辰巳佐太郎
辰巳 佐太郎(たつみ さたろう、1903年〈明治36年〉8月25日[1] - 1990年〈平成2年〉1月25日[2])は、日本の政治家。大阪府東大阪市の初代の市長(1期)。合併前の布施市の最後の市長(第8代、1期)。大阪府議会議長(第52代、第55代[3])
辰巳 佐太郎 たつみ さたろう | |
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生年月日 | 1903年8月25日 |
出生地 | 日本 大阪府 |
没年月日 | 1990年1月25日(86歳没) |
出身校 | 中央大学卒業 |
所属政党 | 自由民主党 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1967年2月19日 - 1970年6月14日 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1963年5月7日 - 1967年1月31日 |
第52・55代 大阪府議会議長 | |
在任期間 |
1956年6月 - 1956年9月 1958年6月 - 1959年6月 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1951年 - 1963年 |
布施市会議員 |
略歴・人物
編集大阪府出身。1931年(昭和6年)、中央大学卒業[4]。1937年(昭和12年)、布施市の発足により、市会議員となる[1]。太平洋戦争後の1951年、大阪府議会議員に転じる[1]。以後、連続3期[1]。1963年、布施市長に就任した。この間、布施商業会議所会頭[4]、自由民主党布施支部長[1]や、自民党大阪府連選対副委員長も務めた[1]。
1967年、布施市は河内市と枚岡市と合併し、東大阪市が発足。布施市長の辰巳が初代市長に就任した[1]。就任早々、市の総合計画を策定し、計画的な市政に乗り出した。その中で下水道整備に力を入れ、辰巳は「下水道市長」と呼ばれた[1]。他に道路整備にも力点を置いて、環状線(大阪府道2号大阪中央環状線、大阪外環状線)などを完成させた[1]。
就任3年後の1970年6月の市長選で再選を目指したが、日本社会党と日本共産党からの推薦で立候補した伏見格之助[5]と一騎打ちの末、得票率45.47%(5万8,914票[6])で敗れ、退任した。
脚注
編集参考文献
編集- 『日本人事録 第6版 全国篇』中央探偵社、1963年。
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第2巻、歴代知事編纂会、1983年。
- 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。
関連項目
編集- 自由民主党
- 布施市
- 東大阪市
- 3市合併調印式 | 東大阪市 - 写真の中央が辰巳佐太郎