赤池濃
経歴編集
長野県埴科郡南条村(現・坂城町)出身[1]。赤池七右衛門の長男として生まれる。東京府立一中、第一高等学校を経て、1902年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。内務省に入り、京都府属となり内務部第一課に配属。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1904年5月、内務属・大臣官房秘書課兼地方局勤務となり、以後、福島県参事官、同県事務官、滋賀県事務官・警察部長、愛知県事務官・警察部長、兵庫県事務官・警察部長などを歴任。
1913年6月、内務省本省に戻り内務書記官に就任。以後、地方局府県課長、内務監察官、兼内務省参事官などを務め、1918年5月、静岡県知事に就任。1919年8月、朝鮮総督府に転じ、内務局長となり、さらに警務局長を務めた。
1922年6月、内閣拓務局長官に就任。同年10月、警視総監となり、1923年9月1日の関東大震災を迎えるが、同月5日に辞任。同年8月、貴族院勅選議員に任じられ、同和会に属して死去するまで在任した。1924年1月7日、警視総監に再任され[2]、同年6月まで務めた。
人物編集
著作編集
- 『孔子 - 万世の師』玄黄社、1928年。
- 『政教より観たる論語新釈』早稲田大学出版部、1930年。
- 『明の君臣の亡命と其の庇護』神乃日本社、1938年。
- 『支那事変と猶太人』政経書房、1939年。
親族編集
- 長男 赤池健(内務省官吏)
脚注編集
- ^ 平成23年10月のできごと‐坂城町
- ^ 『官報』第3411号「叙任及辞令」1924年1月9日。
- ^ 松浦寛『ユダヤ陰謀説の正体』ちくま新書、1999年。 ISBN 4-480-05823-0