軍服 (幕末)

幕府軍歩兵
(1867年 ジュール・ブリュネ筆)

幕末の軍服(ばくまつのぐんぷく)は、ペリー来航後、徳川幕府および各藩において、洋式兵制の導入と並行して制定された軍服の特徴と変遷について述べる。

なお、王政復古大政奉還を経て、戊辰戦争時における明治新政府軍と各藩の軍服についても言及するので、一部記事が軍服_(大日本帝国陸軍)軍服_(大日本帝国海軍)と重複することを断っておく。

目次

概要編集

洋式兵器・装備の導入にともない、従来の甲冑中心の装備からの軽装化が計られ、洋式のシャツ・上着・ズボン等が導入された。だが、洋服を着ること自体が大多数の日本人にとって未知の経験であり、また幕府、藩という枠組み、戦闘員・身分としての武士の存在を前提としていた事情も手伝って、洋式軍服と和式の肌着、陣笠陣羽織の着用、また身分表象でもある帯刀がしばしば混在していた。

江戸城が新政府軍に接収された際、接収されたヤクの尾毛が軍帽として使われ、黒毛のものは黒熊(こぐま)、白毛のものは白熊(はぐま)、赤毛のものは赤熊(しゃぐま)と呼ばれた。[1]

徳川幕府の軍服編集

薩摩藩の軍服編集

長州藩の軍服編集

佐賀藩の軍服編集

その他諸藩の軍服編集

明治新政府軍の軍服編集

諸軍が混在する画像編集

関連項目編集

脚注編集

  1. ^ なお、俗に「黒熊は薩摩藩、白熊は長州藩、赤熊は土佐藩の指揮官が着用していた」と説明される事があるが、軍帽を「魁」の前立てを付けた黒熊毛の陣笠で統一していた山国隊のように、実際には藩や階級を問わず広く使用されていた。

外部リンク編集