豊国先生えい筆之碑

歌川豊国を顕彰するために建立された石碑
豊国先生瘞筆之碑から転送)
本来の表記は「豊国先生瘞筆之碑」です。この記事に付けられた題名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。

豊国先生瘞筆之碑(とよくにせんせいえいひつのひ)とは、浮世絵師の初代歌川豊国を顕彰するために建立された石碑のこと。

解説編集

初代歌川豊国が文政8年(1825年)に死去した後、柳島妙見堂(現在の墨田区業平の法性寺)の境内に建立された石碑である。「筆塚」とも称す。その碑文によれば、初代豊国の門人たちが二代目歌川豊国と相談し、豊国の遺筆数百枚を埋めその上に建てた石碑で「文政十一年戊子1828年仲秋」の年紀があり、撰文は狂歌堂真顔、書は山東京山によるものであった。碑の裏面には豊国の門人たち建碑者の連名を記す。しかしこの石碑は関東大震災によって大きく損壊し、現在そのうちの一片が法性寺に残るのみである。

碑文も現存する部分のみでは全てを判読できないが、『UTAGAWA TOYOKUNI UND SEINE ZEIT』(Friedrich Succo著)には損壊する前の碑の写真と、碑表面の拓本の図版を載せており、碑表面の全文についてはこの拓本の図版によって知ることができる。

碑文編集

  • 碑表面の本文は『UTAGAWA TOYOKUNI UND SEINE ZEIT』所収の拓本の図版に拠る。ただし原文は漢字かな交じり文で濁点はなく、句読点もついていないので、読みやすさを考え適宜文章に空白を設けた。
  • 碑表面本文の 」 の記号は原文の改行を示す。
  • 碑表面本文の太字は、現存し確認できる部分を示す(『墨田区文化財調査報告書Ⅶ』に拠る)。
  • 拓本には誤記と見られる箇所(「遺筆数百枚」を「遺筆数百」とするなど)があるが、そのままとした。
  • 『UTAGAWA TOYOKUNI UND SEINE ZEIT』には碑表面の拓本しか収めておらず、碑裏面の本文そのものを確認できる文献はない。よって碑裏面の本文については斎藤月岑編『増補浮世絵類考』所収のものを底本として用い、直接には『総校日本浮世絵類考』所収の本文(157頁)に拠った。碑裏面は『増補浮世絵類考』によれば名を横並びに連ね、それを7段に分けて記している。
  • 碑裏面の本文には、『浮世絵編年史』と『増訂浮世絵』所収のものを合わせて校異を示した。略号は以下の通り。
    • 『浮世絵編年史』…
    • 『増訂浮世絵』…
  • 漢字の字体は碑表面、碑裏面とも現行のものに改めた。

碑表面編集

一陽斎歌川豊国本姓は倉橋 父を五郎兵衛と云り 宝暦の頃芝神明宮の辺に住し」 木偶彫刻の技業を以自ら一家をなせり 曽て俳優の名人市川栢筵の肖像を作る」に妙を得たりき 明和の初こゝに豊国を生り 幼名を熊吉と称す 性画を嗜か故に 歌」川豊春に就て浮世絵を学しむ 依て歌川を氏とす 頗出藍の才あり 長に及て 俳優」者流の肖像を画に妙を得て 生気活動神在か如し 或また美人時世の嬌態 梓本彩」筆 諸国流行し 華人蕃客も珍とし求む 茲を以一陽斎の号 日の昇るか如く 豊国の」名一時に独歩し 画風自ら一家を成し 朱門の貴公子も師とし学ふ 門人画業の徒」に於て良才乏しからす 実に近世浮世絵師の冠たり 惜哉一陽斎享年五十七歳に」して没せり 時に文政八年酉正月七日也 三田聖阪弘運禅寺に葬る 法名を実彩霊」毫と云 遺愛の門人等一陽斎の義子今の豊国と量て 亡師の遺筆数百技を埋て碑」を営み 亡翁の友人等も為に力を助け 桜川慈悲成子をして余か蕪辞を需む 余も」また亡翁の旧識たり 故に固辞することあたわす 其事を記て其乞に答ふ
文政十一年戊子仲秋 狂歌堂四方真顔撰 窪世祥鐫」 山東庵樵者京山書并篆

碑裏面編集

(1段目)
地本屋仲間中
団扇や[1]仲間中[2]
歌川総社中碑
営連名[3]
(2段目)
国文[4]
国長
国満
国貞
国安
国丸
国次
国照
国直
国信
国芳
国光[5]
国種
国勝
国虎
国若
国武
国宗
国彦
国時
(3段目)
国常[6]
国綱
国蔵[7]
国為
国宅
国英
国景
国近
二代目豊国社中
国富
国朝
国久女
国春
国弘
国重
国盛
国鶴
国道
国一
国与[8]
(4段目)
国貞社中
貞虎
貞房
貞景
貞秀
貞綱
貞幸
貞考[9]
貞歌女
貞久
貞信
貞広[10]
国安社中
安信
安秀
安重[11]
安春
安常
安清
安峯
(5段目)
国丸社中
重丸
年丸
輝久[12]
国直社中
国信社中
信清[13]
信房
信与喜
信貞
国芳社中
芳春
芳信
芳房
芳清
芳影
芳勝
芳忠[14]
芳富
(6段目)
国種社中
種繁
種政
種清
種京[15]
種信
国勝社中
勝重
勝信
勝秀
勝芳
勝政
国武社中
武重
武光
武虎
国宗社中
国宅社中
二代目[16]一瑛斎歌川豊国
(7段目)
此余之社中不係碑営者不題[17]其名

校異編集

  1. ^ 「団扇屋」
  2. ^ 「団扇屋仲間中」の後に「松市」とあり
  3. ^ 「連名」、「建者」
  4. ^ 「国政」
  5. ^ 国忠
  6. ^ 国幸
  7. ^ 国花女
  8. ^ 国興
  9. ^ 貞孝
  10. ^ 「浪花貞広」
  11. ^ 「安重」無し
  12. ^ 輝人
  13. ^ 「信清」と「信房」の間に「清一」あり
  14. ^ 芳見
  15. ^ 種景
  16. ^ 「二代」
  17. ^ 「題」、「顕」

参考文献編集

  • 関場忠武 『浮世絵編年史』 東陽堂、1891年 ※国立国会図書館デジタルコレクションに本文あり。51 - 52コマ目。
  • Friedrich Succo 『UTAGAWA TOYOKUNI UND SEINE ZEIT』 1913年 ※「TOYOKUNIS PERSON」に豊国先生瘞筆之碑の写真と拓本の図版あり。
  • 藤懸静也 『増訂浮世絵』 雄山閣、1946年 ※国立国会図書館デジタルコレクションに本文あり。255 - 256頁、165 - 166コマ目。
  • 由良哲次編 『総校日本浮世絵類考』 画文堂、1979年 ※157頁
  • 『墨田区文化財調査報告書Ⅶ -仮名交じり文の石碑(3)-』 墨田区教育委員会、1987年 ※87 - 89頁

関連項目編集

外部リンク編集