誘拐報道』(ゆうかいほうどう)は、1980年に発生した宝塚市学童誘拐事件を描いた読売新聞大阪本社社会部編の同名ドキュメンタリーを原作とした1982年東映日本テレビ提携製作映画[3][4]。配給東映。

誘拐報道
監督 伊藤俊也
脚本 松田寛夫
製作 高岩淡後藤達彦
出演者 萩原健一
小柳ルミ子
和田求由(子役)
藤谷美和子
高橋かおり(子役)
伊東四朗
菅原文太
丹波哲郎
平幹二朗
音楽 菊池俊輔
撮影 姫田真佐久
編集 戸田健夫
製作会社 日本テレビ東映東京[1]
配給 東映
公開 日本の旗 1982年9月25日
上映時間 134分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
配給収入 3.5億円[2]
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概要編集

1980年1月、兵庫県宝塚市で発生した幼児誘拐事件を素材に、幼い生命の救出をめぐって、報道陣警察、被害者家族たちが、事件の渦中で傷つきながら努力する姿をサスペンスフルに描く[3]

スタッフ編集

作詞:谷川俊太郎
作曲:菊池俊輔
歌:林牧人

出演者編集

古屋数男 - 萩原健一
  • 喫茶店の経営に失敗し、森安らから金を借りる。三田村の家は医者の家で金持ちだし、十分に脅しさえすれば警察に知られることもなく、要求に応じるだろうと考え、息子である英之を誘拐し、身代金を要求する。妻がいるにもかかわらず、他の女性と肉体関係を持つ。
古屋芳江 - 小柳ルミ子
  • 数男の妻。森安から、数男が借金したことを聞かされる。
古屋香織 - 高橋かおり(子役)
  • 数男の娘。実は、数男が誘拐した英之と同級生で、友達になったばかりだった。
三田村昇 - 岡本富士太
  • 小児科医。親戚中に電話して、金を工面しようとする。
三田村緋沙子 - 秋吉久美子
  • 昇の妻。数男からの電話で、英之の安否を確かめようとするが、無視される。
三田村英之 - 和田求由(子役)
  • 私立若葉学園の一年生。下校時、阪急の宝塚駅で電車を降りた英之。自宅に向かう途中、頭上から落ちてきた大きな布団袋が英之に被さる。
滝耕太郎 - 宅麻伸
  • 新聞記者。芳江と香織が、ひっそりと夜逃げするところをカメラに収めるが、香織の言葉を聞き、結局「空振りでした」と大西らに報告し、写真を撮ったことを打ち明けなかった。
津島友子 - 藤谷美和子
  • 耕太郎の恋人。新聞社に入社し、忙しくなった耕太郎と、今後について話し合おうと思い、新神戸駅に降りる。
ホステス・ヒロミ:高沢順子
  • 映画冒頭の葬式のシーンで、母親を追悼する記者の文章を読み、泣き崩れる。
庄司のぶ代:池波志乃
  • 主人公と肉体関係を持つ。ヌードなし。唯一、誘拐された子供を目撃する
森安泰明 - 中尾彬
  • 高利貸。数男から200万の手形をもらう。数男を騙し、数男から店を取り上げた。
借金取り - 三谷昇
  • 森安に出した200万の手形が自分に回って来たと、芳江に言う。
遠藤警部 - 伊東四朗
  • 県警捜査第一課の被害者対策班長。5人の部下を率いて三田村宅に詰める。最後の取引の時、子供を持つ親の気持ちになってくださいと被害者の父、昇に言われ、昇と緋沙子だけで取引場所に行かせる。
剣持県警捜査第一課長 - 平幹二朗
  • 宝塚警察署から捜査の指揮をとる。6回目の取引の時、数男と昇の通話を聞き、数男が喫茶店に張り込んでいる刑事に気付いたと言うが、我々は絶対感付かれていないと言う。そして最後の取引に二人だけで行かせた遠藤に、私情は無しで、法を犯した犯人を検挙するんだ、と言い、カーショップでの張り込みを指示。
数男の母 - 賀原夏子
  • 数男の実家の丹後で機織りをしている。
久保信次 - 湯原昌幸

ほか

製作編集

企画編集

監督の伊藤俊也が「何としても映画化したい」と岡田茂東映社長(当時)に直談判して製作OKは取れたが[5]、伊藤が小柳ルミ子のヒロイン役に固執し、小柳の所属する渡辺プロダクションに何度も直訴するも、拘束期間の長い映画には出させられないと断られた[6]。この年小柳は歌一本で行くとナベプロのスタッフ会議で決まっていた[7]。出資している日本テレビ側の希望は吉永小百合大原麗子だった[8]。日テレや読売新聞は小柳を歌手としか見ていなく、小柳の起用に猛反対した[8]。東映サイドからいえば、吉永や大原では意外性がなく、伊藤が歌姫を汚れ役で使うということに意味があるんだと日テレサイドを押し切り[9]、小柳には伊藤からのオファーは伝わっていなかったが、萩原健一が小柳に話を伝え、出演を熱望した小柳と、小柳の起用を熱望する伊藤の説得にナベプロも折れ、ようやくクランクアップが決定した[6][8]。そのため、小柳の多くの営業をキャンセルして大きな損害が出たという。伊藤俊也は前作『犬神の悪霊』が大コケして以来、五年ぶりの映画演出[3]

キャスティング編集

萩原健一、小柳ルミ子とも、伊藤監督の強い希望でのキャスティング[10]。特に小柳は「役のイメージでない」と伊藤以外は全員反対だったとされるが[10]、プロデューサーの天尾完次は「トラック野郎の三作目ぐらいから、小柳さんをマドンナ役にとずっと交渉してたんですよ。女優としての才能は絶対あると前から思っていた。今回やっと主役でやれたという感じです」と話している[11]。また伊藤が1979年に堺屋太一原作の『油断!』を企画として挙げ[8]、小柳に出演オファーをしたことがあったが、この時もナベプロに映画出演は横道に逸れると大反対されていた(企画も流れる)[8]。また小柳は「『鬼龍院花子の生涯』や『野獣刑事』も出演オファーがあり(役柄は不明)、にっかつ(ロマンポルノ)からも相当口説かれた」と話しており[8]、小柳自身、芝居が好きでずっと映画に出たいと思っていたという[8]

萩原も伊藤から誘拐犯での出演オファーにイメージダウンの恐れがあり[1]、なかなか踏ん切りがつかなかったが[1][12]、伊藤からの凄い熱に出演を承諾した[12]。萩原は「最近作る側に熱がないのが寂しかったんだ。俺は脚本の良し悪しより作る側の熱を大事にする。でなけりゃ見る方にも何も伝わらないと思うしね。今回は伊藤監督の熱に打たれたよ。その熱が画面に出たと思いますね」などと話し[12]、2か月で10kg減量して誘拐犯人役に挑み[1]、鬼気迫る演技も話題となった[1][13]。萩原健一は伊藤俊也監督を「いい監督だった」「理論的で画面構成もしっかりしていた」と評価していた。また車のスピン・シーンは、子供の安全の視点からカットされている。

小柳ルミ子は、芸能人として幸運すぎるスタートを切って荒波もなく、さざ波程度で順調に来たが、このままだと自分を維持するだけになってしまうのが嫌で、30歳を迎えるこの年、大きく波立たせるためにはまず波の最下線まで自分を落とし込むことだと考え[14]、「未知の映画なら、それを体験出来る。伊藤監督にしごかれて自分の駄目さを痛いほど感じたい」と自虐的試みとして誰にも相談せず、出演オファーを受けた[7][8][14]。これまでひたすら女として生きた自分の情感で、素人ながらどこまで女優として迫れるかの挑戦もあり、ノーメイクでカメラの前に立った[14]。伊藤監督の面子を潰してはいけないと必死に取り組み、しばらくしてスタッフから「小柳さんで良かった。監督は正解でした」と声が上がり、涙が込み上げた[10]。小柳の演技は称賛され、日本アカデミー賞で現役歌手として初めて最優秀の演技賞を受賞した[13]。作りあげてゆく作業が歌の世界とは全然違い、初めての経験に映画の仕事が自分と相性がいいと血が騒ぐ快感を感じた[7][8]。自身も女として生きようと再確認し[14]、ショーケンにも「子供が似合うね」と言われたが、「やっと仕事が楽しみながらやれるようになった」と感じたため、今は結婚しないと決めた(当時盛んに結婚報道がされていた)[14]

神戸支局長を演じる三波伸介は映画出演は7年ぶりで最後の映画出演[3]

準主役に該当する二人の子役は重要な位置を占めると考えた伊藤は、ロケハン段階から、京都大阪名古屋で子役延べ5,000人と面接[1]。結果、当時小学校1年生の和田求由と幼稚園児だった高橋かおりを選んだ[1]

製作会見編集

1982年1月29日、東京帝国ホテルで製作発表会見があり、主要キャスト・スタッフが出席[3][15]。東映・日本テレビの第一回提携作品として製作発表された[15]。席上、岡田茂東映社長が「堂々たる作品に仕上げよう!」と檄を飛ばした[3]。また大阪から読売新聞大阪本社社会部・黒田清部長も駆けつけ[3]、「報道協定は報道管制ではないことを訴えたかった。映画が原作以上に結実することを祈ります」と普段は表面に出ることのない社会部記者の顔を披露した[3]

演出編集

伊藤は映画にするには原作に書かれていない犯人と、その周辺を描くしかないと考え、犯人を中心にドラマを展開させた[16]。誘拐劇といえばストーリー・テリングが抜群の『天国と地獄』を意識せざるを得ないため、犯人と誘拐された子供の関係、男対男の戦いをモチーフにしようと考え、犯人が誘拐した子供に次第に負けていく様を緻密に描いた[16]

撮影編集

読売新聞大阪本社社会部のセットを東映東京撮影所第5ステージに建設[1]。劇中で使われる新聞号外は全て同社の特別協力で作成されたホンモノ[1]。その他の小道具も実際に使用されたものを使った[1]

萩原と小柳が台所で激しく口論するシーンは、本番前のフィルムも回したリハーサルのシーンがまだぎこちなくて迫力があったため、そちらを採用した[8]。小柳の自慰シーンは台本になく、伊藤監督からの提案で小柳と相談して追加されたシーン[8]

1982年2月クランクイン[14]、4月完成[17]

ロケ地編集

奥丹後[18]

製作費編集

製作費6億5,000万円(うち直接費3億円)[19]。東映と日本テレビが折半した[15][19]。当時、日本テレビは大林宣彦監督の『転校生』を公開前に先物買いするなど、テレビ局視聴率を稼げる映画を買い漁り始めた時期だった[20]

興行編集

製作発表を行った時点でも、秋の興行を予定していたが、1982年の正月映画第二弾を予定していた超大作『大日本帝国』が、夏興行に延期されたため[21]、東映本番線でのロングランの可能性を考えると秋の公開予定作が『制覇』『野獣刑事』と本作と、1982年当初の予想では『楢山節考』もこの年秋の公開予定があり[22]、少しタイトになった[17]。この中では久しぶりのヤクザ映画大作だった『制覇』がメインで[17]、『制覇』の公開日が流動的だったことから[17]、『制覇』を秋の本番線でじっくり流したいと考えられ[17]、本作は洋画系(東映洋画)の劇場で公開された[1][17]東京都内はSTチェーンの新宿ミラノ座渋谷パンテオンでの封切り[1]

作品の評価編集

興行成績編集

配給収入3.5億円[2]、配給収入4.2億円[23]。社会派ドラマでもう一つ伸び切れなかったとされる[23]

批評家レビュー編集

作品的に高く評価された[15]。竹入栄二郎は「元歌手の萩原健一、現歌手の小柳ルミ子が根っこからの俳優を喰った。日本アカデミー賞でも武田鉄矢いしだあゆみ泉谷しげるミュージシャンが目立つ演技をして優秀賞をもらっている。こうだから、映画会社の俳優づくりはますます退化していく。小柳は最近ヒット曲が出なかったから、突如映画で演技賞をモノにするから驚く。小柳を起用したプロデューサーの目も確かだったが、それに応えた小柳も本業がイマイチだったから余計に目立つ」などと評した[24]

鬼頭麟平は「誘拐犯夫婦の愛憎、屈折した感情、動揺する心など、原作には書かれていないフィクショナルな部分を脚色で上手く掘り下げ、よくある"事件もの"以上の人間ドラマに仕上げた。伊藤監督は『スクリーンに一つの"魔"を跳梁させてこそ映画だ』とどこかで語っていたと記憶するが、『誘拐報道』は確かに人間の"魔"を感じさせる作品だった」などと評した[25]

受賞歴編集

後の作品への影響編集

後のさまざまな事件映画に影響を与えた作品とも評される[13]

小柳ルミ子は、芝居は頭でやるものではなく、肉体のすべてでやるものだという意味で「日本にも肉体派女優誕生」などと評価された[7]。小柳は「『誘拐報道』で女優として自信を落としていたら『白蛇抄』で脱ぐ決心はつかなかったと思う」と話している[7]

逸話編集

テレビ放映編集

1984年4月11日のテレビ放送では20.9%の視聴率ビデオリサーチ調べ)を記録した[28]

ソフト状況編集

1990年にバップからビデオが発売され[29]、2015年にDVD化された[30]

30年ぶりの劇場上映編集

2012年に銀座シネパトスで萩原健一の映画イベント「萩原健一映画祭」があり、これまで権利上の一部問題や、配給会社にフィルムが存在しないことなどが理由で劇場上映が困難だったが、東京国立近代美術館フィルムセンターの保管フィルムを特別に借りて上映された[13]

脚注編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 誘拐報道のチラシ - ぴあ
  2. ^ a b 「邦画フリーブッキング配収ベスト作品」『キネマ旬報1983年昭和58年)2月下旬号、キネマ旬報社、1983年、 117頁。
  3. ^ a b c d e f g h 「NEWS OF NEWS 幼い生命の救出をめぐるサスペンス社会部記者の『誘拐報道』が映画に」『週刊読売』1982年2月14日号、読売新聞社、 29頁。
  4. ^ 誘拐報道”. 日本映画製作者連盟. 2020年5月5日閲覧。
  5. ^ 週刊新潮』1982年2月11日号、p13
  6. ^ a b 80年代黄金ヒロインたち 小柳ルミ子 | アサ芸プラス
  7. ^ a b c d e 「連載対談 笹沢佐保がニヒルに迫る(1) ゲスト小柳ルミ子さん 『脱いじゃったら気持ちスッキリ 今では何でもできちゃう』」『サンデー毎日』1983年12月4日号、毎日新聞社、 50–54頁。
  8. ^ a b c d e f g h i j k 「スペシャル・インタビュー第60回 小柳ルミ子 『結婚報道ですか?勝手にやってくださいって感じね。人の意見には左右されないわ!...』」『週刊明星』1982年9月23日号、集英社、 38–43頁。
  9. ^ 伊藤俊也監督による俳優のための実践的ワークショップ – アクターズ・ヴィジョン
  10. ^ a b c 加東康一「芸能界人脈図鑑その(10) 小柳ルミ子の巻」『映画情報』1982年10月号、国際情報社、 66–67頁。
  11. ^ 山根貞男『日本映画の現場へ』筑摩書房、1983年、156–157頁。ISBN 9784480871626
  12. ^ a b c 「CINEMANEWS」『プレイガイドジャーナル』1982年10月号、プレイガイドジャーナル社、 10頁。
  13. ^ a b c d 映画「誘拐報道」、30年ぶり劇場上映へ-「萩原健一映画祭」の一環 銀座経済新聞 2012年1月5日
  14. ^ a b c d e f 石原信一「季節(とき)よいま再び劇的瞬間を遡れ―小柳ルミ子 『私がヌードになる時は心のヌードを見せる時』」『週刊明星』1983年10月27日号、集英社、 54頁。
  15. ^ a b c d 「映画界重要日誌/製作配給界(邦画)」『映画年鑑 1983年版(映画産業団体連合会協賛)』1982年12月1日発行、時事映画通信社、 9、100頁。
  16. ^ a b 「伊藤俊也インタビュー 『10年目に筆使いを変えて、誘拐劇を』」『プレイガイドジャーナル』1982年10月号、プレイガイドジャーナル社、 111頁。
  17. ^ a b c d e f 高岩淡東映(株)常務取締役・鈴木常承東映(株)取締役営業部長)・小野田啓東映(株) 宣伝部長、聞き手・北浦馨、松崎輝夫「『82年は東映の年だ!』を相言葉と宣言」『映画時報』1982年3月号、映画時報社、 4–15頁。
  18. ^ 野村正昭「白蛇抄 夢、幻のごとく踏み迷える世界を 伊藤俊也監督インタビュー」『キネマ旬報1983年昭和58年)11月下旬号、キネマ旬報社、1983年、 56頁。
  19. ^ a b 「製作topics『誘拐報道』」『映画時報』1982年3月号、映画時報社、 32頁。
  20. ^ 「雑談えいが情報 新作映画ニュース」『映画情報』1982年2月号、国際情報社、 37頁。
  21. ^ 文化通信社編『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』ヤマハミュージックメディア、2012年、167-168頁。ISBN 978-4-636-88519-4
  22. ^ 高橋英一・西沢正史・脇田巧彦・黒井和男「映画・トピック・ジャーナルワイド版 『82年邦画界の展望を語る』」『キネマ旬報』1982年2月下旬号、キネマ旬報社、 208頁。
  23. ^ a b c 立川健二郎「興行価値」『キネマ旬報1983年昭和58年)11月下旬号、キネマ旬報社、1983年、 166頁。
  24. ^ 竹入栄二郎「やぶにらみ 映画賞雑感」『キネマ旬報1983年昭和58年)3月上旬号、キネマ旬報社、1983年、 175頁。
  25. ^ 日本シナリオ作家協会編「作品解説 『誘拐報道』 文・鬼頭麟平」『年鑑代表シナリオ集 '82』ダヴィッド社、1983年、331-332頁。
  26. ^ 過去の映画祭ラインナップとゲスト記録 第7回 湯布院映画祭 1982年8月25日(水)~29日(日) 湯布院映画祭公式サイト
  27. ^ a b c d e 横田茂美「湯布院映画祭20年の記録 第6章 特別試写」『キネマ旬報1995年平成7年)5月下旬号 119頁、キネマ旬報社
  28. ^ 週刊東洋経済』1986年8月2日号、122頁。
  29. ^ Amazon 誘拐報道 [VHS ]
  30. ^ 萩原健一が主演、サスペンス映画の傑作『誘拐報道』初DVD化 CDジャーナル 2015年8月25日

関連項目編集

外部リンク編集