谷 信一(たに しんいち、1917年3月14日[1] - 1980年9月6日)は、日本銀行家。生え抜き初の東海銀行(現三菱UFJ銀行)頭取を務めたが、病気で退任した。正四位勲二等瑞宝章藍綬褒章受章。

略歴 編集

岐阜県出身[1]1937年名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)卒業し、同年に愛知銀行に入行[1]。歴代頭取が日本銀行出向者に占められる中、1975年5月から生え抜きの初の東海銀行(現三菱UFJ銀行)頭取を務めたが、1980年に急病で頭取職を同窓たる加藤隆一に譲り退任した[1][2][3]。1979年藍綬褒章受章[4]。1980年正四位勲二等瑞宝章[5]

参考文献 編集

  • 人事興信所 編『人事興信録 第30版 下』人事興信所、1979年。 

脚注 編集

  1. ^ a b c d 人事興信所 1979, た351頁.
  2. ^ 「記者回顧録1970年代の金融群像42番手グループで幅を利かせていた天下り頭取」『月刊リベラルタイム 2月号 (発売日2007年01月06日)』
  3. ^ 加藤隆一(読み)かとう りゅういちデジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説
  4. ^ 官報昭和54年本紙第15840号 17頁
  5. ^ 官報昭和55年本紙第16101号 11頁
先代
三宅重光
東海銀行頭取
1975年 - 1980年
次代
加藤隆一