開催された。

目的編集

現・ひかりの輪信者の証言では、当時13歳だった三女の監修・指示の下に行われたとされ、修行監督と呼ばれる者により実行された。

はじまりは、サマナ全体の意識が低下し、脱会者が多くなったことを危惧した教団内から「最後にみんなのためにセミナーが必要だ」と提案があり、提案に乗る形で三女の[1]「大きな施設があるうちに、都会で生活する信者の煩悩が肥大する前に、信者らを引き上げる手助けをしたい」という思い付きに、自己啓発セミナーの体験者の経験を基にしたものをミックスした形で、試行的に行われたものであった。しかし内容があまりに過激であったために、多くの信者らは精神的ショックを受け、障害者となった者なども多く出した[2][3]

内容編集

セミナーの内容は三女と8名ほどの監督の発案を元に決められた[1]上九一色の第6サティアンに、当初は師だけが集められて行われ、ほとんどの師が参加した。通常の修行、ドッジボール、リレーなど遊び的なものの他、蓮華座修業、自己啓発セミナーの手法を模した罵倒、断食修業、寒空に信者を追い出すというものまであった[1]

セミナーには具体的なスケジュールは設けられず、睡眠時間も一定しない状況だった。悪天候の中、連日屋外へ放置し食事を与えなかったり、逆に食事を与えない後に無理やり大量に食事を与え吐いたらその吐瀉物をもう一度食べさせる、水を浴びせ続ける、単純な運動を長時間に渡って続けさせるなどの拷問に近い修行や、初期には「解脱のために観念を崩壊する」との目的で行われ、「監督自らがそうしなければならない」との三女の指示に基づき、信者らの前で顔を醜くゆがませて叫び声やうめき声をあげ狂人のように振る舞ったり、口汚い罵声でやくざのような振る舞いをしたりしたほか、男性は女装しサティアンを警備している警察官らの前で踊ったりするというものであった。また別のセミナーでは三女に「傲慢だ」と言われ、縛り蓮華座を長時間強要されたり、で遠方まで連れ出され、食事もさせられず、数日後にふらふらになり戻るというようなこともあった[2][3]

内容は次第にエスカレートし、縛り蓮華座ではでぎっちりと縛りつけられあまりの苦しさにのたうち回ったり、絶叫する者もあったが、「逃げてどうする。地獄に堕ちてもいいのか!」と言われ「地獄に堕ちてもいいから、ほどいてくれ!」と叫びそうになる者もいた。長時間にわたる「縛り蓮華座」の結果、足部のうっ血が原因で毒素内臓に達し、救急車病院へ担ぎ込まれ、その後もびっこをひく身体障害者となる者、両足切断寸前となる者、酸素吸入を受ける者、熱射病にかかる者、死にかける者、意識不明となる者や負傷者が続出、脱会者も多く出したという。「突っ込み」と呼ばれていたものは、1人の信者を数人の信者で取り囲み、罵声を浴びせ、当人の弱点や悪行を涙を流すまで責め続け、三女が「いい」と言うまで続けられた。時には監督にも矛先が向けられ、三女をはじめ他の監督らが罵声、軽蔑無視などの責苦を与え監督から排除し数ヶ月間無視するなどの行為が行われた。その結果、三女は出家信者らから「恐怖を伴う神格化」がなされたが、三女自身もその結果に大きなショックを受けたという[2][3]。三女は、罪悪感から参加する日が少なくなっていった[1]

指導する側も綿密に計画を練り上げていたわけではなく、いい加減で行き当たりばったりなものであったため、当初は脱会を防止する目的で行われたセミナーであったものの、結果的に脱会者を多く出すこととなった[2][3]

セミナー終了後編集

セミナーに対して称賛する信者もいたが、同時に多くの怪我人や苦しみを味わったとする信者を出し、三女の中で罪悪感が膨れ上がっていく。

三女がいわき市に引っ越した後に長姉から三女に対しE-mailがあり、内容はセミナーで傷付いた信者らの声を伝えるものであった。三女はその内容もさることながら、兄弟や親しくしていた者たちの態度の豹変ぶりに大きなショックを受ける。このためさらに罪悪感と孤独感に苛まれるようになり、家出リストカットなどを起こすようになる。やがてセミナーに関する記憶を失うに至り、セミナーすべてを自分が発案し、主催し、実行したのだと思い込むようになる[1]

脚注編集

参考サイト編集