許 積(きょ せき、ホ・ジョク、허적光海君2年(1610年) - 粛宗6年5月11日1680年6月7日))は、李氏朝鮮後期の文臣・政治家・書家・画家。汝車、号は黙斎休翁諡号粛憲忠清道忠州に生まれた。本貫陽川許氏

許積
各種表記
ハングル 허적
漢字 許積
発音: ホ・ジョク
日本語読み: きょ せき
ローマ字 Hu Jug
テンプレートを表示

略歴 編集

第1次礼訟(己亥礼訟)と第2次礼訟(甲寅礼訟)の当時南人の論客の一人、南人の中堅であり、南人の穏健派(濁南)の首領だった。南人の強硬派(清南)の許穆尹鑴の政敵であり、正統官僚出身で1637年文科に及第して最終官職は領議政である。

著作 編集

  • 『黙斎日記』
  • 『許相国奏議』

関連項目 編集

参考文献 編集

  • 李徳一 著『黨爭で見る朝鮮歴史』2004年12月 石筆 ISBN 8980370369
  • 李徳一 著『宋時烈と彼らの國家』2000年9月 石筆 ISBN 9788934905028