谷山塩屋町

かつて鹿児島県鹿児島市にあった町
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谷山塩屋町(たにやましおやちょう)は、かつて鹿児島県鹿児島市にあった[1][2]。旧薩摩国谿山郡谷山郷塩屋村谿山郡谷山村大字塩屋鹿児島郡谷山町大字塩屋谷山市塩屋町郵便番号は891-0121。人口は286人、世帯数は153世帯(2010年2月末現在)[3]

谷山塩屋町
町丁(廃止)
潮見橋
谷山塩屋町の位置(鹿児島県内)
谷山塩屋町
谷山塩屋町
谷山塩屋町の位置(日本内)
谷山塩屋町
谷山塩屋町
北緯31度30分46秒 東経130度30分59秒 / 北緯31.51278度 東経130.51639度 / 31.51278; 130.51639座標: 北緯31度30分46秒 東経130度30分59秒 / 北緯31.51278度 東経130.51639度 / 31.51278; 130.51639
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 鹿児島県の旗 鹿児島県
市町村 Flag of Kagoshima, Kagoshima.svg 鹿児島市
地域 谷山地域
地区 谷山地区
人口
2010年(平成22年)2月末現在)
 • 合計 286人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
891-0121 
市外局番 099
ナンバープレート 鹿児島
廃止年月日 2013年11月11日

塩屋という地名は江戸時代より見え[1]1967年(昭和42年)の谷山市と鹿児島市の対等合併により鹿児島市となった際に塩屋町から「谷山塩屋町」に改称した[1]2013年(平成25年)11月11日に和田地区において住居表示が実施されるのに伴い町域の再編が実施され、和田町・谷山塩屋町の全域を以て和田三丁目が設置され廃止された[2]

地理編集

鹿児島市の南部、和田川下流域に位置していた。2013年(平成25年)時点の町域の北方及び西方には谷山中央、南方には和田、東方には卸本町がそれぞれ隣接していた。

かつては鹿児島湾の海岸に沿って南北に長い町域であり、塩の専売制度導入までは塩田が広がり製塩業が盛んであった[4]1971年(昭和46年)から2013年(平成25年)まで行われた町域の再編に伴って、徐々に町域が減少していき、2013年(平成25年)11月11日に和田三丁目の一部となり廃止された。

1970年(昭和45年)時点の町域は2021年(令和3年)現在の卸本町(一部)・東谷山一丁目(一部)・小松原一丁目(一部)・小松原二丁目(全域)・谷山中央二丁目(一部)・谷山中央三丁目(一部)・谷山中央四丁目(一部)・和田三丁目(一部)にあたる。

河川編集

  • 和田川

町名の由来編集

「塩屋」という町名は以前、付近に塩田があったことに由来する[1]

歴史編集

塩屋村の成立と近世編集

塩屋は江戸時代より見える地名であり、薩摩国谿山郡谷山郷(外城)のうちであった[1]村高は「三州御治世要覧」では312石余[5]、「旧高旧領取調帳」では336石余であった[1]寛文4年の「郡村高辻帳」には塩屋村の記載がなく、福本村[注釈 1]に含まれていたとされる[5]。上塩屋・中塩屋・東塩屋・西塩屋・和田塩屋の5地区に分かれていた[5]

塩屋の浦浜には商家があり商売が営まれており、谷山市史によれば油・雑貨店、海産物商、米穀・味噌醤油業が店を構えていたとされる[6]。また塩屋村には山川路(現在の国道226号の前身)が通っていた[7]

万治元年(1658年)に薩摩藩島津光久の命により和田村沖の開発が行われた(和田干拓[8]弘化3年(1846年)に塩屋村(現在のラ・サール中学校・高等学校付近)において総指揮役の成田正右衛門の指揮の下薩摩藩の洋式砲術の演習が行われた[9]島津斉彬がこの砲術演習を視察し、成田に対して質問書を斉彬が下したとされる[10]安政5年(1853年)には島津斉彬によって中塩屋に硝石場を建設されたとされる[11]

1882年(明治15年)には塩屋村に浄土真宗本願寺派の説教所が設置され、1888年(明治21年)に妙行寺[注釈 2]を公称した[5][13]

町村制施行から廃止まで編集

1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、それまでの谷山郷にあたる下福元村、上福元村、松崎町、塩屋村、和田村、平川村、中村、山田村、五ケ別府村の区域より鹿児島郡谷山村が成立した。これに伴ってそれまでの塩屋村は谷山村の大字塩屋」となった[1]1897年(明治30年)4月1日に「  鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置法律」(明治29年法律第55号)が施行されたのに伴い谿山郡鹿児島郡に編入され、谿山郡に属していた谷山村は鹿児島郡のうちとなった。1924年(大正13年)9月1日には谷山村が町制施行したことにより、谷山町の大字となった[1]

1954年(昭和29年)には妙行寺の本堂を保育室として開放してこれがのちに谷山幼稚園となった[14]1958年(昭和33年)に谷山町が単独市制施行し谷山市となり[15]、同時に大字をに改め、それまでの大字塩屋は谷山市の町「塩屋町」となった[1]1967年(昭和42年)4月29日には谷山市が鹿児島市と対等合併し、鹿児島市となった[16]。合併に先だって同年3月8日の鹿児島県公報に掲載された「  町の名称の変更」(昭和42年鹿児島県告示第178号)によって合併の前日となる4月28日に塩屋町の名称が「谷山塩屋町」へ改称された[注釈 3][17]

1967年(昭和42年)から1971年(昭和46年)にかけて鹿児島開発事業団によって谷山塩屋町沖の鹿児島湾上に鹿児島臨海工業地帯の二号用地(永田川南岸から)が埋め立てにより造成され[18]、二号用地のうち流通業務団地(卸商業団地)の区域を以て1971年(昭和46年)に公有水面埋立地及び谷山塩屋町、和田町の各一部より卸本町が設置された[18][19]

1979年(昭和54年)2月26日に笹貫・谷山塩屋地区の区域において住居表示が実施されることとなった[20][21]。それに伴い町域の再編が実施され谷山塩屋町、上福元町の各一部より東谷山一丁目が設置された[22][21]1981年(昭和56年)2月23日には小松原地区において住居表示が実施され、谷山塩屋町の一部のうち土地区画整理事業によって区画整理が実施された区域が小松原一丁目に編入され、同じく谷山塩屋町の一部より小松原二丁目が設置された[23][24]

1996年(平成8年)2月13日上福元町・谷山塩屋町の各一部より谷山中央二丁目・谷山中央三丁目、上福元町・下福元町・谷山塩屋町の各一部より谷山中央四丁目、和田町・谷山塩屋町の各一部より和田一丁目がそれぞれ設置された[25][26][27]2013年平成25年)11月11日には和田地区において住居表示が実施され[28]、谷山塩屋町の区域(約4ha)及び和田町の全域より和田三丁目が新設され、谷山塩屋町は廃止された[2][29]

町域の変遷編集

実施後 実施年 実施前
卸本町(新設) 1971年昭和46年) 谷山塩屋町(一部)
和田町(一部)
公有水面埋立地
東谷山一丁目(新設) 1979年昭和54年) 谷山塩屋町(一部)
上福元町(一部)
小松原一丁目(編入) 1981年(昭和56年) 谷山塩屋町(一部)
小松原二丁目(新設)
谷山中央二丁目(新設) 1996年(平成8年) 上福元町(一部)[26]
谷山塩屋町(一部)[26]
谷山中央三丁目(新設) 上福元町(一部)[26]
谷山塩屋町(一部)[26]
谷山中央四丁目(新設) 上福元町(一部)[26]
谷山塩屋町(一部)[26]
下福元町(一部)[26]
和田一丁目(新設) 和田町(一部)
谷山塩屋町(一部)
和田三丁目(新設) 2013年(平成25年) 谷山塩屋町(全域)
和田町(全域)

人口編集

以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。

統計年 人口
1995年(平成7年) [30] 4,859
2000年(平成12年) [31] 290
2005年(平成17年) [32] 289
2010年(平成22年) [33] 288

施設編集

以下の施設は2013年(平成25年)の谷山塩屋町廃止時に谷山塩屋町に位置していた施設である。

公共編集

  • 塩屋公民館

その他編集

小・中学校の学区編集

2010年(平成22年)時点では市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなっていた[34]

町丁 番・番地 小学校 中学校
谷山塩屋町 全域 鹿児島市立和田小学校 鹿児島市立和田中学校

脚注編集

[脚注の使い方]

注釈編集

  1. ^ 福本村は現在の上福元町下福元町の前身にあたる。
  2. ^ 妙行寺は、現在「和田一丁目」に位置するが、1996年の住居表示実施に伴い町域の変更までは谷山塩屋町のうちであった。寺の敷地内にある谷山幼稚園の住所は1990年発刊の鹿児島市史によれば谷山塩屋町となっている[12]
  3. ^ 鹿児島市には既に塩屋町が存在しており、同名の町名が存在することを回避するために改称したものとみられるが、鹿児島市の塩屋町も同時に甲突町に改称している。

出典編集

  1. ^ a b c d e f g h i 角川日本地名大辞典編纂委員会 1983, p. 321.
  2. ^ a b c かごしま 市民のひろば 2013年(平成25年)11月 558号”. 鹿児島市. p. 3. 2013年11月1日閲覧。
  3. ^ 統計情報 - 鹿児島市ホームページ
  4. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会 1983, p. 688.
  5. ^ a b c d 芳即正 & 五味克夫 1998, p. 188.
  6. ^ 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 587.
  7. ^ 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 622.
  8. ^ 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 459.
  9. ^ 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 270-271.
  10. ^ 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 271.
  11. ^ 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 278.
  12. ^ 南日本新聞 1990, p. 840.
  13. ^ 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 930.
  14. ^ 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 706.
  15. ^ 町を市とする処分(昭和33年総理府告示第332号、昭和33年9月30日付『官報』第9532号、  原文
  16. ^ 市の廃置分合(昭和41年自治省告示第155号、『官報』昭和41年10月28日付第11963号、  原文
  17. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会 1983, p. 668-669.
  18. ^ a b 角川日本地名大辞典編纂委員会 1983, p. 175.
  19. ^ かごしま市民のひろば(昭和46年9月号)”. 鹿児島市 (1971年9月1日). 2020年12月27日閲覧。
  20. ^ 南日本新聞 1990, p. 777.
  21. ^ a b かごしま市民のひろば(昭和54年2月号)”. 鹿児島市. 2021年2月19日閲覧。
  22. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会 1983, p. 535-536.
  23. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会 1983, p. 296.
  24. ^ かごしま市民のひろば(昭和56年2月号)”. 鹿児島市. 2021年2月19日閲覧。
  25. ^ 平成8年鹿児島県告示第222号(町の区域の設定及び変更、平成8年2月9日付鹿児島県公報第1033号所収)
  26. ^ a b c d e f g h 平成8年鹿児島県告示第223号(町の区域の設定及び変更、平成8年2月9日付鹿児島県公報第1033号所収)
  27. ^ かごしま市民のひろば1996年 (平成8年02月号) 第345号”. 鹿児島市. 2012年4月16日閲覧。
  28. ^ 南日本新聞 2015, p. 829.
  29. ^ 『南日本新聞』 2012年8月28日付 18面(住居表示 「和田3丁目」新設 来秋から「谷山塩屋町」消失へ)
  30. ^ 国勢調査 / 平成7年国勢調査 小地域集計 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年12月4日閲覧。
  31. ^ 国勢調査 / 平成12年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年12月4日閲覧。
  32. ^ 国勢調査 / 平成17年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年12月4日閲覧。
  33. ^ 国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年12月4日閲覧。
  34. ^ 小・中学校の校区表”. 鹿児島市役所. 2010年7月13日閲覧。

参考文献編集

  • 谷山市 『谷山市誌』谷山市、1967年http://www.city.kagoshima.lg.jp/kikakuzaisei/kikaku/seisaku-s/shise/shokai/shishi/taniyama.html 
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店、1983年。ISBN 978-4040014609 
  • 南日本新聞 『鹿児島市史 第四巻』鹿児島市長 赤崎義則、1990年http://www.city.kagoshima.lg.jp/kikakuzaisei/kikaku/seisaku-s/shise/shokai/shishi/kagoshima.html 
  • 芳即正、五味克夫 『日本歴史地名大系47巻 鹿児島県の地名』平凡社、1998年。ISBN 978-4582910544 
  • 南日本新聞 『鹿児島市史 第五巻』鹿児島市長 森博幸、2015年http://www.city.kagoshima.lg.jp/kikakuzaisei/kikaku/seisaku-s/shise/shokai/kagoshima-05.html 

関連項目編集