豊永 勝元(とよなが かつもと)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将長宗我部氏の家臣。

 
豊永 勝元
時代 戦国時代 - 江戸時代前期
生誕 天文20年(1551年
死没 寛永14年(1637年
別名 通称:藤五郎、喜助、主馬
主君 長宗我部元親盛親
氏族 豊永氏
父母 父:豊永清久
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略歴 編集

豊永氏阿波小笠原氏の支流。土佐国長岡郡豊永[1]国人

天文20年(1551年)、豊永清久の子として誕生。

勝元は、父の代に降った長宗我部元親に仕える。元親の阿波国侵攻に際しては、阿波国の国人を篭絡して戦果を挙げた。のちに代官や奉行、中村為松城主なども務めている。慶長5年(1600年関ヶ原の戦い後、浪人した。大坂の陣で、長宗我部盛親とともに戦った。のち消息はよくわかっていないが、寛永14年(1637年)に死去したといわれている。

脚注 編集

  1. ^ 現・高知県長岡郡大豊町豊永。

参考文献 編集