赤坂御用地

東京の皇室用地

赤坂御用地(あかさかごようち)は、日本東京都港区元赤坂にある皇室関連施設[1]。敷地内には以下の御所・宮邸がある[2]赤坂御苑(あかさかぎょえん)ともいう。

  1. 仙洞御所
  2. 秋篠宮
  3. 秋篠宮邸分館
  4. 三笠宮
  5. 三笠宮東邸(寬仁親王邸)
  6. 高円宮
  7. 赤坂東邸
赤坂御用地
山王パークタワーから見た赤坂御用地
地図
分類 天皇及び諸皇族の住居の収容地
所在地
座標 北緯35度40分38.6秒 東経139度43分42.9秒 / 北緯35.677389度 東経139.728583度 / 35.677389; 139.728583座標: 北緯35度40分38.6秒 東経139度43分42.9秒 / 北緯35.677389度 東経139.728583度 / 35.677389; 139.728583
面積 508,920m2
前身 紀州徳川家藩邸
篠山藩青山家藩邸
公式サイト 赤坂御用地(宮内庁)
テンプレートを表示

常陸宮邸(常盤松御用邸)は東京都渋谷区に所在し、現存する宮家の中で唯一赤坂御用地外にある。

また、敷地の内部には園遊会が開催されることで知られる赤坂御苑がある[2]財務省によれば、赤坂御用地の資産価値は、1565億円として計上されており、1平米あたり30万円程度[3]

概要 編集

 
旧紀州屋敷の門
明治時代初期)

現在の住所で東京都港区元赤坂2丁目のほぼ全域を占める赤坂御用地は江戸時代紀州徳川家上屋敷紀州藩赤坂藩邸)があったところで、明治維新後、政府に接収されて帝室(現在の皇室)に献上されたものである。

赤坂御用地は元々、他の御料地などと同様に皇室財産であったが、第二次世界大戦の敗戦と日本国憲法の公布とともに日本国有に移され、国有財産たる皇室用財産として皇室の用に供せられている[1]

1873年(明治6年)に失火により皇居が焼失した際は、明治天皇がこの地に移り、1888年(明治21年)に新皇居(明治宮殿)が落慶するまでの間、ここを皇居としていた。赤坂御用地の北東に隣接して迎賓館(旧赤坂離宮)があり、訪日した外国賓客の接遇に用いられる。

御所・宮邸 編集

仙洞御所 編集

仙洞御所は、赤坂御用地の北部に位置する上皇明仁上皇后美智子の御所である。谷口吉郎設計。

建物時代は1960年(昭和35年)、貞明皇后大宮御所の跡地に皇太子明仁親王(当時)の「東宮御所」として建設された。明仁の即位後、1993年に明仁が皇居の吹上御苑に新築された御所に移るまでは一時的に「赤坂御所」と改称され、その後は皇太子徳仁親王が居住したため再び「東宮御所」に改称された。2019年平成31年)5月1日の徳仁即位後は、再び「赤坂御所」と改称された。

2021年(令和3年)9月に徳仁一家が皇居の御所へ移った後は改修工事が行われ、2022年(令和4年)4月26日から上皇明仁・上皇后美智子の仙洞御所としての使用が開始された[4]。改修が終わるまでは高輪皇族邸が上皇・上皇后の仮住まい(仙洞仮御所)となっていた。

秋篠宮邸 編集

秋篠宮邸
情報
旧名称 秩父宮邸
用途 秋篠宮家住居
旧用途 秩父宮家の住居
構造設計者 宮内庁管理部
階数 地上2階 地下1階
竣工 1972年12月
改築 1998年、2006年、2019-2022年
所在地 107-0051
テンプレートを表示

秋篠宮邸は御用地の南東部に位置する秋篠宮家の宮邸である。北に赤坂東邸が隣接し、正門は「巽門(たつみもん)」。

秋篠宮同妃は成婚当初、1931年昭和6年)に宮内省乳人官舎として建てられ、1968年(昭和43年)から1989年(平成元年)まで鷹司和子が使用した仮寓所を1990年(平成2年)6月から居宅部分として使用していた。250㎡ほどの内庭があり眞子内親王佳子内親王誕生により増築した。木造モルタル平屋建てで、延床面積105平方メートル(増築後200平方メートル)であった。

その後、1997年(平成9年)3月からは接遇の間として旧秩父宮邸(吉田五十八設計)を使用している[2]。旧秩父宮邸は1972年(昭和47年)10月に竣工し、1995年までは秩父宮妃の居宅であった。また、1998年(平成10年)に住居部分として建築された付属棟(8室、日建設計一級建築士事務所設計)を前述の仮寓所に代わって私有の居宅部分として使用している。2006年(平成18年)、悠仁親王誕生により、プレハブ建て部分が新たに増築された。地上2階の鉄筋コンクリート建てであり、当時の宮邸の総敷地は1540平方メートルで私有の居宅部分は512平方メートル。一階には八畳ほどの広さの厨房があり、それと隣接して侍女長や侍女が詰めている事務所がある。公室部分は488平方メートル、「事務部分」は540平方メートルであった。

文仁親王が皇嗣となった後は増築工事が行われ、後述の赤坂東邸も秋篠宮邸と一体となって利用されることが検討されていた[4]。2019年から総工費約33億円の増築工事(延べ床面積約5,500㎡)が公費である宮廷費より賄われて行われた。その間、秋篠宮一家は赤坂御用地内に約9億8千万円かけて新設された「御仮寓所(後の、秋篠宮邸分館。延べ床面積約1,378㎡)に滞在していた[5][6][7][8]。そして、改修工事が終了した2022年10月から再び秋篠宮家が居住している。改修工事終了後は私室部分585平方メートル、公室部分が897平方メートル、事務部分1491平方メートルで、延べ面積は計2973平方メートルである。改修によって増築された部分のうち66%が事務部分、29%が公室部分、5%が私室部分である[9]。なお、佳子内親王は改修の終わった秋篠宮邸には移らず、御仮寓所から改称した秋篠宮邸分館の私室部分に引き続き居住している。また、当初の計画とは変更となり、赤坂東邸は引き続き共用殿邸として使用されることとなった[10]

秋篠宮邸分館 編集

秋篠宮邸分館
情報
旧名称 秋篠宮邸御仮寓所
用途 秋篠宮家住居皇嗣職執務室
旧用途 秋篠宮家の御仮寓所
構造設計者 宮内庁管理部
階数 地上3階
竣工 2019年(令和元年)10月
所在地 107-0051
テンプレートを表示

秋篠宮邸分館は、御用地の南東部に位置する秋篠宮家の住居及び皇嗣職執務室である。西に秋篠宮邸が隣接する。地上3階立てで、延べ床面積は約1,378㎡。2019年に秋篠宮邸の改修工事に伴い、秋篠宮家の御仮寓所として総工費約9億8千万円で竣工した。2022年10月より、秋篠宮家は改修工事の終了した秋篠宮邸に再び居住しているが、佳子内親王のみが引き続き御仮寓所に残り、私室部分と事務部分を兼ね備えた秋篠宮邸分館として使用されている。

三笠宮邸 編集

三笠宮邸
情報
用途 三笠宮家住居
構造設計者 宮内庁管理部
階数 地上2階
竣工 1970年(昭和45年)11月
所在地 107-0051
テンプレートを表示

三笠宮邸は御用地の南側に位置する三笠宮家の宮邸であり、高円宮邸と三笠宮東邸(旧・寬仁親王邸)との間に位置している。正門は南門。延床面積は1,068平方メートル。1970年(昭和45年)11月から使用されている[2]。現在は崇仁親王妃百合子が居住している。

三笠宮東邸 編集

三笠宮東邸
情報
用途 三笠宮家と宮務官・侍女長の住居
旧用途 寬仁親王の住居
延床面積 680 m²
階数 地上2階
竣工 1982年(昭和57年)
改築 2004年(平成16年)に増改築。
所在地 107-0051
東京都港区元赤坂2丁目1
座標 北緯35度40分31秒 東経139度43分47秒 / 北緯35.67528度 東経139.72972度 / 35.67528; 139.72972 (三笠宮東邸)
テンプレートを表示

「みかさのみやとうてい」と読む。かつては寬仁親王の宮邸であり、寬仁親王邸という名称であった。御用地の南側に位置し三笠宮邸に隣接する。雪野嶺設計。正門は南門。地上2階の鉄筋コンクリート建てであり、外回りを含めた総工費は3億8591万円。

当初は、寛仁親王邸として1982年(昭和57年)12月から使用されて[2]いた。2012年6月、寬仁親王の薨去に伴い当主不在のまま寬仁親王家の構成員が、居所はそのままに三笠宮本家に合流することになったため、2013年7月末に、現在の「三笠宮東邸」に改められた。

5人の侍女のための侍女棟が90m2。侍女棟を除いて15室。当初計画より40m2広く建築された[11]

高円宮邸 編集

高円宮邸
情報
用途 高円宮家と宮務官・侍女長の住居
構造設計者 宮内庁管理部
延床面積 690 m²
階数 地上2階
着工 1985年(昭和60年)8月
竣工 1986年(昭和61年)10月
改築 1991年2000年に増築。2010年に倉庫を新設。
所在地 107-0051
東京都港区元赤坂2丁目1-4
座標 北緯35度40分35秒 東経139度43分27秒 / 北緯35.67639度 東経139.72417度 / 35.67639; 139.72417 (高円宮邸)
テンプレートを表示

高円宮家の宮邸。内井昭蔵設計。南仏アール・デコ風建築で寄棟造。南側に位置し三笠宮邸の西側に隣接し正門は「南門」。1986年(昭和61年)12月から使用されている[2]。地上2階建ての鉄筋コンクリートで、総工費は4億377万円。宮務官・侍女、事務室を含め19室あり、パーゴラのあるパティオがある。

現在は高円宮妃久子承子女王が居住している。

赤坂東邸 編集

赤坂東邸
情報
用途 皇族の共用邸
延床面積 672 m²
※宮務官・侍女長棟は約800m2
階数 地上2階
戸数 2
竣工 1984年3月(本邸)
1990年1月(宮務官・侍女長棟)
所在地 107-0051
東京都港区元赤坂2丁目1
座標 北緯35度40分31秒 東経139度43分47秒 / 北緯35.67528度 東経139.72972度 / 35.67528; 139.72972 (赤坂東邸)
テンプレートを表示

「あかさかひがしてい」と読む。皇太子徳仁親王が仮住まいとして使用した期間は東宮仮御所とも呼んだ。1984年(昭和59年)12月に高円宮憲仁親王同妃久子が、宮邸新築中の仮住まいに使用、1990年2月28日より皇太子徳仁親王が独立のための仮住まいとして使用。1997年6月から1998年3月までは皇太子同妃が東宮御所改修工事中の仮住まいとして使用、2008年8月から2009年8月、皇太子一家が東宮御所改修工事のため使用するなど、皇族が仮住まいなどに使う共用殿邸であった。御用地の東側に位置し南に秋篠宮邸が隣接する[12]


1984年に建設され、総工費2億6千万円。延床面積は700平方メートル[13]1989年(平成元年)、皇太子徳仁親王の独立のため1億3500万円で改修。東宮職職員約40人を収容できる鉄筋プレハブ2階建ての付属邸を建築された。1993年、東宮仮御所を結婚までに全面的にリフォームした。1990年(平成21年)1月29日に、付属棟の落成式が行われた[14]。赤坂東邸の本邸は総工費が2億6000万円[15]。職員棟は1億3500万円である。

秋篠宮文仁親王が皇嗣となったことに伴う秋篠宮邸の増築工事に伴い、赤坂東邸は秋篠宮邸と一体とした活用が検討され、共用の邸宅としての機能は高輪皇族邸に移される事を予定していた[4]。しかし最終的には当初の計画とは変更となり、赤坂東邸は今後も皇族共用の殿邸として使用されることになった。[16]

その他の施設 編集

赤坂御苑 編集

赤坂御苑は赤坂御用地の中央に位置する池を中心とした回遊式庭園がある。1963年(昭和38年)以来、天皇主催の園遊会会場として用いられることから、テレビ・新聞などのメディアに登場する機会が多い。

赤坂御用地の正門は北側の安鎮坂に面している。薬医門形式で「鮫が橋門」と呼ばれる。前庭や裏庭には、上皇后美智子お印である、シラカバが植えられている。ほかに各宮邸への出入り等に用いられる門が御用地の南側と東側にいくつか設けられている。

赤坂御用地は国有財産であるが、原則非公開であり、一般市民は原則として立ち入り禁止となっている。

皇宮警察本部赤坂護衛署 編集

皇宮警察本部の護衛署のひとつ。鮫が橋門の東にある。赤坂御用地内及び常盤松御用邸(常陸宮邸)の区域を担当する。

過去に存在した施設 編集

赤坂仮皇居
紀伊徳川家江戸中屋敷を転用
青山東宮御所(花御殿)
紀伊徳川家江戸中屋敷を転用、明宮嘉仁親王迪宮裕仁親王の御所
青山御所
英照皇太后昭憲皇太后の御座所、戦災で焼失
表町御殿
秩父宮雍仁親王の殿邸。戦災で焼失
青山東御殿
三笠宮崇仁親王の殿邸。戦災で焼失
東宮御仮寓所
継宮明仁親王の御所、戦災で焼失
大宮御所
 
貞明皇后の大宮御所御車寄
貞明皇后の御座所、戦災で焼失
赤坂御所
第125代天皇明仁の御所(昭和戦後の東宮御所、令和の仙洞御所)
第126代天皇徳仁の御所(平成の東宮御所)

事件・事故 編集

  • 1975年(昭和50年)9月4日、赤坂御用地前の青山通りに停車していた車の中から爆弾が発見された(東宮御所前爆弾所持事件)。
  • 2006年(平成18年)7月2日第26回全国高等学校クイズ選手権の関東予選のテレビ番組収録で、オリエンタルラジオ中田敦彦とインストラクターがタンデムジャンプでクイズの正解を示すために神宮球場に降下する予定だった[17]。しかし本番で予想外の突風が吹き流された[17]。インストラクターが空き地を探して降下したところ、神宮球場から約1.1km離れた赤坂御用地の鮫が橋門近くの広場に着地した[17]。日本テレビ広報部は「事前にテスト降下し成功していた。本番でも風の情況でも問題がないと判断した」とコメント[17]。降下後、2名は皇宮警察から厳重注意を受けたあと解放された[17]日本テレビは、このハプニング映像を収録していたが、「全国高等学校クイズ選手権」の本放送に際してはカットされており映像は放送されていない。
  • 2021年(令和3年)皇宮警察京都護衛署長の皇宮警視正が、赤坂護衛署副署長時の2017年2月、正規の手続きを取らずに交際女性を赤坂御用地に出入りさせていたとして懲戒処分を受けた[18]
  • 2022年(令和4年)6月4日午後、赤坂御用地に男が侵入し、現行犯逮捕された[19]。男は、権田原交差点の近くから御用地に侵入し、土手の上をおよそ100メートルほど進んだ。

交通 編集

脚注 編集

  1. ^ a b 皇室関連施設、宮内庁のウェブサイト、平成24年4月2日閲覧
  2. ^ a b c d e f 東宮御所・宮邸、宮内庁のウェブサイト、平成24年4月2日閲覧
  3. ^ 国有財産の増減及び現在額に関する説明書
  4. ^ a b c 天皇陛下の御退位に伴うお住居の移転等について(平成29年12月18日発表)(2018年1月4日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
  5. ^ 眞子さま結婚のウラで進む秋篠宮家「33億円新居」への引っ越し | 女性自身
  6. ^ 大嘗祭に“身の丈”ご発言の「秋篠宮さま」を訝る声 お住まいの増改築に33億円 | デイリー新潮
  7. ^ 秋篠宮ご一家仮住まい「御仮寓所」公開 10日引っ越し:朝日新聞デジタル
  8. ^ [https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20231204/se1/00m/020/001000d 秋篠宮邸に伊国「大理石」 女性誌報道は全くの虚偽 社会学的皇室ウォッチング!/95 成城大教授・森暢平 | 文春オンライン]
  9. ^ (2ページ目)お代替わりと秋篠宮家の未来――33億円「宮邸大規模改修」と、職員51人「皇嗣職の新設」 | 週刊エコノミストオンライン
  10. ^ 秋篠宮邸改修について | 宮内庁
  11. ^ 朝日新聞縮刷版(1982年12月)1036頁
  12. ^ 赤坂御用地の略図 - 宮内庁
  13. ^ 朝日新聞縮刷版(1993年6月)P400
  14. ^ 卜部侍従日記4巻 289頁
  15. ^ 講談社・プラスアルファ文庫 雅子妃の新しい皇室づくり(2001年12月)P162
  16. ^ 秋篠宮邸改修について | 宮内庁
  17. ^ a b c d e 「「ご難続き」皇宮警察の困惑 ニュース・スピリッツ」『週刊朝日』第40巻第2号、朝日新聞社、2006年7月21日、142頁。 
  18. ^ 警視正、交際女性を赤坂御用地に 皇宮警察、懲戒処分”. 2021年2月19日閲覧。[リンク切れ]
  19. ^ 上皇ご夫妻や秋篠宮ご一家のお住まい、赤坂御用地に男が侵入…土手よじ登る”. 読売新聞オンライン. 読売新聞社 (2022年6月4日). 2022年12月6日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集