越後湯沢温泉

日本の新潟県南魚沼郡湯沢町にある温泉

越後湯沢温泉(えちごゆざわおんせん)は、新潟県南魚沼郡湯沢町(旧越後国)にある温泉川端康成の小説『雪国』のモデルになった温泉地である。単に湯沢温泉と呼ばれることもある。

Hot springs 001.svg 越後湯沢温泉
Entrance to Echigo-Yuzawa Onsen.JPG
越後湯沢駅西口より
温泉情報
所在地 新潟県南魚沼郡湯沢町
交通 鉄道 : 上越新幹線上越線越後湯沢駅下車すぐ
泉質 単純温泉硫黄泉塩化物泉
泉温(摂氏 32 - 83 °C
液性の分類 弱アルカリ性
浸透圧の分類 低張性
外部リンク 湯沢観光協会
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この項目で扱うように、同じ湯沢町にある他の温泉も含めた呼び名としても用いられる。

泉質編集

効能編集

温泉街編集

越後湯沢駅の西側を通る県道に沿って温泉旅館やホテル、飲食店、遊興店、みやげ店、足湯などが並んでいる。

源泉は集中管理が行われ、共同浴場や宿泊施設以外に周辺の一般家庭やリゾートマンションにも配湯されている。

外湯編集

 
宿場の湯がある二居宿(写真下)
中央の道路は二居ダム脇を通過する国道17号(三国街道
 
宿場の湯

公営、民営など複数の外湯(共同浴場、日帰り温泉)があり、はしごして温泉を楽しむことが出来る。特に従来町営だった五つの共同浴場は共通券「外湯めぐり券」の利用が可能。

  • 湯沢温泉外湯めぐり(管理者:一般財団法人 湯沢町総合管理公社)
    • 湯元共同浴場「山の湯」 - 通称「やまんぼちゃ」(ぼちゃは地元の言葉でお風呂の意味)。大字湯沢
    • 下湯沢共同浴場「駒子の湯」 - 『雪国』のヒロインの名に因む。大字湯沢(三国街道湯沢宿・下宿〈しもしゅく〉)
    • 土樽共同浴場「岩の湯」 - 魚野川沿いの湯沢フィッシングパーク近く。大字土樽
    • 三俣共同浴場「街道の湯」 - 大字三俣(三国街道三俣宿)
    • 二居共同浴場「宿場の湯」 - 大字三国(三国街道二居宿)
      • 童画の父 川上四郎記念越後湯沢全国童画展入賞作品常設展「わらべの詩」併設
  • 民営・通年
  • 民営・夏季休業
  • 足湯:いずれも無料で利用可能。冬期間は降雪のため利用できない施設もある。
    • 「越後湯沢駅西口足湯」 - 駅前広場
    • 「足休め かんなっくり」 - ポケットパークになっており水琴窟などがある。かんなっくりは地元の言葉で「つらら」を意味する。温泉街
    • 「井仙の足湯」 - HATAGO井仙 温泉街
    • 「美白の足湯 からかさ亭」 - 越後のお宿いなもと 温泉街
    • 「雲の上の足湯」 - 湯沢高原
    • 「中央公園の足湯」 - 湯沢中央公園内レジャープールオーロラ近く 大字土樽
    • 「雪ささの湯の足湯」 - 大字三国
  • 手湯

内湯編集

一部の宿泊施設では日帰り入浴用に内湯を開放している[1]。団体利用や貸切などで入浴できない場合があるため注意が必要。

  • NASPAニューオータニ
  • 本陣さくら亭
  • 越後のお宿 いなもと
  • 松泉閣 花月
  • 湯沢ニューオータニ
  • 音羽屋旅館
  • 和みのお宿 滝乃湯
  • 湯沢東映ホテル
  • 雪国の宿 高半
  • ホテル湯沢湯沢でんき屋(いなずまの湯)
  • 高野屋 (浦子の湯)
  • 御宿本陣 (三国峠温泉 峠の湯)

周辺編集

夏は登山、キャンプ、釣りなどのアウトドア、冬はスキー、スノーボードなどのウィンタースポーツも楽しめる。

越後湯沢から三国峠側に行くと静かな貝掛温泉がある。また苗場山の麓には登山道を歩いて利用する赤湯温泉と言う秘境の温泉もある。

湯沢町#観光スポットも参照。

歴史編集

湯沢温泉の歴史は平安末期の高橋半六(高半旅館祖)の源泉発見より始まる(自然湧出毎分約300リットル)。古来より湯の湧く沢があったことから村の名前も湯沢と呼ばれるようになる。狭義の湯沢温泉としてはこの温泉発見地に近い湯元地区(現在山の湯がある辺り)を指す。

承保3年(1076年)(安元2年〈1176年〉とも)には北側の関山村との境の戸内山が地すべりを起こし魚野川が塞がれ、現在の神立の辺りまで沼となり、その畔には既に温泉があったとされる。

湯元にある薬師堂は明徳元年(1390年)創建と伝わる。

江戸時代には三国街道の利用が盛んで、駅宿から近かったため温泉地としての湯沢の名も往来を通じて知られるようになる。

この頃は街道筋に沿って上宿(現在江神共同浴場がある辺り)・下宿(現在駒子の湯がある辺り)の二つがあり、共同浴場が存在した。

享和2年(1802年)の『越後国全図 写』の付録第6巻では「湯澤驛ノ西三町計リ山奥温泉アリ假小屋ヲ作ル浴室二箇ナリ熱カラス瘡疾ヲ治ト云」と記されている。

享和3年(1803年)に編纂された『新編会津風土記』巻之一百十二では、「温泉 小名湯本ニアリ小屋ヲ設テ浴客ヲ待ツ」とある。

明治19年(1886年)に内務省衛生局が編纂した『日本鉱泉誌』上巻では、天和年間発見、湯戸(温泉宿)3軒、浴客凡そ1ヶ年1万人と記載されている。

明治の末の頃は新潟-東京間の交通の主軸が信越本線だったこともあり、地元住民や農閑期に周辺の農民が骨休めに訪れる程度の静かな湯治場だったが、大正2年(1913年)のスキーの伝来、大正14年(1925年)の上越北線越後湯沢駅開業や、昭和6年(1931年)に上越線清水トンネルが開通すると一転して登山客・スキー客・湯治客が押し寄せるようになり、それらに対応するために1931年から1932年にかけて西山地区に新たな源泉井が掘られ、併せて旅館やホテルが数多く作られた。従来あった湯元の源泉はぬる湯であったが、新しい源泉は湯温70度と高温であった。この源泉は、西山温泉(西山1号温泉井)と名付けられている[2]

昭和13年(1938年)には江神源泉1号井が湧出し、江神共同浴場が作られた[3]

昭和34年(1959年)には国道17号三国トンネルが開通し、新たな観光の目玉として大峰山の北東部分(湯沢高原)の開発を行い、町営スキー場と町営湯沢温泉ロープウェイが作られた。

昭和46年(1971年)からの上越新幹線大清水トンネル工事の際、一部源泉で湯量減少や源泉枯渇が発生した。その補償として、昭和54年(1979年)に日本鉄道建設公団により、4億4,700万円をかけて集中管理システムが整備された。

やがて1982年上越新幹線の開業や1985年関越自動車道の完成後に起きたスキーブームの影響で、1980年代頃から1990年代前半にかけてリゾートマンションが林立し、現在の街並みとなった。

アクセス編集

出典編集

  1. ^ 越後湯沢温泉ガイドマップ”. 越後湯沢温泉観光協会. 2021年9月1日閲覧。
  2. ^ 藤倉朋良『図解にいがた歴史散歩<南魚沼>』p22 新潟日報事業社出版部
  3. ^ 江神温泉 - 歴史”. 江神温泉第一源泉組合. 2021年9月1日閲覧。

参考図書編集

  • 『[全国露天風呂共同湯]』昭文社 ; ISBN 4398131922 ; 2版 (2000/04)

外部リンク編集