諸羽神社

京都府京都市山科区四ノ宮にある神社

諸羽神社(もろはじんじゃ)は、京都府京都市山科区四ノ宮にある神社である。旧社格は郷社[1][3]。通称は四の宮(しのみや)[1]

諸羽神社


本殿

地図
所在地 京都府京都市山科区四ノ宮中在寺町17
位置 北緯34度59分40.0秒 東経135度49分15.0秒 / 北緯34.994444度 東経135.820833度 / 34.994444; 135.820833 (諸羽神社)座標: 北緯34度59分40.0秒 東経135度49分15.0秒 / 北緯34.994444度 東経135.820833度 / 34.994444; 135.820833 (諸羽神社)
主祭神 天児屋命天太玉命[1]
社格 郷社[1]
創建 貞観4年(862年)[1]
本殿の様式 春日流造[2]
別名 四の宮[1]
例祭 4月16日
地図
諸羽神社の位置(京都市内)
諸羽神社
諸羽神社
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祭神 編集

地理 編集

かつての宇治郡四宮村の西端の山中に鎮座している[4]。諸羽神社は山城国宇治郡山科郷の「第四の宮」であり、諸羽神社が四宮村という地名の由来であるとする説がある[4]。この地域は古くから京都への出入り口にあたる要衝の地で、人康親王の史跡が多い現在の京阪京津線四宮駅に近い[5]。諸羽神社境内にある琵琶石も人康親王由来と伝わる[5]。四ノ宮、安朱、竹鼻の3地区の産土神である[1][3]

歴史 編集

清和天皇の治世の貞観4年(862年)に社殿が造営されたとされるが[6]、詳細は不明である。かつては兩羽大明神(もろはだいみょうじん)と称したが、やがて「兩羽」は「諸羽」に改められた[7]。社殿は応仁の乱(1467年-1477年)で焼失した[3]。応仁の乱後に再建された社殿は、明和元年(1764年)に火災に遭い、この際に古記録の大半が焼失している[6]。明和2年(1765年)に復興したとされるが[3]、天明年間(1781年-1789年)にも火災に遭った。現在の社殿は19世紀中頃につくられた[8]

1873年(明治6年)8月には村社に列せられ、1883年(明治16年)1月には郷社に昇格した[6]

境内 編集

琵琶石 編集

伊勢物語』七十八段で藤原常行が山科の禅師の親王に献上した「紀の国の千里(ちさと)の浜の石」と伝えられるが、真偽の程は不明[9]

本社 編集

本社の造営年代は不明だが、細部様式から19世紀中頃と見られる[10]

摂社・末社 編集

  • 末社(天満宮・稲荷社) - 本殿の西側北隅

祭事 編集

  • 小学校入学奉告祭:4月第一日曜日(春季大祭)
  • 例祭:4月16日 [11]
  • 神幸祭:10月第三日曜日(秋季大祭)[12]

現地情報 編集

所在地
交通アクセス

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h i 『京都・山城寺院神社大事典』平凡社、1997年
  2. ^ 「諸羽神社」『全国神社名鑑 下巻』全国神社名鑑刊行会史学センター、1977年、p.94
  3. ^ a b c d e f 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 26 京都府 上巻』角川書店、1982年、p.1405
  4. ^ a b 『史料 京都の歴史 11 山科区』平凡社、1988年、p.325
  5. ^ a b 京都地名研究会編『京都の地名検証 風土・歴史・文化をよむ』勉誠出版、2005年、P190頁。 
  6. ^ a b c 京都府山科町役場『京都府山科町誌』臨川書店、1973年、p.42
  7. ^ 諸羽神社 京都観光Navi
  8. ^ 京都府教育委員会編『京都府の近世社寺建築 近世社寺建築緊急調査報告書』東洋書林、2002年、P82頁。 
  9. ^ 森本 茂『校注 歌枕大観 山城編』大学堂書店、241頁。 
  10. ^ 村上訒一『近畿地方の近世謝辞建築2』東洋書林、82頁。 
  11. ^ 新撰京都叢書刊行会編『新撰京都叢書 第三巻』片岡英三、229頁。ISBN 4-653-01030-7 
  12. ^ やましなの歴史”. 2019年4月7日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集