讃甘村

日本の岡山県英田郡にあった村

讃甘村(さのもそん)は、かつて岡山県北東部(美作地区)に存在していた英田郡(明治33年までは吉野郡)に属す。

さのもそん
讃甘村
廃止日 1954年3月25日
廃止理由 新設合併
讃甘村、大原町(初代)、大吉村大野村大原町(2代)
現在の自治体 美作市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 岡山県
英田郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 11.6 km2
総人口 1,932
国勢調査、1950年)
隣接自治体 大原町、大吉村、大野村、東粟倉村
兵庫県佐用郡江川村石井村
讃甘村役場
所在地 岡山県英田郡讃甘村大字下庄
地図
旧・讃甘村役場庁舎位置[1]
座標 北緯35度05分38秒 東経134度19分16秒 / 北緯35.09375度 東経134.32106度 / 35.09375; 134.32106座標: 北緯35度05分38秒 東経134度19分16秒 / 北緯35.09375度 東経134.32106度 / 35.09375; 134.32106
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

1954年大原町大吉村大野村と合併し、新たに大原町となったため地方自治体として消滅した。

概要 編集

現在の美作市宮本・西町・今岡・下庄町・小原田および兵庫県佐用郡佐用町東中山に相当する。

往古は英多郡讃甘郷に属し、その後荘園化され讃甘荘と呼ばれた[2]。村名はこれにちなむ[3]

沿革 編集

  • 明治5年8月17日1872年9月19日) - 宮本村・下庄村(元下荘村上部)・下庄村のうち西分(元下荘村下部)が合併して下庄村となる[2]
  • 1881年(明治14年)9月2日 - 西町村と東町村が合併して西町村となる。下庄村が宮本村と下庄村に分村する[2]
  • 1883年(明治16年)2月15日 - 連合戸長役場制度発足により、吉野郡第六部戸長役場を下庄村に設置し、同村および宮本村・中山村・小原田村・笹岡村(後の大野村)を管轄。西町村・今岡村は第四部戸長役場(辻堂村、後の大原村)の管轄となる[4]
  • 1889年(明治22年)6月1日 - 町村制施行。宮本村・西町村・今岡村・中山村・下庄村・小原田村が合併し、讃甘村発足。役場を宮本に設置[3]
  • 1896年(明治29年)4月1日 - 大字中山が兵庫県佐用郡江川村に編入[2]
  • 1899年(明治32年) - 大原村から西町を経て兵庫県に通じる県道が開通(現国道373号)。鎌坂峠(釜坂峠)を越える旧因幡街道に代わる幹線道路となる[3]
  • 1900年(明治33年)4月1日 - 吉野郡が英田郡と合併し、新たに英田郡となる(英田郡讃甘村)。
  • 1902年(明治35年) - 風化小学校を讃甘尋常小学校と改称[3]
  • 1912年大正元年)- 宮本武蔵生誕地碑の除幕式を宮本で挙行[5]
  • 1915年(大正4年) - 大吉村からの県道が開通(現県道5号)[3]
  • 1916年(大正5年) - 讃甘尋常小学校が高等科を併置し、讃甘尋常高等小学校として宮本に移転。役場を下庄の同小学校跡に移転[3][5]
  • 1920年(大正9年)2月16日 - 讃甘村役場が火災により、保管していた書類を焼失[6]
  • 1943年昭和18年) - 讃甘郵便局を下庄に開設[3]
  • 1954年(昭和29年)3月25日 - 大原町(初代)・大吉村・大野村と合併し、新たに大原町(2代)が発足したため消滅。下庄は大原町下庄町となる[7]

当時の主要施設 編集

交通 編集

鉄道 編集

道路 編集

脚注 編集

  1. ^ 1/50000佐用 明治30年測図・昭和7年要部修正測図Stanford Digital Repository
  2. ^ a b c d 岡山県市町村合併誌 市町村編 1045・1046頁(岡山県、1960)
  3. ^ a b c d e f g 角川日本地名大辞典 岡山県「讃甘村(近代)」
  4. ^ 岡山県市町村合併誌 総編 76頁(岡山県、1960)
  5. ^ a b c 角川日本地名大辞典 岡山県「宮本(近代)」
  6. ^ 「司法省告示第16号・第17号」『官報』1920年3月9日国立国会図書館デジタル化資料)
  7. ^ 角川日本地名大辞典 岡山県「下庄(近代)」

関連項目 編集