メインメニューを開く

豊島 (香川県)

香川県、瀬戸内海にある島

豊島(てしま)は 瀬戸内海の東部、小豆島の西方3.7kmに位置する[2]直島諸島に属す。

豊島
Teshima island.jpg
南から望む豊島、左手前は男木島[1]
所在地 香川県小豆郡土庄町
所在海域 瀬戸内海
所属諸島 直島諸島
座標 北緯34度29分0秒 東経134度4分0秒 / 北緯34.48333度 東経134.06667度 / 34.48333; 134.06667座標: 北緯34度29分0秒 東経134度4分0秒 / 北緯34.48333度 東経134.06667度 / 34.48333; 134.06667
面積 14.4[2] km²
海岸線長 19.8[2] km
最高標高 339.6 m
最高峰 檀山
豊島 (香川県)の位置(香川県内)
豊島 (香川県)
豊島 (香川県) (香川県)
豊島 (香川県)の位置(日本内)
豊島 (香川県)
豊島 (香川県) (日本)
Project.svgプロジェクト 地形
テンプレートを表示
唐櫃棚田
家浦の街並み

行政区分は香川県小豆郡土庄町に属し、島内の大字には豊島家浦てしまいえうら豊島唐櫃てしまからと豊島甲生てしまこうの3つがある。1999年の人口は約1600人[2]

概要編集

島の西、東、南に集落があり、稲作、ミカン栽培、酪農などの第一次産業が中心の島である[2]。ノリやハマチの養殖も行われ[2]、豊島石と呼ばれる石材も採取される[2]。いずれの産業も衰退傾向にあり、高齢者指数も30%を超え(1999年時点)、高齢化と過疎化問題に直面している[2]。香川県では唯一の乳児院(いわゆる孤児院)である「豊島神愛館」(出典によっては「親愛館」[2])が1947年に設置されていたが、老朽化により2015年に坂出市に転出し、「かがわ子ども・子育て支援センター」に統合された。跡地は、ゲストハウス「mamma」として活用されている[3]特別養護老人ホームグループホーム精神薄弱者更生施設「みくに成人寮」などがあり、福祉の島として知られるが[2]、豊島総合観光開発が起こした国内最大級の産業廃棄物投棄事件は、42年間にも渡って豊島の住民を悩まさせることになった。

地理と自然編集

檀山編集

標高339m。島のほぼ中央に位置し、頂上からは瀬戸内の島々を一望できる。天気の良い日であれば、瀬戸大橋淡路島も見ることができる。

山頂付近には樹齢100年から250年前後と見られるスダジイの群生林が見られ、麓にはクヌギ林が広がっている。ごく最近まで人の手が入っていたようで、里山の様相を呈する。

唐櫃の清水編集

唐櫃岡(からとおか)地区にわき出る湧水。喉の渇きを覚えた弘法大師が杖で地面を掘ったところ、清水がわき出たとの伝承がある。古くから地区住民の生活・交流の場として用いられてきた。

壇山の麓に広がるクヌギ林が豊かな水を涵養していると見られ、河川、ため池、水路などの水面面積は他の離島[どこ?]の3倍にもなる。

遺跡編集

礼田崎貝塚 
島の南に位置する、西日本では最も古い部類の貝塚。およそ9,000年前のものであることが確認された。
水ヶ浦遺跡・横引ヶ浜遺跡 
島の西端に位置する、縄文時代末期から弥生時代にかけての遺跡。住居跡らしき形跡や出土品があったが、後述する産廃の不法投棄事件の折、事業者によって破壊された。

産業編集

豊島石編集

「豊島石」という石材を産出する。塩基性角礫凝灰岩[2]。耐火性に優れ、多くは生活用品に加工された。また苔が付きやすい特性のために、灯籠などの石材にも重用された。

豊島村史によれば平安末期からおよそ1,000年にわたって石の採掘が行われていたという。

一次産業編集

水資源に恵まれ、自給して余るほどの農産物が生産されていた。また早くから酪農も行われていた。瀬戸内の潤沢な漁場に恵まれて漁業も盛んで、文字通りの「豊かな島」であったが、過疎化と高齢化の煽りを受け、いずれの産業も不振に見舞われている。

教育と福祉編集

  • 土庄町立豊島小学校
  • 土庄町立豊島中学校
  • 乳児院「神愛館」- キリスト教社会運動家賀川豊彦によって、第二次世界大戦前のサナトリウム跡を利用して設立された乳児院
  • 農民福音学校 - 賀川豊彦によって設立された農民学校で、セツルメント論に基づく教育が行われ、今日の大学レベルの農学が教えられた
  • 特別養護老人ホーム「ナオミ荘」
  • 知的障害者更生施設「みくに園」

交通編集

  • 小豆島豊島フェリー
    • 北岸にある、豊島の中心地の家浦港と、北東岸の唐櫃(からと)港にフェリー乗り場がある。宇野港から、家浦港・唐櫃港に寄港し、土庄港とを結ぶ旅客フェリー1隻と旅客船1隻が運航されている。
  • 豊島フェリー - 家浦港と高松港を結ぶ不定期旅客フェリーと、定期高速船を運航
  • 四国汽船 - 家浦港と直島(宮浦港)・犬島を結ぶ高速船を運航(休航日あり)
  • 島内では、土庄町が家浦港-唐櫃港・家浦港-甲生集会所前を結ぶバスを運行している。(自家用車両を使用しているが有料)
    • 瀬戸内国際芸術祭の会期中は増便されるが、こちらは小豆島交通の営業用バスを使用している。

観光・名所・名産編集

イベント編集

豊島事件(産廃不法投棄)編集

豊島総合観光開発(豊島開発)が、1975年から16年間、豊島の西端の海岸近くに産業廃棄物を違法・大量に投棄し、問題となった。

背景編集

 
産廃問題の現場。1974年の撮影。まだ処分場の許可は降りておらず、産廃の持ち込みは開始されていない。元々は土砂採取を行った跡地であった。

豊島開発の実質的経営者は父親の代より豊島に移住し豊島家浦字水ケ浦に28.5ヘクタールの土地を所有していた。1975年12月に豊島開発は香川県に対して有害廃棄物処理場建設の申請を行った[2]。豊島の住民はただちに反対運動を開始し、1976年に豊島住民1425名の反対署名を香川県へ提出している[2]。1977年に住民らは「廃棄物持込絶対反対豊島住民会議」を結成、3月4日には豊島住民515名が香川県庁へデモに押しかけ、6月28日には豊島住民が高松地裁に処分場建設差し止め裁判申し立てを行うなど、激しい反対運動を展開した[2]。処分場予定地に通じる道路に杭を打ち、道路を封鎖するなどの実力行使も行われた[2]。これら反対運動に激昂した経営者は、住民を脅したり暴行傷害事件を起こし逮捕される[2]。経営者逮捕によって旗色が悪くなった豊島開発は、廃棄物処理場建設の明目を「ミミズ養殖による土壌改良剤化処分業のための汚泥処理」に変更する[2]。1978年2月1日、香川県知事(当時)の前川忠夫は、先の処分場建設差し止め裁判の結論を待たずに[2]、ミミズ養殖による土壌改良剤化処分業のための汚泥処理に限定し処分場建設許可する(廃棄物の処理及び清掃に関する法律の一四条一項)[4]。処分場を許可した前川知事は「迷える子羊も救う必要がある。事業者は住民の反対にあい、生活に困っている。要件を整えて事業を行えば安全であり、問題はない。それでも反対するのであれば、住民のエゴであり、事業者いじめである。豊島の海は青く空気はきれいだが、住民の心は灰色だ」と述べて、処分場の計画に反対する住民を非難し[5]、処分場を許可する方針を貫いた[2]。同年10月19日、「産業廃棄物を豊島に持ち込まない」「豊島の環境を悪化させない」等の条項を定めた高松地裁での処分場建設差し止め裁判の和解が豊島開発との間に成立した[4]。豊島開発が許可された事業内容は汚泥(製紙汚泥及び食品汚泥)、木屑及び家畜の糞の収集運搬業及びミミズによる土壌改良剤化処分業であった[4]

産廃の持ち込み編集

 
写真左端が産廃廃棄現場(東京ドーム6個分の面積)。写真右上には家浦の集落と港が見える。港から写真中央を斜めに走る未舗装の狭い山道を、10トンダンプが往復して産廃を運び込んだ。
 
敷地の全景。
 
敷地の西端の拡大。いくつかの建屋が見える

豊島開発は、許可を得た直後より豊島の西端の22ヘクタールの土地に[2]廃タイヤを敷地内に持ち込み野焼きするようになる[4][2]。1980年(昭和55年)頃からは、廃プラスチック、紙くず、金属くずの混合物であるラガーロープ、廃油を持ち込むようになり、埋設や野焼きをするようになる。1983年(昭和58年)頃からは、自動車解体で発生する廃プラスチック類であるシュレッダーダスト、ラガーロープ、廃油及び汚泥等の様々な有害廃棄物を大量に搬入し、同所でラガーロープやシュレッダーダストに廃油をかけて野焼きしたり、埋め立てるようになる[4]。豊島への産廃の持ち込みは秘密裏に行われたものではなく、定期航路のフェリーに産廃を満載したダンプやタンクローリーを乗船させて豊島の家浦港から上陸し狭い島内の道路を産廃をまき散らしながらの持ち込みであった[4]。使用された搬入車両は7-8台あり、これらが島内の狭小路を一日に何十回と往復させた。1984年(昭和59年)頃からは廃棄物を運搬するための改造フェリー(宇高連絡船を入手して改造したもの)を就航させ、このフェリーに積載された産業廃棄物500トンを豊島家浦港で10トンダンプカーに積み替えて運搬するようになる[4]。これらの搬入作業によって、定期フェリー内部は汚染され、港や道路に産業廃棄物を落下飛散させ、産業廃棄物から発生する悪臭を撒き散らされ、騒音及び振動並びに歩行者の通行が危険な状態が発生した[4]。住民は香川県に対して事業者の違法行為を通告し、廃棄物の持ち込み中止と指導監督要請を繰り返したが、香川県は中止命令を出さなかった[2]。1984年4月、住民は香川県に対して公開質問状を提出する。また香川県は118回の立ち入り検査を実施するも、廃棄物処理ではなく金属回収事業であり違法性はないという見解を示した。立ち入り検査に来た県職員は豊島開発に対して違法な廃棄物処理を止めるように指導するどころか、それを知りながら逆に「法の抜け穴」を豊島開発に指南していたことが兵庫県警の刑事公判記録に記載されている[2][6]。1987年頃には野焼きによる黒煙や煤が風向きによっては島全体を覆い、激しい悪臭を放つとともに島内に喘息患者が多発するようになる[4]。持ち込まれた廃棄物は豊島開発の敷地から溢れ、近隣の他の地権者の敷地にまで及んだ[4]。廃棄物の大半はシュレッダーダストであり、地中に地層状に厚く広範囲に埋設された[4]。豊島は「ゴミの島」「毒の島」として全国的に知られるようになり、風評被害によって豊島を訪れる釣客、観光客などが激減したほか、地場産業であるミカン栽培、ノリ養殖、「豊島」の名称を冠して生産物を販売できなくなり[4]ハマチ養殖は廃業せざるえなくなった[4]。産廃場を認可した前川忠夫は1986年に県知事を退職し、平井城一が知事を引き継いだが、結局香川県は豊島開発を野放しにし、対応することはなかった。

摘発編集

1990年11月16日に兵庫県警が廃棄物の処理及び清掃に関する法律違反の容疑で豊島開発を強制捜査する。この問題は、山陽放送がスクープとして報道した。その後も豊島の住民を取材し、豊島総合観光開発の違法な産廃処分を黙認してきた香川県側の姿勢を追及した。香川県の幹部は、兵庫県警が強制捜査を行ってから初めて現地視察を行う有様だった。同年12月、香川県は豊島開発の処理業許可を取り消しするとともに、法的に問題ないという見解を不法処分だったと改め、豊島開発に廃棄物を撤去するよう措置命令を出した。香川県の調査では、現場の地中より、環境基準の数十倍から数百倍の水銀、ヒ素、PCB、鉛、ダイオキシンなどが検出され[2]、地下水や海の汚染が懸念された[2]

裁判編集

 
1995年の撮影。産廃の持ち込みは停止したが、本格的な撤去は開始されていない状態。

1991年7月18日、神戸地方裁判所姫路支部において、豊島開発が罰金50万円、経営者が懲役10月(執行猶予5年)の判決を受ける。高松地裁での裁判では、豊島開発の実質的な経営者は、「シュレッダーダストは金属回収を目的として買い取っていたものであり産業廃棄物には該当しない」と抗弁したが[4]、高松地裁は「シュレッダーダストに含まれる金属成分は0.8-7.3%に過ぎず、回収可能な金額は微々たるもので実質的には産業廃棄物である。豊島開発は形式上はシュレッダーダストを買い取る形を偽装しているが、別に業者に回収費用を請求しており、業務実態は産業廃棄物の回収業であった。」と判断し、豊島開発側の主張は「脱法の口実」に過ぎないとし、また数々の偽装工作を重ねていたことを指摘した[4]。また豊島開発は、1978年の住民側と豊島開発との間で結ばれた和解条項には「産業廃棄物の除去」に関する具体的な記載が存在しないので、和解条項の解釈上廃棄物の除去義務は発生しないと主張したが、これについても「1978年の和解条項を一般的に解釈すれば、産業廃棄物を持ち込まないという趣旨は明らかであり、持ち込まれた産廃の撤去義務を負うと判断するのが妥当」と判断した[4]。また、汚染された土壌や、大気汚染、水質汚染、住民の精神的苦痛や風評被害についてもその責任を否認したが、これら主張も裁判所は否認した。1997年に豊島総合観光開発は破産し豊島の産廃は税金で処理されることになる。

香川県との軋轢編集

豊島開発が摘発された後も、住民側と香川県側は事後処理や責任問題についての争いが以後7年間続いた。香川県の姿勢に不信感を強めた住民側は1993年11月11日に、産廃の撤去と住民一人当たり50万円の慰謝料を香川県と排出業者と豊島開発に求めて国の公害調停申し立てを行う[2]。これに対して香川県は「産廃の量は膨大で撤去は困難である。また香川県には責任はない」という態度で臨んだ[2]。また排出業者は、処分を依頼した業者がどう産廃を処分するかは責任外とし、当の豊島開発は撤去に応じる姿勢を示さなかった[2]。香川県の対応に憤慨した住民は、香川県庁前で、「立ちんぼ」による抗議活動を1992年12月20日から1994年5月31日まで続けた。1994年、公害等調整委員会は2億3600万円をかけて本格的な実地調査をおこなった[2]。その結果、豊島に投棄された廃棄物は約56万トンと推定され、7つの処理案が提示された[2]。それによると、処理案によって違うが費用は61億円から191億円が必要とされ、年月も2年から10年かかるとされた[2]。巨額の費用と提示されて調停は足踏み状態が続くようになる。1996年6月、公害等調整委員会は「香川県の誤った監督指導体制が、事態をここまで悪化させた要因である」と指摘し、香川県の責任を認めるとともに自治体として踏み込んだ対応をするように求めた[2]。香川県の姿勢が変わったのは1997年1月になってからである[2]。その背景には、処理費用に対して当時の内閣総理大臣橋本龍太郎がその半額を国から援助するという判断があったからだとされる[2]。これにより費用負担を拒否してきた香川県は、よくやく残り半分の処理費用を負担する判断を下す[2]。1997年4月には「住民が長期にわたり、不安と苦痛を受けた」という文章を盛り込んだ中間合意案が公害等調整委員会によって作成されたが、香川県は「不安と苦痛」という部分に難色を示し削除を求めたために1か月後に公開された文章では該当部分が削除された[2]。それを知った豊島の住民は改めて香川県の対応に落胆することになる[2]。この中間合意案では、県が責任を認めてくれやすいように、住民側は県に対する賠償を放棄した背景があった[2]。香川県はこの合意案を受諾する方針を表明したが、住民側は「県の責任が明確にされていない」などとして、合意案の変更を公害等調整委員会に迫ったが委員会は応じることは無かった。期限切れで中間合意をまとめることが不可能になることを恐れ、住民側はやむなくこの合意案を不本意ながら受け入れ[2]、香川県の責任については別の運動で追及していく方針とした[2]。中間合意後も香川県は住民への謝罪を拒み、謝罪を求める住民との間で調停は再び硬着状態となった[2]

1998年9月、前川忠夫に続いて知事に就任していた平井城一が退き、真鍋武紀が知事に就任した[2]。真鍋は当選前から県の謝罪表明には「検討の上で対応する」と慎重な姿勢をとっていた[2]。当選後の1998年10月の代表質問でも「中間合意で香川県は既に遺憾の意を表明している」と述べて、既に謝罪済みで解決しているという見解を表明した[2]。1999年12月12日、総理府で行われた1年半ぶりの調停では、真鍋知事は改めて住民らの謝罪要求には応じないと回答し、産廃処理に必要な工事の着手には、公害等調整委員会の最終的な合意が不可欠であり、最終合意なしに工事には着手しない考えを表明した(技術委員会は、現場での海洋汚染の可能性もあり、一刻も早い工事着手を県に求めていた)[2]

2000年、香川県の担当職員の処分が行わる。また、真鍋知事が豊島を訪れ住民に謝罪した。開催された調停の回数は2000年までに37回を数えた。

産廃の処分編集

 
産業廃棄物を豊島の廃棄現場より直島の処理施設へ輸送する専用の特殊コンテナ

豊島の産廃は、当初豊島の現場の海岸線を補強したうえで、現地に処分プラントを建設して1200度で焼却処分する方針であったが[2]、最終的に香川県直島にある三菱マテリアルの施設へ移送し、14年間にわたり処理され続けた。これは直島の同事業所が、直島町の基幹産業であったものの、日本国内における銅の慢性的な供給過剰等によって事業廃止の可否を含めて検討中の状態にあったことが関係している[7]。つまり従来の銅の回収事業の代わりに、豊島の廃棄物からの金属回収を新事業として手掛けることがことになった[7]。「学識経験者からなる技術検討委員会」が設置され、具体的な方法が検討された結果、直島に中間処理施設を建設し、豊島から掘り出した廃棄物を海上輸送して処理する事業計画を直島町議会に提案した。直島町長は1999年(平成11年)9月、公害が無い状態で処理されるなら町の活性化に繋がるとして、この提案の受け入れを表明した[7]。2003年(平成15年)より、直島での処理が開始された[7]。月平均5000トンの産廃が焼却処理され、残ったスラグから有価金属の回収と有害金属の除去が行われ、最終的に残ったスラグは香川県内の公共工事で使用されるコンクリートの骨材として利用された[7]。回収される有価金属は、金、銀、銅、鉄、アルミなどで、その他に、石膏(セメント原料)、濃硫酸(焼却ガス中の硫黄酸化物より回収)なども回収された[7]。これらの売却益は香川県に納付され、県の処理事業の一部に充当された[7]

不法投棄現場は一般市民の立入りを禁止し、重機による産廃の掘り出しと、直島に産廃を移送するための梱包作業が2017年3月まで行われていた。移送は高気密性を保つ専用の海上コンテナと、これを積載して輸送するダンプカーを直島まで海上輸送するために、フェリータイプの廃棄物専用輸送船を使って行われた。事前予約をすれば、産廃現場と産廃問題に関する資料館を見学できた。後の調査で産廃物の量は、香川県が2017年1月に88万8千トンとする最終的な推計値を発表した[8]。しかし搬出期限が迫る中、その後の精密測量調査で次々と新たな産廃が発掘されて、最終的な産廃量は当初の推定50万トンを大きく上回る91万2373トン[9]体積61万6525立方メートルにも達し、国内最大級の不法投棄事件となった[10]。2017年3月末までに費やされた公費も約727億円にも及んだ。撤去量が増えた一因は産廃から漏れ出たベンゼンなどにより汚染された土壌も除去したためで、地下水の汚染問題は依然残っている[11][12]。2017年7月22日からサンポートホール高松で、「豊かな島よみがえれ 産業廃棄物不法投棄と闘った豊島の42年展」が開催された[13]

公害調停に基づく撤去事業の期限(2017年3月末)後の2018年にも、深く埋められていたなどの理由で未発見だった廃棄物300トンが新たに発見されている[10]。跡地には、豊島のこころ資料館 (豊島住民資料館)が建てられ、産廃問題の資料展示を行っている。

豊島廃棄物等処理事業等(関連資料)編集

豊島産廃輸送専用コンテナ積載ダンプトラック一覧表
車番号 所属地 コンテナ本体番号

※青字は該当画像

シンボル

車体記号

備考事項
01   豊 
  島 
  地 
  区 
  所 
  属 
  車 
  両
NTLU-010001(0) 【 A 】
02 NTLU-010002(6) 【 B 】
03 NTLU-010003(1) 【 C 】
04 NTLU-010004(7) 【 D 】
05 NTLU-010005(2) 【 E 】
06 NTLU-010006(8) 【 F 】
07 NTLU-010007(3) 【 G 】
08 NTLU-010008(9) 【 H 】
09 NTLU-010009(4) 【 I 】
10 NTLU-010010(8) 【 J 】
11 NTLU-010011(3) 【 K 】
12 NTLU-010012(9) 【 L 】
13 NTLU-010013(4) 【 M 】
14 NTLU-010014(0) 【 N 】
15 NTLU-010015(5) 【 O 】
16 NTLU-010016(0) 【 P 】
17 NTLU-010017(6) 【 Q 】
18 NTLU-010018(1) 【 R 】
37 NTLU-010019(7) 【 S 】 ※予備車
19   直 
  島 
  地 
  区 
  所 
  属 
  車 
  両
NTLU-020001(0) 【 1 】
20 NTLU-020002(5) 【 2 】
21 NTLU-020003(0) ※【 3 】※[14]
22 NTLU-020004(6) 【 4 】
23 NTLU-020005(1) 【 5 】
24 NTLU-020006(7) 【 6 】
25 NTLU-020007(2) 【 7 】
26 NTLU-020008(8) 【 8 】
27 NTLU-020009(3) 【 9 】
28 NTLU-020010(7) ※【 10 】※[15]
29 NTLU-020011(2) 【 11 】
30 NTLU-020012(8) 【 12 】
31 NTLU-020013(3) 【 13 】
32 NTLU-020014(9) 【 14 】
※33※[16] NTLU-020015(4) 【 15 】
34 NTLU-020016(0) 【 16 】
35 NTLU-020017(5) 【 17 】
36 NTLU-020018(0) 【 18 】
38 NTLU-020019(6) 【 19 】 ※予備車
車番号 所属地 コンテナ本体番号

※青字は該当画像

シンボル

車体記号

備考事項
  • 車番号・・・・・・・・・・・・・トラック正面のバンパー部分のみに取り付けられている、01 〜 38迄の私有地となる島内のみの専用ナンバープレートであり、一般道は一切走行できない所謂、《 構内専用プレート 》である。
  • コンテナ本体番号・・・・コンテナ毎に上部の四面全てに記載されている。
    豊島 ⇔ 直島間、8kmの海上輸送及び、両島内の関連施設での輸送等において廃棄物等や汚水が外に漏れないように、 CSC (コンテナ安全条約) に基づくISO (国際標準化機構) の基本認証を受けた密閉型コンテナの構造規格に基づき付与されている、アルファベット四文字と七桁の数字の組み合わせによる国際的な管理番号。
  • シンボル車体記号・・・コンテナ毎に両側の二面に、豊島地区所属のコンテには【A】〜【S】迄の連続19文字、直島地区所属のコンテには【1】〜【19】迄の連続19文字が夫々、シンボルマークとして車体のカラーリングと同調して描かれている。[17][18]

年表編集

  • 1975年12月 産業廃棄物業者の豊島総合観光開発が産業廃棄物処理業の許可を香川県に申請する。
  • 1978年02月 香川県は、豊島総合観光開発に対して産業廃棄物収集運搬業(汚泥木くず及び家畜ふん)、処分業(みみずによる土壌改良剤化処分)を許可する。
  • 1990年11月 兵庫県警が豊島総合観光開発を廃棄物の処理及び清掃に関する法律違反容疑で事業場を強制捜査する。
  • 1990年12月 香川県は、豊島総合観光開発に対して産業廃棄物処理業の許可を取り消し及び産業廃棄物撤去等の措置命令を行う。 
  • 1991年01月 兵庫県警が経営者等を逮捕する。
  • 1991年07月 神戸地裁姫路支部が豊島総合観光開発と経営者等に有罪判決を下す。罰金50万円、懲役10月(執行猶予5年)。
  • 1993年11月 豊島住民が県知事に公害紛争処理法に基づく公害調停を申請する。
  • 1993年12月 公害調停の書類が国の公害等調整委員会に移送される。
  • 1996年02月 豊島住民が高松地裁に豊島総合観光開発に対して損害賠償提訴する。
  • 1996年08月 菅直人厚生大臣(当時)が現場を視察。問題解決の端緒となった。
  • 1996年12月 高松地裁が豊島総合観光開発に対して慰謝料の支払いと、廃棄物の撤去を命じる判決を出す。(豊島住民勝訴)
  • 1997年03月 豊島総合観光開発及び経営者に対し、破産宣告
  • 2000年06月 公害調停成立。
  • 2000年11月 瀬戸内オリーブ基金を設立。
  • 2012年03月 豊島の汚染土壌を、滋賀県大津市内の民間業者が施設内で処理する計画が明らかとなり、業者の周辺住民らが、琵琶湖の汚染の恐れがあるとして滋賀県公害審査会に公害調停を申請(記事)。
  • 2012年05月 前述の調停に関して、香川県と業者が契約解除で合意し、汚染土壌の県外処理は白紙に(記事)。
  • 2017年03月28日 廃棄物撤去完了。産廃量は当初の推定50万tを大きく上回る約91.1万tにも及んだ[19]
  • 2017年06月 無害化処理終了。

産廃特措法適用編集

特定産業廃棄物に起因する支障の除去等に関する特別措置法(産廃特措法)にもとづき、2003年12月9日、不法投棄事案として環境大臣同意[20]。概算費用は281億円。

行政責任として、公害調停の最終合意に際して、廃棄物の認定を誤り原因者(豊島開発)に対する適切な指導監督を怠ったことを認め、申請人を含めた豊島住民に対して知事から直接謝罪した[21][22]

参考文献編集

  • 曽根英二、1999、『ゴミが降る島―香川・豊島 産廃との「20年戦争」』初版、 日本経済新聞社 ISBN 978-4532162900
  • 大川真郎、2001、『豊島産業廃棄物不法投棄事件 巨大な壁に挑んだ二五年のたたかい』初版、 日本評論社 ISBN 978-4535583054

出典編集

  1. ^ 高松→土庄の船中から遠望
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at 下羽友衛 「私たちが変わる、私たちが変える環境問題と市民の力: 環境問題と市民の力学」 リサイクル文化社 ISBN 978-4795259218
  3. ^ 香川)豊島の元乳児院、ゲストハウスに生まれ変わる 朝日新聞デジタル 2018年2月26日03時00分 2019年9月3日
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 高松地方裁判所 平成8年(ワ)80号 判決
  5. ^ 豊島産業廃棄物不法投棄事件─その倫理学的検討のための予備考察
  6. ^ 有害産業廃棄物をめぐる国の公害調停 やすらぎをかえして!
  7. ^ a b c d e f g 寅澤一之 「環境に配慮し、事業者と連携した地域振興~香川県直島町を例として~」 参議院 第三特別調査室 立法と調査 2012.3 No.326 2019年9月3日
  8. ^ “不法投棄の産廃量ほぼ確定 88.8万トン”. 毎日新聞. (2017年1月21日). http://mainichi.jp/articles/20170121/k00/00m/040/057000c 2017年1月21日閲覧。 
  9. ^ “豊島産廃無害化処理完了の式典 直島”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 香川全県版. (2017年7月10日) 
  10. ^ a b 「豊島 続く産廃退治/撤去終了後 300トン確認/香川県再調査 業者が深く掘り投棄か」『毎日新聞』朝刊2018年5月10日(社会面)
  11. ^ 【記者の目】香川・豊島の産廃問題=植松晃一(高松支局)進まない地下水浄化毎日新聞』朝刊 2017年7月27日
  12. ^ 住民の思い「元の里山に戻して」朝日新聞』朝刊 2017年8月21日
  13. ^ 「豊かな島よみがえれ 産業廃棄物とたたかった豊島の42年展」 廃棄物対策豊島住民会議 投稿日時: 2017年7月18日 2019年9月3日
  14. ^ 豊島・島の学校HPより。( ※写真クリックで拡大 )
  15. ^ クボタ環境HP 『 社会が注目する緊張の現場 』欄内の、『 豊島からの運ばれて来た廃棄物を受け入れます 』より。( ※写真クリックで拡大 )
  16. ^ 日本海運HP 『 特別管理産業廃棄物運搬船「太陽」の運航終了 』より。( ※写真クリックで拡大 )
  17. ^ 豊島廃棄物等の輸送 香川県
  18. ^ 豊島廃棄物等処理事業 香川県
  19. ^ 豊島産廃、28日撤去完了 香川、発覚から40年日本経済新聞 2017年3月27日
  20. ^ “産廃特措法に基づく特定支障除去等事業について”-環境省
  21. ^ 香川県・豊島事案・豊島廃棄物等処理事業 -香川県HP“県民のみなさまへ”(2003年1月)
  22. ^ 豊島廃棄物等の処理にかかる実施計画 -香川県 pdf21頁以降

外部リンク編集