越前王朝(えちぜんおうちょう)は、岡田英弘の提唱した日本古代史の学説。河内王朝播磨王朝に続く倭国の王朝。継体天皇を初代とし、第126代天皇徳仁たる今日の皇室の直接の祖とされる。

ただし、『日本書紀』が推古天皇の治世(摂政聖徳太子)とする時期を描写する中国資料『隋書』は、倭国を訪問した使裴世清が、「オホキミと号し、妃や太子がいる男王と会見した」と記録している。そこで、推古天皇聖徳太子の実在に疑念を持ち、「推古天皇と舒明天皇の間に、もうひとつ皇統の断絶があるのではないか」と岡田は指摘している[1]

注釈 編集

  1. ^ 岡田,1977,第4章(pp.106-146)・第5章(pp.147-183)

参考文献 編集

関連項目 編集

河内王朝

播磨王朝

王朝交替説

狗奴国

継体天皇王族説

倭の五王

畿内政権論

邪馬台国

九州王朝説

崇神天皇

継体天皇

皇位簒奪

騎馬民族征服王朝説