豊田耕児

日本のヴァイオリン奏者

豊田耕児豊田耕兒、とよだ こうじ、1933年9月1日 - )は、ヴァイオリン奏者。妻はピアニストの豊田元子(旧姓竹内)、息子はヴァイオリン奏者の豊田弓乃

豊田 耕児
生誕 (1933-09-01) 1933年9月1日
出身地 日本の旗 日本東京都
学歴 パリ国立高等音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニスト
担当楽器 ヴァイオリン

経歴 編集

東京都で生まれる。3歳で父に連れられて鈴木鎮一に師事した[1]1941年太平洋戦争のために、一時的に鈴木と別れた。6歳で母を失い、後に父も交通事故で非業の死を遂げた。浜松市にいた叔父に引き取られ、育てられた。11歳のときに長野県木曾に疎開していた鈴木鎮一と再会し、鈴木家に育てられ英才教育を受けた。

成長して渡欧し、パリ国立高等音楽院を卒業後、ジョルジュ・エネスコアルテュール・グリュミオーに師事。ベルリンを中心に活動し、ライン室内楽団第一コンサートマスターを3年、ベルリン放送交響楽団(現ベルリン・ドイツ交響楽団)の第一コンサートマスターを17年、ベルリン芸術大学ヴァイオリン科教授を21年間務め、その間、ベルリン市より「カンマー・ヴィルトゥオーゾ」の称号を受ける。室内楽の分野ではグリュミオー弦楽四重奏団メンバー。1981年より6年間、群馬交響楽団の音楽監督を務める[2]。前才能教育研究会会長、国際スズキ・メソード音楽院校長、同ヴァイオリン科教授。

コンクール歴 編集

脚注 編集

  1. ^ 鈴木鎮一 1937年 2021年12月6日閲覧。
  2. ^ 群響の概要 1981年 2021年12月6日閲覧。