転石苔むさず (てんせきこけむさず、: A rolling stone gathers no moss) とは、プブリリウス・シュルス英語版が『格言集 (Sententiae) 』で記した「一つの場所にも他の場所にも定着せず、常に動き回る人々は、責任や苦労から逃げている」から発生したとされる、イギリスの古いことわざである。

「転石苔むさず」のイメージ

このフレーズは、より短く派生し、の無い転石のイメージを生み出した。そして、現代でのその道徳的意味は、人気曲の『パパ・ワズ・ア・ローリング・ストーン英語版』で使用されるような風来坊のイメージから、過剰な定着からの自由といった、より好意的なイメージへと分岐していった。

概要 編集

言葉の起源 編集

このことわざは、通常ラテン語で「Saxum volutum non obducitur musco」と表記され、このフレーズはプブリリウス・シュルスに帰属するとされているが[1]、シュルスの編集した作品には現れず[2]、起源は定かではない。初出の文字としては、1023年ごろ、リエージュのエグバート英語版のラテン語の作品集「Fecunda Ratis (The Well-Laden Ship)」の182巻に記載された「Assidue non saxa legunt volventia muscum.」である。1500年ごろ、イギリスで出版されたエラスムスの『アダジア英語版』により広く知られるようになったが、これはエグバートの作品から500年後であり起源ではない[3]。また、エラスムスは、このフレーズをギリシア語とラテン語で広めた。フレーズは「Musco lapis volutus haud obducitur」や「Musco lapis volutus haud obvolvitur」とも綴られる[4]

変遷 編集

標準となった英訳は、1546年のジョン・ヘイウッド英語版の格言集でエラスムスの言葉として初めて登場した。『ブルーワー英語故事成語大辞典英語版』でも同様にエラスムスに帰属され、他のラテン語のことわざ「Planta quae saepius transfertus non coalescit / Saepius plantata arbor fructum profert exiguum (頻繁に植え替えられる植物や樹木の収穫は、何百年も動かないオリーブや樫の木よりも実りが少ない) 」と関連付けられている[5]

その後アメリカでは、1721年にジョン・ワイズ英語版の「A Word of Comfort to a Melancholy Country」で初めて引用された [6]

19世紀までは「苔の無いことは悪い結果である」と「苔」を良いものだとする考えが多く残っていた。1825年のスコットランドの辞典では「財産の有無にかかわらず、困窮した人を支援する準備ができる評判の良い紳士は、彼らがいつも"苔の日"と呼んでいたものを求めており、寄付金のためにそれを延長することもできた。」と言及している[7][注 1]

その後、このイギリスで主流とされる意味から「苔の無いことが良い結果である」とするアメリカで主流とされる解釈へ広がりを見せた。この「苔」の捉え方の違いについては、伝統を重んじる保守的なイギリスでは、時間をかけて形成される伝統や風格を投影し、自由を尊重する改革的なアメリカでは、悪しき風習や慣例として連想しやすく、文化的背景により正反対の意味となったと考えられている[9][10]

言葉の使用 編集

文学 編集

このフレーズは20世紀初頭のイギリスで人気があった。児童文学作家アーサー・ランサムが1930年に出版した『ツバメ号とアマゾン号』では「ローリング・ストーン」著の「雑多な苔」というフリント船長の回想録が盗難され、最終的に返還される出来事が重要な物語を形成する。

1940年、J・R・R・トールキンの『王の帰還』では、ガンダルフがトム・ボンバディルに「…は苔の収集家で、私は転がる運命の石だった。しかし、私の転がる日々は終わりを迎え、お互いに多くのことを語ることができるだろう。」と語った。

SF作家ロバート・A・ハインラインの1952年の小説『宇宙の呼び声』は、家族が冒険とお金を求めて太陽系全体を旅する物話である。祖母のヘイゼル・ストーンは、宇宙船を購入するシーンで、定着しない生活の始まりの正当性について「この都会の生活は私たちを苔で覆ってしまう」と語った。また、宇宙船は「ローリングストーン号」と命名され、このフレーズが物語全体を通じたテーマとなっている。

音楽 編集

1915年、組合活動家のジョー・ヒル英語版の遺言は「私に縁のある人は騒いだり嘆いたりしなくていい / 苔は転石にしがみつかない」と歌の歌詞として記述されている[11]ハンク・ウィリアムズの『失われた道しるべ』 (原題 : Lost Highway) は「私は転がる石、孤独で迷っている」の一文から始まっている。その後、このフレーズから影響を受けた曲では「ローリングストーン (転がる石) 」のメタファーが用いられるようになったが、その多くで苔への言及は省かれている。

1950年、ブルースのレジェンドであるマディ・ウォーターズが収録した『ローリング・ストーン英語版』は、ローリング・ストーンズのバンド名や、ボブ・ディランの1965年の曲『ライク・ア・ローリング・ストーン』へと影響を与え、これらが雑誌「ローリング・ストーン」の名称へも波及していった[12]

1971年には、テンプテーションズが『パパ・ワズ・ア・ローリング・ストーン』をリリース。ドン・マクリーンの『アメリカン・パイ』では「もう10年も自分たちだけでやってきた / 転がる石には苔がびっしり生えている」と苔への言及へと回帰した。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 当時の「苔の日」は、ボグミズゴケの固まりから作られる泥炭を切る仕事を指していた[8]

出典 編集

  1. ^ Publius Syrus; D. Lyman (1856) (英語). The Moral Sayings of Publius Syrus, a Roman Slave: From the Latin. L.E. Bernard & Company. p. 48. https://books.google.co.jp/books?id=_QQSAAAAIAAJ&dq=THE+MORAL+SAYINGS+of+PUBLIUS+SYRUS&pg=PR1&redir_esc=y#v=onepage&q=musco&f=false 
  2. ^ PVBLILIVS SYRVS SENTENTIAE” (ラテン語). The Latin Library. 2021年7月26日閲覧。
  3. ^ Desiderius Erasums. “BIBLIOTHECA AUGUSTANA” (ラテン語). fh-sugsburg.de. 2021年7月25日閲覧。
  4. ^ Jerónimo Martín Caro y Cejudo (1792) (ラテン語). Refranes, y modos de hablar castellanos. p. 288. https://books.google.co.jp/books?id=Wb6poo3kHTMC&dq=Musco+lapis+volutus+haud+obducitur&pg=RA2-PA288&redir_esc=y#v=onepage&q=Musco%20lapis%20volutus%20haud%20obducitur&f=false 
  5. ^ Brewer's Dictionary of Phrase and Fable” (英語). 2005年3月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月25日閲覧。
  6. ^ Gregory Titelman (1996-03-05) (英語). Random House Dictionary of Popular Proverbs and Sayings. Random House Reference. ISBN 0679445544 
  7. ^ James Mitchell (英語). The Scotsman's Library: Being a Collection of Anecdotes and Facts Illustrative of Scotland and Scotsmen. p. 118. https://books.google.co.jp/books?id=lqYuAAAAMAAJ&pg=RA1-PA118&lpg=RA1-PA118&dq=%22a+day+in+the+moss%22+peat&source=bl&ots=M78GnVHu2i&sig=ACfU3U2YUAK-_YmPQHDQ6LFhKwhGSc3A2w&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwiV2NHg-__xAhUJxZQKHRKoBSMQ6AEwA3oECAIQAw#v=onepage&q=%22a%20day%20in%20the%20moss%22%20peat&f=false 
  8. ^ MOSS, n., v. Sc. usages:” (英語). dsl.ac.uk. 2021年7月25日閲覧。
  9. ^ 佐々木信行「諺の妥当性の科学的検証とその解釈 : 「転石苔を生ぜず」の真意は」『香川大学教育学部研究報告 第Ⅱ部』第66巻第1号、香川大学教育学部、2016年3月、1-8頁、CRID 1050287772324615552ISSN 03893057 
  10. ^ 大宮録郎「ことわざ論考 : その社会的機能」『東海女子大学紀要』第6巻、1986年1月、147-157頁、CRID 1050282812626641792ISSN 02870525 
  11. ^ The Death of Joe Hill” (英語). The New York Times. 2021年7月26日閲覧。
  12. ^ The Year of 1967” (英語). rollingstone.com. 2016年2月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月27日閲覧。

関連項目 編集