豊国(とよくに、生没年不詳)は、6世紀ごろの豊国法師(とよくにほうし)の名で知られている。

日本書紀』によれば、587年(用明天皇2年)用明天皇が病気となったとき、天皇が仏教に帰依しようと群臣に諮ったところ、賛否両論はあったが、その中で蘇我馬子が賛成したことから、穴穂部皇子に案内されて内裏に入ったのが豊国であったという。

なお、「豊国」自体は個人名ではなく、豊国令制国豊前国及び豊後国にあたる地域)出身の法師の意か。

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