メインメニューを開く

謝岐(しゃ き、生年不詳 - 561年)は、南朝梁からにかけての人物。本貫会稽郡山陰県

経歴編集

梁の太学博士の謝達の子として生まれた。尚書金部郎や山陰県令をつとめた。侯景の乱が起こると、東陽に流寓した。侯景の乱が平定されると、張彪の下についた。張彪は呉郡太守や会稽郡太守をつとめたが、郡の庶務については長史の謝岐に一任した。張彪が征戦におもむくと、謝岐はつねに郡の留守を預かった。張彪が敗れると、謝岐は陳霸先に召されて機密に参与し、尚書右丞を兼ねた。戦役がつづき、軍糧は事欠くことが多かったが、謝岐が軍糧の調達と補給を管理したため、陳霸先に重んじられた。557年永定元年)、尚書右丞を兼任したまま、給事黄門侍郎・中書舎人となった。561年天嘉2年)、死去した。通直散騎常侍の位を追贈された。

伝記資料編集