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日本 > 鹿児島県 > 鹿児島市 > 谷山塩屋町

谷山塩屋町(たにやましおやちょう Taniyama Shioya-Chō)は、鹿児島県鹿児島市にあった町名。旧谿山郡谷山郷塩屋村、谿山郡谷山村大字塩屋鹿児島郡谷山町大字塩屋谷山市塩屋町郵便番号は891-0121。人口は286人、世帯数は153世帯(2010年2月末現在)[1]

谷山塩屋町
町丁(廃止)
潮見橋を谷山中央から谷山塩屋町方を望む。
潮見橋を谷山中央から谷山塩屋町方を望む。
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 鹿児島県
市町村 鹿児島市
地域 谷山地域
地区 谷山地区
人口
2010年(平成22年)2月末現在)
 • 合計 286人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
891-0121 
廃止年月日 2013年11月11日

「塩屋」という町名は以前、付近に塩田があったことに由来する。2013年11月11日に住居表示実施に伴い和田町及び谷山塩屋町の全域を以て和田三丁目が設置されたのに伴い廃止された[2]

地理編集

鹿児島市の南部、和田川下流域に位置している。町域の北方及び西方には谷山中央、南方には和田、東方には卸本町がそれぞれ隣接していた。

以前は上福元町下福元町(現在の谷山中央)を挟んで南部と北部に分かれていたが、北部は東谷山小松原の一部となり、南部の一部は谷山中央の一部となった。

歴史編集

 
谷山塩屋町の町域変遷図

江戸期の塩屋村編集

塩屋という地名は江戸期より見え、薩摩国谿山郡のうちであった。村高は「旧高旧領」では336石余であったとある。村内には山川路(現在の国道225号及び国道226号)が通っていた。

町村制施行後の塩屋・塩屋町編集

1889年(明治22年)に町村制施行に伴い、谿山郡に属していた宇宿村を除く全村をもって谷山村が成立し、谷山村の大字「塩屋」(1924年の町制施行の際も同様)となった。1958年(昭和33年)には谷山町が市制施行し谷山市の町名「塩屋町」となる[3]

鹿児島市編入後から廃止まで編集

1967年(昭和42年)に谷山市が鹿児島市と合併したが、旧鹿児島市域にも塩屋町(現在の甲突町及び城南町錦江町の各一部)があり、町名の重複を回避するために「谷山」を冠称した。

その後付近が鹿児島臨海工業地域の用地として埋立てられ、町名の由来となった塩田もなくなったとされる[3]

1979年(昭和54年)に一部が東谷山一丁目1981年(昭和56年)に一部が小松原二丁目に分割され、北方部分は消滅し南方部分のみが残っていたが、1996年(平成8年)に南方の一部も谷山中央二丁目、谷山中央三丁目及び谷山中央四丁目の各一部となったため[4]、2012年現在、谷山塩屋町の区域は極僅かの面積しか残っていない。

2013年平成25年)11月11日に谷山塩屋町の区域(約4ha)及び和田町の残部の区域で住居表示が実施され和田三丁目が新設されることとなり、谷山塩屋町は廃止された[2][5]

町域の変遷編集

実施後 実施年 実施前
東谷山一丁目 1979年昭和54年) 谷山塩屋町の一部
小松原二丁目 1981年昭和56年)
谷山中央二丁目、谷山中央三丁目及び谷山中央四丁目 1996年平成8年)
和田三丁目の一部 2013年平成25年) 谷山塩屋町(全域)

施設編集

以下の施設は谷山塩屋町廃止時に谷山塩屋町に位置していた施設である。

公共
  • 塩屋公民館
その他

小・中学校の学区編集

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[6]

町丁 番・番地 小学校 中学校
谷山塩屋町 全域 鹿児島市立和田小学校 鹿児島市立和田中学校

脚注編集

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  1. ^ 統計情報 - 鹿児島市ホームページ
  2. ^ a b かごしま 市民のひろば 2013年(平成25年)11月 558号 3面 (PDF) - 鹿児島市、2013年11月1日閲覧。
  3. ^ a b 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.321
  4. ^ 平成8年鹿児島県告示第223号(町の区域の設定及び変更、平成8年2月9日付鹿児島県公報第1033号所収)
  5. ^ 『南日本新聞』 2012年8月28日付 18面(住居表示 「和田3丁目」新設 来秋から「谷山塩屋町」消失へ)
  6. ^ 小・中学校の校区表”. 鹿児島市役所. 2010年7月13日閲覧。

座標: 北緯31度30分51.2秒 東経130度31分4.4秒