赤尾好夫
経歴編集
山梨県東八代郡英村(現笛吹市石和町)出身。1931年、東京外国語学校(東京外国語大学の前身校)イタリア語科卒業。同年10月、歐文社(現在の旺文社)を設立。この他に文化放送や日本教育テレビ(現在はテレビ朝日)の創業や、放送大学の設立にも貢献し、また実用英語技能検定や全日本学芸科学コンクールの創立(1957年(昭和32年))にも協力。教育と情報の融合に努め、日本メディア界の発展に貢献した。
趣味人としても知られ、書画骨董の収集品は財団法人センチュリー文化財団に収蔵されている。また、射撃においては全日本選手権で優勝し、1954年の世界選手権で銀メダルを獲得するほどの腕前でもあり、長きにわたり社団法人全日本狩猟倶楽部の会長も務めた。
戦時中に戦意高揚を煽った廉で、敗戦後は公職追放を受けた。かつて旺文社の労組で赤尾と対立した音楽評論家の志鳥栄八郎は「赤尾社長は、だいたいが右翼系で、そちらのパージになったこともある人だけに、赤いものは、赤旗はもちろんのこと、赤い腰巻きまで嫌がった」と語っている[1]。
受賞編集
著書編集
- 英語基本単語集(旺文社 ISBNコード:9784010312223 ) - 通称「赤尾の豆単」。1942年初版。
関連項目編集
外部リンク編集
- 赤尾好夫プロフィール | 赤尾育英奨学会
- 旺文社
- 財団法人センチュリー文化財団
- "赤尾好夫". Find a Grave. Retrieved 2016年6月12日.
- 赤尾好夫 - 歴史が眠る多磨霊園