路子工

路子工(みちのこたくみ、生没年不詳)は、百済からの渡来人。本名不詳。『日本書紀』に登場する7世紀初頭の土木技術者。

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概要編集

『日本書紀』によれば、612年御所須弥山と唐風の呉橋(屋根欄干つきの橋)があるを建設したことから、路子工と呼ばれるようになったという。当時の日本では、既に庭園建設も盛んに行われていたが、技術者として記録が残る人物としては日本最古である。その後、全国を回り当時の日本を代表する三河の矢引橋、水内の曲橋、木襲の梯橋、遠江の浜名橋、会津の闇川橋、兜岩の猿橋など180もの架に携わったとされる[1]

山梨県猿橋との関連編集

山梨県大月市猿橋町猿橋の猿橋には、志羅呼(しらこ)という百済からの渡来人が建造したとする伝承がある。猿橋に関する文献史料は中世から存在し、現在の猿橋が『日本書紀』に登場する兜岩の猿橋と同一とは限らないが、路子工の出身地が同一であること、架橋の時期が推古天皇の代と路子工の活動期と重なることから、同一人物の可能性がある[2]

百済の造園編集

大韓民国忠清南道扶餘郡には、韓国で最初の人工庭園が作られたと伝えられているが、造成された年は634年と路子工が造園した年代より後のものである[3]

出典編集

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  1. ^ 日本土木学会『日本土木史』1994年p1033
  2. ^ 橋の歴史第1章猿橋(鹿島ホームページ)
  3. ^ 扶餘のパンフレットの記述

関連項目編集