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豊国廟(ほうこくびょう)は豊臣秀吉の墓所である。現在、京都市東山区阿弥陀ヶ峰の山頂、麓から563段の石段を登ったところに石造五輪塔が建てられている。

歴史編集

豊臣秀吉の死後間も無く作られた豊国廟は、現在の京都市東山区阿弥陀ヶ峰麓の太閤担(たいこうだいら)といわれる広場のところにあった。かつて、この地には豊国廟の他にも秀吉を祀る壮麗な豊国社も建立されていた[1]。しかし、豊国廟と豊国社は、豊臣秀吉の死後に徳川家康によって破壊されてしまい、豊国廟は1880年明治13年)に修築が行われるまで300年ほど放置されていた。

1875年(明治8年)に豊国神社が再興されたことから豊国廟の整備が行われ始め、1897年(明治30年)には阿弥陀ヶ峰山頂に伊東忠太の設計になる巨大な石造五輪塔が建てられた。翌1898年(明治31年)には豊太閤三百年祭が大々的に挙行されている。

この工事の際、土中から素焼きの壷に入った秀吉の遺骸とおぼしきものが発見されたが、遺骸は丁重に再埋葬された[2]。その西の麓の平坦地、かつての社殿があった太閤坦には秀吉の孫である国松と秀吉の愛妾松の丸殿の供養塔(五輪塔)が寺町の誓願寺から移されて建っている。

関連項目編集

脚注編集

  1. ^ 竹下, p.113
  2. ^ 湯本文彦『豊太閤改葬始末』「史学雑誌17-1」1909所収。

参考文献編集

  • 竹下俊則「昭和京都名所圖會 1 洛東ー上」駸々堂出版株式会社、131-132頁
  • 財団法人 京都市埋蔵文化財研究所 京都市考古資料館 「京都 秀吉の時代 つちの中から」59頁

外部リンク編集