豊田久吉

日本の水泳選手

豊田 久吉(とよだ ひさきち、1912年明治45年)1月2日 - 1976年昭和51年)10月7日[1])は、日本水泳選手。1932年ロサンゼルスオリンピックの800メートルリレー金メダリスト。1930年代後半には豊田 満の芸名で短期間映画俳優としても活動。姓はその後峰島となっている[2]

豊田 久吉
ロス五輪の豊田(右から2番目)
選手情報
フルネーム とよだ ひさきち
国籍 日本の旗 日本
所属 日本大学
生年月日 (1912-01-02) 1912年1月2日
生誕地 山口県
没年月日 (1976-10-07) 1976年10月7日(64歳没)
死没地 日本の旗 日本
獲得メダル
日本の旗 日本
競泳
オリンピック
1932 男子 800Mリレー
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生涯 編集

山口県屋代島(周防大島)出身。安下庄中学(のちの山口県立安下庄高等学校、現在は山口県立周防大島高等学校)卒業、日本大学出身。

1932年ロサンゼルスオリンピックの800メートルリレーで、宮崎康二遊佐正憲横山隆志と共に金メダルを獲得した。日本大学出身者初(遊佐正憲とともに)[3]・山口県出身者初[4]の金メダリストとなる。

その後「豊田満」の芸名で、佐野周二上原謙とともに1936年「大船撮影所1期生」として松竹に入社。『君よ高らかに歌へ』(1936年、清水宏監督)で俳優デビューした[5]。翌年にかけて『青春満艦飾』『恋愛無敵艦隊』『金色夜叉』(いずれも清水宏監督作品)に出演した[6]

戦後は水泳の普及に努めた[1]。1959年頃、湘南学園中学校・高等学校に体育教師・体育部部長として赴任[2][7]、水泳の指導を熱心に行った[2]。金メダリストの赴任を受け、湘南学園の国井博隆理事長が学園に当時最先端の浄化装置付きプールを寄贈した(1959年竣工)[2][7]。これは藤沢市で3番目のプール(小中学校では初)であったという[2]

1976年、水泳の指導中に体調を崩しそのまま急死した[1]。享年64歳。

親族 編集

孫の渡辺健司も水泳選手で[3]1984年ロサンゼルスオリンピック1988年ソウルオリンピック1992年バルセロナオリンピックに出場。

脚注 編集

  1. ^ a b c 『読売新聞』1976年10月8日朝刊23頁「金メダリスト、コーチ中の死 水泳日本再建夢みて ロス五輪豊田さん64歳」
  2. ^ a b c d e 「金メダリスト」金藤理絵選手、本校に来たる ~夢の実現~”. 校長日記. 湘南学園小学校 (2017年6月9日). 2020年6月25日閲覧。
  3. ^ a b 本学夏季オリンピックの軌跡”. 日本大学. 2020年6月26日閲覧。
  4. ^ 山口県”. 東京2020オリンピック. NHK. 2020年6月26日閲覧。
  5. ^ 高峰三枝子”. 映画DB. 中央映画貿易. 2020年6月26日閲覧。
  6. ^ 豊田満”. IMDB. 2020年6月26日閲覧。
  7. ^ a b 伝統のある水泳授業”. 校長日記. 湘南学園小学校 (2018年6月25日). 2020年6月25日閲覧。

外部リンク 編集