言語論的転回(げんごろんてきてんかい、: Linguistic turn)は、哲学数学論理学言語学法科、そしてそれ以外の分野における、大規模な転換総称であり、それぞれが軌を一にしている。

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインが1922年に出版した論理哲学論考(Logisch-Philosophische Abhandlung)が決定的契機となり重要視されることとなった[1]

哲学編集

分析哲学の成立により、大転換を果たした。

数学編集

フレーゲの研究により、ニュートンガウスを手掛かりにして策定される境界と同一視できる境界が生じたが、数学の分野で、それによる安定化が生じた。 それは、数学に対しての経済政策としての部分を否定しないが、その福利もあり、哲学の分野で、論理主義の下、哲学の主潮流として、無比の強力な還元主義が成立する。

なお、数学基礎論同様、数学的には、否定的な見解が示され続けている。

論理学編集

アリストテレスを祖とする論理学は、記号論理学の成立と並行して、論理学の資質を有する枢要を重視する動向が顕著になり、哲学との共同での論理学の研究は、フレーゲとラッセルを含めた研究が最後の世代であるという見方がある。 その後は、標本の模倣を離れた研究が顕著である。恒真を用いた雄弁な主張も多い。

言語学編集

言語学の勃興に先行して、フンボルトによる言語の研究が存在している。哲学の分野では、言語学者の哲学という用語の乱用を懸念する動向は顕著だが、哲学者の言語論なり言語哲学との相違を哲学の内部で重視する研究は全く顕著ではない。 言語教育国策の混同が顕著になると、学問の支障の一部を言語と断ることが可能になり、結果として、認識の齟齬を悪用して、言語学が成立したという見方がある。

当然、国策の脆弱化の背景として、国体の脆弱化以外に、言語能力の低下と、それに付随する言語行為が備えているはずの機能の無視が検討できる。

言語学的遊戯編集

概要編集

言語論的転回は、ある人の使用する言語表現がその人の思想を写像(mapping)したものであるという仮定の下、思想の具体的分析の方法として言語の分析を採用するという方法論的転換を言う。

言語が現実を構成するという考え方は、言語を事物のラベルのように見なす西洋哲学の伝統や常識の主流に反していた。たとえば、ここで言う伝統的な考え方では、まず最初に、実際のいすのようなものがあると思われ、それに続いて「いす」という言葉が参照するいすという意味があると考える。しかし、「いす」と「いす」以外の言葉(「つくえ」でも何でもいい)との差異を知らなければ、私たちは、いすがいすであると認識できないだろう。以上のようにフェルディナン・ド・ソシュールによれば、言語の意味は音声的差異から独立しては存在しえず、意味の差異は私たちの知覚を構造化していると言う。したがって、私たちが現実に関して知ることができることすべては、言語によって条件づけられているというのである。

ある人が使用する言語表現は、完全ではないかもしれないものの、その人の思想の一つの表現であることに変わりはない。すなわち、その人が使用する言語が備える文法や語彙などの制限により、喩えれば、その人の思想の元の形に覆いを被せてしまうようなことになってしまうものの、言い換えれば、"思想が持っている形を言語という覆いでくるんだような"(conformal)状態にはなるものの、他者にも把握することができるような具体的な形状を持つことになる。

他者の思想を把握するということを導く行為は複数あるにせよ、もっとも根拠のある科学的方法として採用され、20世紀中盛んに研究されたのが、この言語の分析による方法であり、この思想分析の具体的方法論の転換を言語論的転回(linguistic turn)と呼ぶ。

例えば、日本では虹は赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の「7色に見える」が、英語には藍に該当する単語がないので「6色に見える」[2]。また、ヨーロッパ文化圏には肩こりに当たる言葉がないので、「肩こりは起こらない」[2]。これらは言葉が身体感覚を規定する例であり、言葉が現実を構築する例である[2]

経緯編集

人文科学における言語論的転回に決定的であったのは、ソシュール(その業績は後述のウィトゲンシュタインよりもさらに遡る)の影響下にある構造主義およびポスト構造主義の仕事だった。 それぞれの理論における言語の重要性は異なるが有力な理論家として 『言葉と物』を著したミシェル・フーコー、人間を言存在として定義したジャック・ラカンとその弟子筋のリュス・イリガライジュリア・クリステヴァ、脱構築を主導したジャック・デリダ、時代はやや下るもののその影響下にあるジュディス・バトラーらが挙げられる。

言語論的転回を始めたひとりとして、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインが挙げられる。彼の初期の仕事における、哲学的な問題が言語の論理の誤解から起こるという考え、および彼の後期の仕事における言語ゲームに関する所見が、その起源と考えられている。

非常にさまざまな知的な運動が「言語論的転回」という用語に関連づけられたが、この表現分析哲学伝統の中で研究していたリチャード・ローティ1967年に編集した Linguistic Turn. Recent Essays in Philosophical Method [Rorty 1967] というアンソロジーでポピュラーになった。

言語が思考の透明な媒体でないという事実は、ヨハン・ゲオルク・ハーマンヴィルヘルム・フォン・フンボルトの仕事に始まる言語哲学によってすでに強調されていた。ただし分析哲学はこの伝統に関連しておらず、その問題意識は必ずしも同じではない。

1970年代に、人文科学は構造化の動因である言語の重要性を認識した。

歴史的なディスコースにおける言語の力、特にある種の修辞的な比喩については、ヘイドン・ホワイトによって研究された。

法科編集

統一科学の時代に、ヒルグリーンに代表される名目のみの学科の乗っ取りがあり、ワーノックでさえも厳しく否定している。

倫理政治理論の分野における近年の研究に関してはまったく言及してはいない。その理由は、言うまでもなく、そのような分野の研究が優れていないということや興味の対象にはならないということにあるのではなく、哲学の展開の一般的方向や特性を明らかにする本書の目的にとって、それがとくに適合するとは思われなかったということにある。 — 『現代のイギリス哲学』、G・J・ワーノック勁草書房、1983年

日本国内でも、山本英一並びに武市健人の「哲学原論」の刊行に象徴されていた動向がある。両者は、思考に依拠した動向に対する見解を提示している。ただし、その理論は、ラッセルに対するブラッドレーの教育さえも理解できない粗末なものに過ぎない。 現在でも、法科関係者による哲学分野での活動があり、教官による大学での活動以外に、出版物による活動もある。その多くは、先行する哲学者を真似た体裁であるが、内容は相違する。

なお、現在の法科によって、法科のその動向が、肯定的に評価されているといような含みは無い。

その他編集

美術の分野では、フランスアカデミーに関する転換があり、ブグローの権威が変容し、セザンヌが新規の動向として称揚されていたという過去がある。アバンギャルドを自認する芸術家の多くは、このことを誤解し、(科学を踏まえた)新しい芸術家を肯定的に評価できる自分たちを、(追従等を含めて、)正しい芸術家と捉える愚行を生じた。

脚注編集

  1. ^ ダメット(1993) p.195
  2. ^ a b c 石原千秋 『未来形の読書術』 筑摩書房、2007年7月、31-34頁。 

参考文献編集

  • Rorty, Richard, ed., 1967, The linguistic turn: Recent essays in philosophical method, Chicago, Il.: University of Chicago press. → 1992, ISBN 0226725693.
  • 新田義弘ほか編『言語論的転回』第4巻、岩波書店〈【岩波講座】現代思想〉、1993年。ISBN 9784000105347
  • マイケル・ダメット『分析哲学の起源 言語への転回』野本 和幸(訳)、勁草書房、1998年。

関連項目編集

外部リンク編集